第10話 僕と彼女の巫女さん攻略戦

 幼馴染、か。

 叶南ちゃんにとってそんな程度なんだ、僕の評価。


 ちょっとヘコむけれど、いいんだ。

 今は彼女が立って、話しているだけで十分じゃないか。


「すごいですねぇ。ロボットさんが、動きだすなんてぇ。びっくりですぅ」


 櫛田にしてみれば、室内にと並んでいたロボットの一体が突然動きだした、くらいの認識なんだろう。

 ほけーっと口を開いて、叶南ちゃんの姿を物珍しそうに眺めている。


「叶南ちゃん! 大丈夫!? なんか、おかしいところない!?」

『それ、あんたが言う?』


 呆れたように言って、チュイン、と叶南ちゃんが僕の方に向き直る。

 そのまま差し出された手。つまり、立ってことだよな。


「よっこい、しょっとぉ」


 叶南ちゃんに手を引かれて、どうにか立ち上がることはできた。

 ただ、櫛田に痛めつけられたせいで、全身絶不調である。


『…………うで、痛む?』

「まあね。あ、でも叶南ちゃんが優しくなでなでしてくれたら頑張れるかも……って、痛ぁ!」

『そんだけ元気なら大丈夫そうね』


 ごすっ、と僕の腕を小突いた後、叶南ちゃんは溜息を吐くように言った。

 そして、そのまま、軽く触れるように撫でてくれる。


 いや、撫でてくれてる!?


「か、叶南ちゃん?」

『あ、あんたがやれって言ったんでしょうが! ほら、もう終わり! いけるの、いけないの!?』

「俄然、いけます」


 痛いの痛いの飛んでった。僕はぐるんと肩を回して、叶南ちゃんと並び立つ。


「はあぁ……もしかしなくてもぉ、ここから二対一ですかぁ? ずるいですよぉ」

『あなたが時間を止めないっていうなら、私一人でもいいけど?』

「んー? やけに自信がありそうですねえ、ロボットさん」

『だって私、強いし』


 ゴチン、と叶南ちゃんが右の拳を左の手の平に打ち付けてみせる。

 喧嘩上等、と言わんばかりの仕草はカッコかわいいんだけどさ。


「あの、指の関節が歪んじゃうから、それはちょっと……」

『そうなの? もうちょっと頑丈に作っときなさいよ』


 はい。仰せの通りに。

 ただ、今すぐには流石に無理なんで、自重してほしいところではあります。


『この身体の勝手はよくわかんないけど、私、思いっきりいくわよ。いいのよね?』

「大丈夫。身長とか、手足の長さとかは、元の身体のまま作ってあるし」

『……どうやって調べたのよそれ』


 不審そうに言いながら、叶南ちゃんは腰を低く落として身構える。


 何を隠そう叶南ちゃんは、空手とキックボクシングの使い手なのだ。

 小学生ながらかなりの規模の大会で結果を残していたらしいし、花嫁衣裳カナンズ・ドレスの出力があれば僕なんかよりずっと戦えるはずだ。


「なんとか間に合って、良かった」

『ほんとよ。あんた、大けがするところだったじゃない。感謝しなさいよ?』

「今のは僕じゃなくて、叶南ちゃんの話なんだけどね」

『……どゆこと?』


 本当にギリギリのタイミングだった。

 僕が時間を稼いで、なんとかしのぎきるという賭け。

 結果は勝ちってことでいいだろう。


「とにかく、叶南ちゃんは思いっきり暴れていいよ。後は僕がなんとかする」

『了解!』


 キィン、と、駆動音が高くなり、叶南ちゃんが櫛田に向かって突進する。


『セアァッ!』

「うひぃい!?」


 そのまま肉薄し、凄まじい勢いで繰り出された叶南ちゃんの正拳を、櫛田が体を捻って避ける。


 自分で作っといてなんだけど、とんでもないパワーとスピードだ。

 櫛田が悲鳴をあげるのも無理ないだろ。こええもん、あれ。


『ちょっと! 避けないでよ!』

「そんな無茶なあ! 死んじゃいますよぉ!」


 一撃目を躱され、すぐさま鋭いジャブに切り替えた叶南ちゃんの猛攻が続く。櫛田はそれを捌くので手一杯のようだ。


「叶南ちゃーん、そのままよろしくねー!」


 ありがたい。これでやっと、策を準備する時間ができた。

 僕は手にしていた端末を素早く操作して、次の一手を用意する。


 あの巫女さんの能力への対処法は、戦っている時に考えておいた。

 あとは然るべきタイミングで、実行するだけ!


「やむを、得ませんねぇ!」


 櫛田が叫んだ瞬間、小さな嵐のように暴れ回っていた叶南ちゃんの動きが、ハイキックを繰り出した姿勢のまま、ビタッと停止した。


 能力を発動させたのか。

 慣性も、重力も無視。客観的に見ると、やっぱり時間停止っぽい。


「それ! 渡してくださいよ!」

「どうした、巫女さん! 血相変えて! 随分と余裕がなくなったじゃないか」

「誰のせいだと思ってるんですかぁ! まったく!」


 すぐさまこちらに駆け寄ってきた櫛田の表情には、確かな焦りの色が見えた。

 叶南ちゃんの相手をすることは、流石のこいつにもしんどいらしい。


 落ち着け。あと一手だ。

 僕は冷静にこいつの攻撃をやりすごして、待てばいい。


『あ! この!』


 その瞬間がやってきた。

 止められていた叶南ちゃんの時間が、再び動き出す。

 これでまた二体一。こっちの有利に逆戻りになる。


「間に合いませんかぁ」


 僕から携帯端末を奪おうとしていた櫛田が、叶南ちゃんの声を聞いて振り返る。


「だったら、もう、あっちから壊しちゃいましょう」


 低く呟く声の後、また叶南ちゃんの動きが止まった。

 そして、櫛田が即座に突っ込んでいく。


 投げか、極め技か、どうにかして叶南ちゃんの機械の身体を破壊しようと伸びる櫛田の手。


 その指先が、触れる前に。


「動くな!」


 僕は叫び、櫛田の動きを制した。


「……あーらら、これはこれは」


 すぐに異変を察知したらしい。櫛田は周囲に目を走らせ、動きを止めた。


 それもそのはずだ。

 今やあいつを中心に取り囲むように、室内全ての花嫁衣裳カナンズ・ドレスが起動して、各々の武装を向けているのだから。


「ちょっとぉ、まさか、これ、全部動くんですかぁ?」


 いつの間にか完成していた包囲網に、櫛田がそろそろと両手を挙げてみせた。


「ああ。簡単な命令になら従ってくれる。例えば、あんたが動いたら撃て、とかね」

「物騒ですねぇ。ここ日本ですよぉ? 鉄砲はまずいでしょう」

「あくまでテイザー銃だから。当たっても死ぬことはないよ」


 まあ、まともな人間なら失神する出力はあるけどね。


『……っだあ! もう、またあ!? 鬱陶しいわねコレ!』

「あ、おかえりー、叶南ちゃん」

『……なにこれ、どういう状況?』

「言ったでしょ、後は任せてって。これで詰み。僕らの勝ちってこと」


 櫛田の能力は、ある特定の対象の時間を停止させる。

 僕と叶南ちゃんを同時に停止させることが一度もなかったことを考えると、数が多くなればできないか、なんらかの制限があるのだということ。


 この部屋で起動している花嫁衣裳カナンズ・ドレスは、十二体。

 その全ての動きを止めて、形勢逆転するのは不可能に違いない。


「さあ、出てってくれ。あんたがこのまま帰るなら、穏便に見送ってやるよ」


 僕の操作に合わせて、花嫁衣裳の一体が一歩前に出る。そして、櫛田に出口の方に進むよう促す動作を取った。

 従わないと、わかっているな。という念押しも含めた警告だ。


「病院も開いてない時間だからな。痛い目みるの、嫌だろ?」


 これはさっきの意趣返し。

 言わなくてもいい皮肉だけど、このぐらいの嫌味は許されるはずだ。


「はああ……ああ、もう、ヤですねぇ」


 櫛田は、がくんと、肩を落として、深い溜め息をついた。


 なんだ、その感じ。諦めたのとはちょっと違う。

 苛立ちを表に出さざるをえない、みたいな感じは。


「できない、と、やりたくないは、違うんですよ」


 まさか。こいつ!

 僕と叶南ちゃんも含めて、この数全部、止められるのか?


「おしまいです」

「!」


 次の瞬間、僕の耳に響いたのは、手にしていた携帯端末が床にはたき落とされた音だった。

 僕がその行方を目で追って、動きだす前に、櫛田が無造作に足を踏み下ろす。


「あ……ああ、嘘だろ。なんてこった」


 草履をはいた櫛田の脚の下で、無惨に砕け散った端末。

 僕はへたり込んで、その欠片が光を反射してきらめく姿を眺めるしかなかった。


「これで、よかったんですよ」

「……よかった?」

「ええ。もうあなたを縛るものはありません。これからはもっと自由に……」

「なんてな。嘘だよ。叶南ちゃーん!」

『うん? なによ、頂点』


「…………あれ?」


 僕の呼びかけに答えた叶南ちゃんの声を聞いて、櫛田が今日一番間抜けな顔で固まった。


「な、なんで? だって、これ、もう壊れて……」

「残念。あんたが僕を捻じ伏せた時にはもう、バックアップが終わってたんだよ」

「ば、ばっくあっぷ?」


 こんなこともあろうかと、もう、僕は叶南ちゃんのプログラムのバックアップを始めておいたのだ。


「今や叶南ちゃんのプログラムはクラウドの中。物理的に何か壊しても意味ありませえん」


 あの得体の知れないプログラムを転送して、上手く動作するかどうか。

 それだけは大きな賭けだった。


 だけど転送後、叶南ちゃんは大丈夫だと答え、体も問題なく動かせていた。

 思いが通じて、奇跡的に叶南ちゃんが動きだしたわけじゃない。手順を踏んで、リスクを管理して、こうなるように算段を立ててたんだよ。


 そこから先のやりとりは、まあ、おまけみたいなものだろう。


「巫女さん、まだやる?」


 僕は周囲の花嫁衣裳カナンズ・ドレスを見渡した後、叶南ちゃんに目配せをして、櫛田に問う。

 完全に詰み。僕達の勝ちは、決まった。


 はずだったのに。


「なら、最後の手段です」

「まだなんかあんの!?」


 櫛田の呟きは、流石に想定外。

 焦って飛び退こうとする僕の手を、櫛田が掴む。


 やばい! また投げられ……っ!?


「私に、しておきませんかぁ?」

「……は?」


 どういうこと? 私、櫛田に、しておくって何?


「そのままの意味です。あんなロボットじゃなくて、私にしておいたらどうでしょう?」


 言いながら、櫛田は僕を掴んでいるのとは逆の手で、しゅるりと巫女服の襟元を緩め、一歩体を寄せてくる。


「顔とかは、好みじゃないかもしれませんけどぉ、多分、私、男の人に好かれる体はしてると思うんですぅ」


 無防備になった襟元から覗くのは、真っ白な肌。

 うわ、この人、胸でっか。飲み込まれそうなくらいすっごい谷間がある。


「こんな家に住んでるんだから、あなた、お金持ちですよね。かっこいいですし、度胸もあるのは分かりました。だったら私、きっと愛せますよぉ?」

「いや、んなこと言われても……」

「あなたが望むこことなんでもしてあげます。だから、ね?」

「……なるほど」

『なるほどじゃねーわよ! バカ頂点!』


 鬼のように怒り狂った叶南ちゃんの声が聞こえてくる。

 だけど、ちょっと待ってほしい。


 まあ、悪い話じゃないよな。

 この人、癖は強いけど、顔立ちも整ってるし。性格はアレかもしれないが、そこに目をつぶってしまえば、落とされてしまうこともあるだろう。


 ただ、全部、僕じゃなければ、の話だけど。


「嫌です。馬鹿なこと言ってないで、さっさと帰ってください。ほら、胸もしまってしまって!」


 ぐっと襟を掴んで、元に戻してやる。

 まったく、嫁入り前の女性がこんなはしたない真似すんなよな。


「え、あの、あれ? なんで?」

「僕が好きなのは叶南ちゃんです。あなたじゃありませんので、ごめんなさい」


 理由を強いて言うなら、相手が悪かった、に尽きるだろう。

 巫女さんにもプライドあるだろうし、一応、頭は下げておくけどさ。


「う、嘘。もしかして、私ぃ」


 あ、なんかこの感じ。すっごい既視感ある。


「ロボットに、負けたんですか?」


 呆然としている櫛田には申し訳ないが、その観点がそもそも間違ってる。

 僕に言わせれば、恋愛ってのは勝ち負けで推し測れるものではないのだ。


「力もいっぱい使っちゃったのに、お仕事は失敗して……色仕掛けまでして、好きでもない子に言い寄ったのに、みじめに振られて……あれ、あれれぇ……?」


 今の自分を客観視してしまったのだろう。

 櫛田の見開いた目から、大粒の涙がぽろぽろと零れだした。


「踏んだり蹴ったりですぅぅ!」


 迷子になって親を探す幼児のように、しゃくりあげながら櫛田が出口に向かって歩き出す。


 よーし、その調子だ。さっさと帰ってくれ。


「あ! 次、僕らにちょっかいかけてきたら殺しますからねー!」

『ちょっと、頂点、それは言い過ぎ』

「すみませーん、やっぱりそこまではしませーん」


 せいぜい神社を焼き払うくらいにしといてやるか。

 オクシナダ、だっけ。後で場所を調べておくとしよう。


「い、言っておぎ、まずげどぉ! ごのままだど、大変なこどになりまずがらね!」


 地下室の入り口の前で振り返って、櫛田がやけくそ気味に叫ぶ。


 なんだ、負け惜しみか?


「今日はもう帰りまず、げど! 今度、神社に来でぐだたい!」


 最後にそんな捨て台詞を、涙と鼻水と一緒に残して櫛田は帰っていった。

 その姿を、一応、防犯カメラで最後まで見送った後。


『……結局、なんだったの、あの人』

「さあ? どーでもいいよ。もー限界! 身体、動かないや」


 緊張が解けて、痛みと疲れがどっと湧き上がってきた。

 立っていることすら億劫で、僕はそのまま地面に大の字で伸びることにする。


『ちょっと、そんなとこで寝るなんて汚いわよ』

「平気さ。掃除ロボットが二十四時間管理してくれてるから、塵一つない」

『そーいう問題じゃないと思うんだけど』

「……え? ちょっと、叶南ちゃん?」


 ぐいっと、頭を持ち上げられたと思ったら、首の裏側からほんのり冷たい感触が伝わってくる。


 これって、ひょっとして。


『……なによ』

「いや、膝枕かな、と思って。あはは」

『こんな身体じゃ、硬いでしょうけどガマンしなさいよ』


 見上げる僕と、叶南ちゃんの頭部カメラの視点が合って。

 ぷいっとすぐにそっぽを向く様は、照れ屋な彼女らしいと思った。


「こういうときのためのボディもあるんだけど、今度そっちでも……って痛!」

『調子に乗るな。気持ち悪い』


 額に落ちてきたチョップの痛みも、今は堪らなく愛おしい。


「ねえ、叶南ちゃん」

『なに?』

「ちょっとだけ、眠ってもいいかな」

『好きにしたら?」

「ありがとう」


 そして、少しだけ、おやすみ。


 目を閉じて、僕は思う。

 この疲れも、痛みも、苦しみも、全部、僕の物だ。誰にも渡すもんか。


『こっちこそ、ありがと。頂点』


 小さく呟いた叶南ちゃんの声が、耳をくすぐる。

 沈み始めた意識はもう止まらない。暗く深く、泥のような眠気の中で。


 この子がいてくれれば、僕はそれでいい。

 僕の世界の幸せは、ここにある。

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