第9話 手放せないもの

 この怪しげな巫女さんは、超能力が使える。

 その能力はおそらく、時間に干渉する何かだ。


 理論上、そんなことはあり得ない。馬鹿げていることはわかっている。

 ただ、現実にそうとしか思えないことが起きている以上、理不尽を認めて、抗わなくちゃならないだろう。


「どうした、巫女さん。なんとか言ったらどうだ」

「……ふっふっふ、その通り。私の能力はぁ、なんて、自分で語ると思いますぅ?」


 追及してみたが、櫛田は相変わらずのニヤケ面。


 駄目か。こいつ、揺さぶっても情報を漏らしてくれそうにない。

 自分の能力の強みをちゃんと理解しているんだろう。


『時間を止めるって、どういうこと?』

「叶南ちゃんがヒントをくれたんだよ。僕からしたらあいつは一瞬で移動して、攻撃を仕掛けてきたようにしか見えなかった」

『そんな感じじゃなかったわよ? あの人、普通に歩いて近付いてきて――」

「そうそれ。あいつは僕の意識だけを一定時間、止めてきてたんだ」


 僕が棒立ちになって、あいつが距離を詰めてきても無反応。

 叶南ちゃんにはそう見えていたというのが、なによりの証拠だろう。


『そんなのあり? ヤバすぎるでしょ』

「そうでもないさ。あんたの力は万能じゃない。だろ? 巫女さん」

「どうですかねぇ? 私に訊かれましてもぉ」


 のらりくらりと、白々しい態度だな。まあ、いいさ。


「僕の見立てが正しければ、あいつが止めていられるのは、なんだと思う」

『どうでもいいって、どういうこと?』

「僕にとって重要な出来事が起きると、止めていた時間が動きだすんだよ。例えば、、とかね」


 さっきの当て身の直前に僕の意識が戻ったことを考えると、あいつは何らかの重大な行動の直前までしか時間を止められないんだ。

 そうじゃなきゃ、最初の時間停止で端末を奪われて終わってる。


「面白いお話をしてますねぇ。時間を止める、ですかぁ。超能力といえば、私、手品師さんってすごいと思うん……」

「その無駄話も、前振りなんだろ」


 もうその手には引っかからない。

 櫛田の間延びした声を遮って、いつでも動けるように身構える。


「あんたの力は、相手が油断している時に使えるんだ。だから、そうやってベラベラ喋って相手の集中力が途切れるのを待ってる。違うか?」


 だとしたら、対処の仕方はいくらでもある。

 要は僕が気を緩めず、櫛田の一挙手一投足に目を光らせておけばいいだけの話。


「まあ、聞いてくださいよぉ。手品って、絶対タネがあるわけじゃないですかぁ。でもでも、ネタがわからない手品はぁ」


 無駄だ。お前が何を言っても、僕は警戒を解くことは――


「魔法と一緒なんですよ?」

「!」


 その声が聞こえてきたのは、すぐ近くから。

 懐に入られた。そう判断するしかない距離に、櫛田は既にたどり着いている。


『頂点、また……っ!』


 叶南ちゃんの鋭い指摘も間に合わず、櫛田の放った掌底が鳩尾にめり込んだのを感じた。女の細腕から生み出されたとは思えない衝撃が、腹筋を貫いて内臓を潰す。


 どういうことだ。

 僕は今、あいつの動きに集中し切っていたはずだ。

 まさか、仮説が、間違ってたってのか?


 息が詰まり、込み上げてきた吐き気を堪えて、飛び退く。


「叶南ちゃん、今のも、僕……」

『うん。動き、止まってた。あの人が近づいてくるまで、ずっと』


 やっぱりか。くそ、どうなってるんだよ。


 櫛田は追撃をしてくることなく、掌底を打った後の体勢から、ゆらりと身を起こしただけ。

 その緩慢な動作も、今の僕には得体の知れないものにしか見えなかった。


「あなたぁ、異常ですよお?」

『頂点! また……っ!』


 悲鳴にも似た叶南ちゃんの声が聞こえた時には、もう櫛田に襟を掴まれていた。

 駄目だ! 間に合わない!


「がはぁ!」


 今度は、完全に投げられた。

 ふらついていたせいで受け身もろくにとれず、床にしこたま叩きつけられる。


 逃げなきゃ駄目だ。わかっているのに、体がいうことをきかない。

 せめて、この端末だけは……っ!


「自分が痛い思いするよりぃ、そっちの方が優先なんですねぇ」

「ぐ、うぅ!」


 庇うより先に、携帯端末を握った腕の手首を強く踏みつけられた。


「手を放してください。怪我させちゃう前に」

「断る」

「……忠告は、しましたからね」

「ぐああっ!」


 櫛田の足袋と草履をはいた足に体重がかけられ、容赦なくめり込んできた。

 思わず悲鳴が漏れたが、大丈夫だ。

 こんなものはただの生理現象。条件反射でしかない。


 痛みなんて、いくらでも我慢できる。


「何があなたをそんなに執着させているのかは、わかりません。だけど、やめましょうよ。あなた、見ていて、とっても痛々しいですよ」

「ははっ……説教か? 突然、巫女さんっぽくなったな、あんた!」


「……私、思うんです。大切だ、とか、かけがいがないって感情は、嘘なんですよ」


 そう言う櫛田の声は、さっきまでと違って間延びしていなかった。

 僕をさとそうってか? 笑わせんな。


「所詮は、自分が大切だと思っていたいだけで、探せばいくらでも代わりなんて見つかるんです。これしかない何かなんて、存在しないんですよ」

『ねえ! もうやめてよ! なんでこんなことするの!?』

「あなたがいるからですけど?」


 ぎょろり、と、櫛田の視線が僕から叶南ちゃん、携帯端末に移る。


『わ、私?』

「わかりませんか。あなたの存在が、この人をおかしくしてるんじゃないですか」

「黙れ!」


 やめろ。なんてことを言うんだ。


 必死に腕に力を込めて抗う。

 だけど、動かせない。万力に挟まれてるみたいだ。


「痛いでしょう? 辛いでしょう? もういいんですよ、そういうの」

「うるせえ! さっきから知った風なこと言いやがって!」

「知った風、じゃありません。知ってるんです」


 口調の穏やかさと裏腹に、櫛田がさらに足に力を込めたのがわかった。

 骨がきしみ、肉が潰れ、限界が近づいてきているのがわかる。


「ほら、手を放して。痛いのも、つらいのも、それで終わりです。つまらない感傷は捨てて、前を向いて生きていきましょうよ」

『……頂点、ねえ……ちょうてん。私のせい? だったら、もう。もう……』


 やめてくれ、叶南ちゃん。

 もういいよ、なんて。


 そんなこと、言わないでくれ。


「馬鹿に、するなよ……っ!」


 捨てれば楽になれるって?

 前を向いて歩いていく方が賢明だって?

 ふざけるなよ。そんなことはな。


「僕が一番、わかってんだよ!」


 そんな正論、くそ喰らえだ。

 怒りが叫びになってほとばしる。


「楽になりたいだなんてな、考えなかった日はないんだ! 諦める理由なんて、腐るほど並べられるんだよ!」


 六年だぞ。

 こちとら六年間も、自分が作った機械を好きな子だと思い込もうと、自分に言い聞かせ続けてきたんだ。


 それが地獄じゃないなら、なんだってんだよ。


「それでも、なぁ……っ!」

 

 他の人からすれば、叶南ちゃんがそこまで特別じゃないことも知ってる。

 時間が経てば失った傷は癒えて、そんな子もいたねと悼んで。

 大抵の奴は、彼女が焼かれたあの日に心の整理をつけだしたんだろう。


 反吐が出る。


 あんな連中と、僕を一緒にするな。

 僕の覚悟を、努力を、痛みを、悲しみを、絶望を、推し測れると思うな。


 諦めることが賢明なら、僕は一生馬鹿でいい。

 忘れることが救いなら、僕はずっと苦しもう。

 もっと幸せになっていいなんて、魔が差す日もあるけれど。


「それでも僕は、また君に会いたかったんだ!」


 今夜起きたことが、奇跡だろうと、呪いだろうと関係ない。


「この手だけは、死んでも放さないからな!」


 踏みつけられているのとは逆の手で、櫛田の脚を掴む。

 爪を立て、引きはがそうと必死で抗い続ける。


「いたたた……もう、強情ですねぇ」


 櫛田が顔をしかめたのが見えた直後、また意識が飛んだ。

 背後に回られて腕を取られ、捩じり上げられている。これじゃ抵抗もできない。


「最後のお願いです。今からゆっくり三つ数えます。数え終わるまでに、その機械を捨ててください。さもないと、折ります」

「……好きにしろよ」

「この時間だと病院も開いてませんよ! どうせ奪われるんなら痛い思いする前に」

「好きにしろっつってんだろ!」


 なんとか逃れられないか藻掻いては見るけれど、床についた顔が微かに動くだけ。

 この巫女さん、取り押さえるの上手すぎるだろ。


「さーん」

『やめてよ……こんなの、駄目だって』

「にーい」

『頂点! ねえ! いい加減にしなよ! この人、本気だよ!」

「いーちぃ」


 本気なのは僕も同じだ、叶南ちゃん。

 この後、まともに喋れるかどうか怪しいからな。ちゃんと伝えておこう。


「大丈夫、叶南ちゃん。言ったろ? 君は僕の命より大切だってさ」


 僕は重い男なんだ。

 たとえ腕がもげても、君を放したりはしないんだ。


 さあ、かかってこいよ。


 目を閉じ、歯を食いしばって、これから襲い掛かってくるであろう痛みに備えた。


 その時。


『やめろって、言ってんでしょうがああああああああ!』


 駆動音が、聞こえた。

 そして、抑えつけられていた腕が突然軽くなる。


「な、なんですかぁ?」


 顔を上げた僕の目に映ったのは、目を見開いて飛び退いた櫛田と。

 跳び蹴りの後の体勢なのか、片膝をつき着地した白と紺の後ろ姿だった。


 SG《スクール・ガール》型の、花嫁衣裳カナンズ・ドレス

 まさか、これが動いてるってことは、つまり。


『私は、貴音叶南!』


 地に伏せた僕が見上げた背中が、あの日の面影と重なる。

 初めて出会った日、手を差し伸べてくれた強くて、優しくて、可愛い女の子。


 僕がこの世界で一番大好きな彼女は、言い放ったんだ。


『そこの大バカの、幼馴染よ!』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る