第7話 不審な巫女さん

 インターホンに備え付けてあるカメラの向こう側の人物は、じっとこっちを見つめ続けていた。


 その黒々とした瞳があまりにも動かないものだから、直接目を合わせているような錯覚に陥る。


「どこの誰かは関係ありません。こんな時間に、あり得ないでしょう」

『そうおっしゃらずにぃ、お話だけでもさせてくださいよぉ』

「……お引き取り願います」


 妙に間延びした、とろくさい印象を受ける声の女だ。


 オクシナダ神社の者って言ってたな。


 もしかして、叶南ちゃんの墓に忍び込んだ件と何か関係があるのだろうか。

 いや、そんなはずはない。

 事後処理は完璧だった。

 それに加えて、墓場があるのは寺であって、神社じゃないことくらい信仰心の薄い僕だって知っている。


 じゃあ、こいつは何者なんだ?


『仕方ないですねぇ』


 インターホンとの接続を切る直前、聞こえた女の声がやけに耳に残ったけれど、こういうわけが分からない相手には関わらないのが吉だろう。


「なんなんだよ、一体」

『ほんとよねえ。こんな時間に勧誘? 怖いんだけど』


 叶南ちゃんの感想は若干ズレてる気がするけど、可愛いからいいんだ。

 宗教の勧誘か。それなら休日の昼下がりと相場が決まってるんだけど。


『で? 私をそっちのロボットに移すんでしょ。やらないの?』


 気を取り直して、といった調子の叶南ちゃんの問いかけ。

 彼女にしてみれば何の気ない言葉だろうが、僕には重く響く。


 どうする。

 この未知のプログラムを、弄っても大丈夫なのか?


 もし何かあって、叶南ちゃんが今みたいに思考することができなくなっても、復元は不可能だ。

 僕の手には負えず、取り返しがつかないことになってしまう。


「…………ちょっと待ってね。準備にもう少しかかるから」


 この胸騒ぎは、オカルトじゃない。おそらく経験則からくるもの。

 今のうちに手を打っておかないと。


 数秒迷ってから、僕がキーボードで必要な操作を行った直後のことだった。


『頂点! なに、この音!』


 室内に鳴り響く警報に驚く叶南ちゃん。


 嘘だろ、これって。


侵入はいってきたのか、あいつ」


 即座にディスプレイを家の中に備え付けてあるカメラの画像に切り替える。


 どうやら僕の予想は当たったらしい。


 そこには、さっき玄関先で追い返したはずの女が、我が家の廊下を普通に歩いている様子が映し出されていた。


『ちょっと、あんた、玄関の鍵閉め忘れてたの?』

「そんなわけない。うちはゴリゴリのオートロックだよ」

『じゃあ、なんで……』

「僕が教えてほしいよ」


 なんだか同棲してるカップルが出先でする痴話喧嘩みたいだけど、そんなので喜んでる場合じゃないよな。


 この家に侵入できているという事実が、いかにとんでもないことなのかを、僕が一番よく知っている。


 この女、マジで、何者なんだよ。


 とにかく電子ロックのハッキング対策だ。

 なんだったら全室完全施錠状態にして、女を閉じ込めてしまってもいい。


 その後で電源を切れば普通の人間ならまず脱出は不可能になるわけだし。


「ごめんくださぁい」


 そんな僕の目論見を全てご破算にする、間延びした声が地下室に響いた。


 僕以外は決して開けられないはずのドアを、田舎の親戚の家にでもやって来たかのような調子で通り抜け、女はそこに立っていた。


「あなたが家主さんですか。お邪魔してますぅ」


 軽く会釈した後、こちらに微笑みかけてきた彼女は、一目で異常だと分かった。


 きつく結んだ太いしめ縄をほどいた直後のように、大きく波打った癖の強い黒髪。

 長く重たい髪とは裏腹に、もはや白を通り越して青にすら見えるほど色素の薄い肌の色。

 前髪で上半分が隠れたぎょろりと大きい目の下には、紫色のクマが深々と刻まれているのが窺えた。


 それだけでも陰気な雰囲気なのに、極めつけは彼女が纏っている巫女服らしきものの色だ。本来なら、白に朱色だろうに。


 黒と、紺色って、お前。


 女の上背がかなりあるせいか、灰色の地下室で、大きな影が突然立ち上がったんじゃないかと疑ってしまうほどだ。


「……あんた何者? 強盗よりコスプレイヤー名乗った方がよさそうな格好だけど」

「あらぁ? 先ほども言いましたけどぉ、私、オクシナダ神社で巫女をしている者でしてぇ。あぁ、櫛田と申しますぅ」


 別に名前を聞きたかったわけじゃねえよ。

 なんだ、こいつ。


「失礼ですけど、最近の巫女さんって深夜に自宅に忍び込むサービスとかやってます? だとしたら、家じゃないですよ。そういうの間に合ってますんで」

「やだなぁ、忍び込んだなんて人聞きの悪い。普通に玄関から上がらせてもらったじゃないですかぁ」

「どうやってだよ。うちは首相官邸もびっくりのセキュリティだぞ」

「そこはぁ、まぁ、神様のお力ですぅ」


 それでも結構苦労しましたけどね、と呟いて、櫛田と名乗った女は笑った。

 にへら、と、音をつけるのが相応しい締まりのない笑顔に、無性にイライラしてしまう。


 だけど、それは束の間の緩みだった。


「あぁ、それですか」


 人形劇の面が切り替わるように、櫛田の顔から一瞬で笑顔が消える。

 その両目が見据えているのは、僕の右手の中。


 叶南ちゃんが中にいる、携帯端末だった。


「珍しい例ですねぇ。そんな真新しい物に宿りなさるなんてぇ」


 目を見開いたままの無表情で、首を傾げる櫛田。

 やっぱり視線は、僕の右手から動かない。


 珍しい? 宿る?

 なんの話だ。


「一体、どれほどの執念があれば、そんな状態になるんでしょう。怖いですねぇ」


 口元を右手で覆った櫛田が、ブツブツと呟いている言葉。


 執念。

 怖い状態。

 得体が知れない神社の巫女さん。

 そして、僕が理解できない叶南ちゃんのプログラム。


「……なるほどね」


 断片的な情報を繋ぎ合わせただけだが、なんとなく状況が理解できてきたぞ。


「あんたの言ってることはよく分かんないですけど、不法侵入は犯罪ですよ。お姉さん、早く出てってください」


 さもないと、と、携帯端末で警察へ通報しようとして気付いた。

 ちょっと待ってくれ。そんな馬鹿な事あってたまるか。


 


「すみませんねぇ。大丈夫です。長居はしませんのでぇ」


 一度、頭を下げた後、櫛田はまたへにゃりと笑って、言った。


「その機械を渡してください。そうすれば大人しく帰りますからねぇ」


 軽々しく言うなよ、この女。

 覚悟はできてんのか。


 それは僕にとってつまり、宣戦布告と同じだからな。

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