4.二人でお茶会

 魔導エレベーターに乗り込み、五階まで上がったリリスとイヴ。そこから出て部屋へと続く廊下を進んで行くと、603のリリスと604とイヴは隣室であることが分かった。


 女子寮は広く、それに反して侯爵家から伯爵家の数は少ない。なので、一室が広く取られている上にこの階には侯爵家と辺境伯家の使用人部屋まであるのだ。


 しかし、そんな数が少ない爵位であるので、毎年入学する生徒の数も限られる。今年度入学した令嬢は侯爵家からはリリス、伯爵家からはイヴともう一人だけだという。そして、辺境伯家からはなし。三年生にはいるそうなのだが、隣室でもそれなりに遠い扉の配置から、会うまでに少々時間がかかりそうでもあった。


「それでは、わたくしはこちらに。イヴ、支度を終えて着替えたらわたくしの部屋へいらっしゃい。お茶会をしましょう」

「是非! あっ、あの、ドレスコードは……申し訳ございません、私、まだ勉強中なので教えて頂けませんか?」

「構わないわ。普段着でよろしくてよ、そうね、ワンピースくらいで良いわ」

「はい、リリスさま。ありがとうございます!」


 そんな会話をしてからイヴと別れて部屋に入ったリリスは、既に待機していた侍女の一人へと鞄を差し出す。それが彼女の手に渡ることで肩へとかかっていた負荷がなくなったのを感じながら、着替えとメイク変えの用意をしている侍女らの元へ歩み寄る。


 すると優しく制服を脱がされ、壊れ物を扱うかのように体を拭かれ、メイクは一度落としてから、目元の印象を和らげる薄い青みピンク色のアイシャドウと口紅へと変更された。


 纏うのは黒と見まごうかのような深い藍色のシンプルなワンピース、そして白のシアーカーディガンを羽織ると、十月の室内では程良い温度感となる。


 廊下での会話を聞いていたのか、その間にも侍女たちは着々と女性二人のお茶会セッティングを進めており、先に席に着いたリリスは二口分のレモン水で口の中を落ち着かせた。


 そうこうしている間に部屋の扉がノックされ、侍女の一人が扉を開くと、そこには薄ピンクのワンピースに深い青のカーディガンを羽織ったイヴの姿と、控える侍女一人の姿が見える。


 リリスは席から立って、彼女の傍へ歩み寄ると、何にも阻まれない、白く嫋やかな指でイヴの手を優しく取って、そのまま招き入れた。


 イヴの手はリリスよりも少し温かかくて、ずっと触れていたいと思わせるような、心地好さを感じる温度だ。けれどもずっと繋いでいるわけにはいかないのだからと、彼女は自分を律してその手をそうっと離す。


「いらっしゃい、イヴ。さあ、座って」

「お招きありがとうございます、リリスさま。失礼致します」


 侍女には顔を向けない。存在を認知したと思わせない。彼女らにとって主人の一時を邪魔するという行為は屈辱的なものであるので、その主であるリリスとイヴもまた、ここには二人だけであるという体で話を進めるのだ。


 尚、お茶会に手土産は推奨されない。あなたのおもてなしを受けるつもりはありません、という意思表示になるからだ。事前に持ち寄るとの取り決めがない限りは決して持って行かないので、イヴもそれに従い何も持たずにやって来た。


「わたくしの好きな茶葉なの。イヴの口に合うかしら。ミルクと砂糖は好きに入れて頂戴、ストレートでもミルクティーにしても美味しいのよ」

「わあ、リリスさまのお勧め! とても嬉しいです。……あの、リリスさま。教室を出る際、私のせいでご迷惑をおかけしました」

「ふふ、あなたが気にすることではないわ。あの方はね、元々わたくしを気に入らないの。そんなに嫌なら婚約破棄をなされば良いのに、不思議よね」

「えっ、婚約者なんですか!?」


 イヴのその言葉には、本気の驚きが含まれていた。婚約者に対してどうしてあんな態度だったのか、そういう感情が彼女の瞳から滲み出ている。


 リリスからすればそれほど嫌ならば婚約を破棄すれば良いのに、と思うのだが、両家の取り決めだからと我慢しているのだろう。リリスとて、両親が決めたのでなくばああいった嫌味を行って来るような男と夫婦になろうとなど思いはしない。


「リリスさまは初対面の……いえ、会ってすらいない私の万年筆を拾ってくださって、届けてくれたのに。私があの時もっと……嬉しい! 万歳! としていたら、あんな誤解されなかったはず」

「ふふふ、お止めなさい。人前でそんなことをするのははしたなくてよ。でも、本当に気にしないで」

「気にします! 私、もうリリスさまのこと大好きになったんですから!」


 その言葉に、リリスのつり目がまあるく開かれる。そのさまはどこか幼げで、そんな彼女の表情を見てだろうか、己の発言を鑑みてだろうか。イヴはぽっと顔を薄紅で染めた。


「リリスさまは美しくて、所作も綺麗です。でも、それだけじゃなくて、誰かを思いやれる優しい方なんだって、この少しの間だけでも分かりました。なのに、婚約者なのにそれさえも分かってないのが、とても悔しくて」

「あなたが悔しがることはないのに……、でもありがとう」


 月の光に照らされた青薔薇のような、優しい笑みをリリスは自然と浮かべていた。ティーカップをソーサーに置いてから身を乗り出して、薄ピンクの髪にそっと指先で触れる。指の腹が少しだけ目尻を掠めて、彼女のアイシャドウがリリスの指先に纏わりつく。


 それを気にして指の先から指の背に変えてから頬の輪郭をなぞってやれば、イヴの掌がリリスの手の甲へと静かに重ねられた。しんとした、まるで二人だけの世界のようなそこ。ほう、と吐息をこぼしたのは、果たしてリリスかイヴか。


「あなたは可愛いわ、イヴ。素直で、愛らしくて……、愛される子というのは、あなたのような存在なのね」

「リリスさま、リリスさま。誰よりも美しい、そして心優しいお方。私はあなたから愛していただけるなら、それで良いと思ってしまいました。だって、もうこんなにも惹かれているんです」

「……イヴ。可愛いかわいい、イヴ。わたくしに縁が紐付けられていなければ、あなたを求めることも出来たでしょう」


 けれども、それは叶わぬこと。そう囁いて、リリスは腕を引く。指先についたアイシャドウを、己の右目尻へそうっと乗せてから、彼女は眉尻を下げながら微笑んだ。


 それは、遠回しの否である。リリスには婚約者がいて、彼とのそれを破棄するにはその理由が不足していた。十年で十回しか会っていなくとも、そういった婚約はあまり珍しいものでもない。


 イヴは、それ以上食い下がることはなかった。けれど、交流を止めるともまた、言わなかった。彼女にとってリリスは初めてまともに会話をした貴族令嬢の可能性もある。一時の迷いかもしれない。


 リリスは、既にイヴへと惹かれている己の心を抱き締めて、きっと愛せない男と共に領地を運営して行くのだ。そうなる未来が見えるのに、一時の快楽に彼女を巻き込むわけには行かないと己を律する。


 そんな二人の少女を、侍女たちだけがただ見つめていた。

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