第16話 町田抗争 1

 柚組の構成員の射殺現場から離れた路地にて、大樹は足を踏み鳴らしながら電話に耳を当てていた。


 誰がどう見ても、あの二人の死は異常事態であった。何の連絡も情報も無く縄張なわばりの中で仲間が射殺されており、これだけの騒ぎになっているというのに周囲に柚組の構成員がいる気配はない。抗争、裏切り、喧嘩、様々な可能性が考えられたが、異常事態であることに変わりはなかったため、大樹は柚に連絡を入れようと試みた。しかし、先ほどから何度も電話を入れているにもかかわらず、彼女が電話に出る気配は一向に無かった。大勢の部下を管理している彼女が電話を逃すはずがなかったため、大樹はわずかに得体の知れない不安を抱いた。何かただならぬことが起こっている、彼はそう直感した。


「どうだ?」アタリが尋ねた。


「駄目だ、まったく出てくれない」


「嘘だろ。こんだけ騒ぎになってるんだから何かしら俺たちにも伝えていいはずだろ」


「これだけ騒ぎになってるからこそ、仲間からの電話で忙しいんだろ。そうに違いない」


「仲間? でもこの近くに誰もいなかったじゃん」


「それは──」


 何かしらの反駁はんばくを出そうとしたが、大樹は口をつぐんだ。確かに、アタリの言う通りだ。仲間からの電話で俺たちと通話が繋がらないとして、その肝心の仲間はどこにいる? 今町田にいると思われる柚組の構成員は俺とアタリだけだ。あの殺人現場には野次馬も警察も多くいた。つまり射殺から結構時間が立っているはずだ。それなのに柚さんはおろか柚組の上層部からも何も連絡が無かった。これは少し、おかしいのではないだろうか?


「とにかく仲間を呼ぼう。考えてても仕方がないしな。今七星班と鬼沢班から応援を呼ぶから、ちょっと待ってろ」


「鬼沢班って何?」


「町田の近く、特に神奈川近辺で活動している班だ。班長に事情を説明すれば誰かを送ってくれるだろうから、今は力を貸してもらおう」


 そして大樹は鬼沢班の班長である桜大に電話を入れた。


 こちらもなかなか繋がらなかった。しかし大樹が諦めて七星班に連絡をしようとした瞬間、呼び出し音が途切れて電話越しから声が聞こえてきた。


「何が目的だ」


 桜大のその声はどこか敵意に満ちていた。第一声がそれであったために大樹は一瞬狼狽うろたえたが、すぐに我に返って言った。


「お疲れ様です、七星班の福恵大樹です。俺は今仲間と一緒に町田にいるんですけど、そこでたまたま組員二人が死んでいるのを発見しました。どうやら誰かに射殺されたようで、別の組からの襲撃も考えられます。誰かと合流して調査したいので、近くにいる仲間をここへ送ってくれませんか?」


 桜大は返事をしなかった。代わりに電話の奥からわずかに話し声が聞こえ、彼は誰かと相談をしているふうだった。


「もう一度聞かせてくれ。町田で何があったって?」しばらくして返ってきた桜大の声には困惑が含まれていた。


「町田駅付近で組員が射殺されていたんです。位置情報を送るんで、そこに誰かを送ってください」


 再び桜大は押し黙り、しばらくして言った。


「ああ、わかった。今そこに一人仲間を送っておいた。後で他のやつも送っておくから、今はそいつと頑張ってくれ」


 このとき、大樹はある違和感を覚えた。電話越しに桜大が笑ったような気がしたのだ。


「そうだ、確かお前七星班に所属しているんだよな? 二人の組員の射殺について他に報告したか?」


「いえ。さっき組長に連絡を入れようとしたんですけど、どうしても繋がらなくて。それでこれから七星班に報告して、そこからも仲間を呼ぼうと思っています」


「その必要はない」


 大樹は思わず絶句し、そして聞き返した。


「だから、必要ないって言ってんだよ。お前が今話してる相手は誰だ? 鬼沢班の班長だろ? 俺のほうが七星班に早く連絡を入れることができるし、大人数の人間を動かすことができる。だからここは俺に任せておけ」


「わ、わかりました……じゃあ俺はこれで──」


「待て、待て。そんな急ぐなよ。俺の部下がそこに到着するまで時間はある。その間にお前の状況に聞かせてくれよ。さっき仲間と一緒にいると言ってたが、そいつは誰なんだ?」


 何なんだこの人は、大樹は思った。こんなことで時間を潰している暇はないというのに、これじゃまるで時間稼ぎをされているみたいだ。


 大樹は困惑しながらも答えた。


「最近、七星班にアルバイトとして入ってきたアタリという青年がいましたよね。今彼と一緒です。仕事帰りで夕食を取っていたところだったんですよ」


「仕事っつうと、お前らのお得意の能力者狩りか?」


「はい。俺は何もしていませんでしたが、アタリのほうは三人始末してきた帰りです」


「三人か、そいつは疲れているだろうな。体力は残っているのか?」


「多少疲弊ひへいしています。少し酒を飲んでいますが、完全に酔っぱらってはいないので、動けないわけではないでしょう」


「そうか」桜大は小さく言った。やはりわずかに笑っているように感じられた。


「もういいですか? 俺たちも周りを監視しておかなきゃいけないので──」


「おい、先輩」


 突然アタリが口を挟んで真上を指差した。大樹は指の先を追い、そしてある人影が空高くに浮いているのを目にした。それはたった今ビルから飛び降りてきたようで、人影は棒立ちの体勢のまま急速にアタリと大樹に近づいてきた。


 二人はただ呆然ぼうぜんとその光景を見ていたが、人影の容貌があらわになってくると反射的に着地点から離れた。


 その人影の体は、石で覆われていた。


 二人のとっさの判断は正解だった。人影はアスファルトの地面と衝突し、そして強くめり込んだ。おそらく直撃していたら肉片になることはまぬがれなかっただろう。誰だ? 大樹は思った。これが桜大さんが送ってきた仲間なのか?


「桜大さん」大樹は電話越しに呼びかけたが、返事は無かった。通話はいつの間にか切られており、大樹は困惑しながらも人影に言った。「あの、あなたは」


「お前が大樹か」


 突然、石の塊の中から声が聞こえた。よく見ると顔の位置に二つの穴が開いており、その中にうっすらと目が見えた。石の中にいたのは人間だった。


「そしてお前がアタリだな」石の塊はアタリと目を合わせた。


「誰だお前。敵か?」アタリが言った。


「面白いな。敵だと思ったやつに敵かどうかを訊く人間はなかなかいないぞ。素直なやつだな──いや、常識知らずなのか」


 それから石の塊は再び大樹のほうを振り返り、突然彼のほうへと走りだした。石とアスファルトがぶつかる大きな音が響き、塊はおどろおどろしく大樹に近づいていった。


 大樹は状況が飲み込めず混乱して立ち尽くしていたが、塊が接近してくるのを見て彼は我に返って身構えた。二人の距離が縮まったそのとき、塊は大樹の顔めがけて拳を振りかざした。大樹はそれを素早く回避し、腹の位置に蹴りを入れた。しかし塊は何の反応も示さず、何事もなかったかのように続けて大樹に殴りかかった。


 大樹は後ろに跳んで一定の距離を置き、続けてアタリが塊に襲いかかった。塊はアタリの顔面に拳を突き出したが、アタリは顔を横に動かして避け、両手で塊の腕を掴んで背を向けた。それから自身の背中で塊を持ち上げると、アタリはそのまま塊を地面に叩きつけた。それから彼はポケットから銃を取り出すと顔となる位置に連続的に銃弾を撃ち込んだ。しかしいずれの攻撃もあまり効いているようには見えず、アタリは舌打ちをして後ずさりした。


「まったく、血気盛んなクソガキだな。俺よりアグレッシブじゃねぇか」


「何なんだよ、てめぇはよ」アタリは言った。


「俺は鬼沢班の樋口淳淳ひぐちじゅんじゅんっつうんだ。短い間だが、よろしく頼むぜ」


 何なんだこの男は? 大樹は思った。この男が、桜大さんから送られてきた人物か? だったら何故俺たちに襲いかかって来るんだ? 今ここで仲間割れなんかをしても何もならないはずだ。だったら、この男の目的は何なんだ?


「てめぇ、その石どうやって身に着けてるんだ? まさかお前も超能力を使ってるのか?」アタリが言った。


「お、わかる? そりゃわかるか。こんなわかりやすく力を使ってるんだからな」


「てめぇ、鬼沢班って言ったな。何で七星班じゃないやつが超能力なんか持ってんだよ」


「俺の話はどうでもいい。むしろ問題はお前たちだ。日光アタリ、そして福恵大樹。お前らはついさっき、鬼沢班長から正式に殺害対象として認定された」


 それを聞いてアタリは思わず声を上げた。大樹のほうは訳がわからないとでも言いたげな顔をして淳淳とアタリを交互に見ていた。


「何言ってんだお前。俺たちが殺害対象だぁ?」


「町田駅近くで射殺された二人の組員がいただろ。あいつらを殺したのはお前ら二人だっていう話が上がってんだよ。だからお前ら裏切り者を殺すために、俺がここに来たんだ」


「そんなのデタラメだ! 証拠あんのかよ!」


「もう決まったことなんで」


「ていうか組長に話は通してんのかよ! そんなのてめぇらが勝手に決めただけじゃねぇかよ!」


「もう決まったことなんで」


「てか本当はてめぇらが犯人じゃねぇのか! てめぇらがあの二人を射殺して、俺たちに罪をなすりつけようとしてんじゃねぇのか!」


「もう決まったことなんで」


「てめぇふざけてんじゃねぇぞコラ! こっちはマジなんだぞ!」


「もう決まったことなんで」


 アタリの言う通りだ、大樹は思った。こんなの馬鹿げている。親玉の柚さんに一切話を通さず、勝手に俺たちが犯人だと決めつけて私刑を行おうとするだなんて、どうかしている。これではまるで、俺たちをおとしいれようとしているみたいじゃないか。


 淳淳は一歩、また一歩と足を踏み出し、足音をとどろかせながらゆっくりと二人に近づいていった。桜大の目的と淳淳という未確認の能力者。わからないことは他にもあったが、アタリと大樹は目の前の能力者を殺害することだけに集中し、それぞれ臨戦態勢に入った。


 淳淳は突然視線を大樹に移し、そして彼のほうへ駆け始めた。大樹はまたもやその場から動かず、淳淳がどう出るのかをじっと待った。彼の脚が不自然に動くのを見て大樹は姿勢を低くし、彼の蹴りが飛んできたと同時に横転で回避した。


 アタリは淳淳の背後めがけて走り出し、手に持っていた銃を逆さにして淳淳の頭を殴打した。打撃はやはり石に吸収され、中にいる本体は特に反応を示さなかった。淳淳は腕を背後に回して振るい、アタリはしゃがみ込んで淳淳の腹部に手を伸ばした。石と石の間に指を入れることはできたものの、石自体はびくともせずしっかりと本体に接合されていた。


 アタリは後退して距離を置き、そして考えた。なるほど、おおかた物をくっつけることができる能力といったところか。それを利用して体を鎧のように固めているということだな。だが、おそらく外からの衝撃を耐えるのも限度があるはずだ。


 アタリは大樹を一瞥いちべつし、互いの視線がぶつかると彼はとある動作をした。たった一瞬のことだったので淳淳はそれを見逃したが、大樹にはちゃんと伝わっていた。大樹はその場から離脱し、それに気づいた淳淳は彼の後を追い始めた。しかしアタリが淳淳の進行方向上に立ち塞がり、そして言った。


「てめぇの相手は俺だ」


「常識知らずの上に恐れ知らずか? 最悪のコンビネーションだな。むしろ俺がブルっちまうよ」


 淳淳は勢いを落とさずそのままアタリに突進した。


 こいつに拳や銃は効かねぇ、アタリは思った。おそらく鈍器、もしくは鎧を貫通できる爆弾のようなものじゃない限りあれを壊すのは難しいだろう。移動速度自体は遅いから逃げようと思えば逃げれるが、それだけじゃやつを殺せない。ここは大樹先輩を信じて時間を稼ごう。


 淳淳は両手を握りしめ、右、左、右と連続的にアタリに拳を放った。石を身にまとっているがゆえ動きは遅かったが、それでも淳淳の攻撃は勢いを落とすことなく続いた。


 能力を使いながら攻撃を回避しているとはいえ、瞬発的に体を動かしているのでアタリは疲労を覚えた。一度後退して淳淳と距離を置くも、彼はりずにアタリに突進し、アタリは息切れになりながらもそれを避けた。


 そんな彼とは対照的に、淳淳は深く息をして落ち着いていた。頭から肩、そして足までを石というかせで縛っているにもかかわらず、淳淳が疲弊している様子はなかった。彼は再びアタリのほうに向かっていき、そして口を開いた。


「避けてばかりじゃどうしようもねぇぞ」


 アタリは淳淳の目をじっと見つめ、そして別の方向を一瞥した。それから突然正面から淳淳のほうへ駆けだし、淳淳もまた同様に動き始めた。二人は勢いを落とすことなくそのまま互いとの距離を縮めていたが、不意にアタリが言った。


「何も考えずに避けてるわけじゃねぇよ」


 そのとき、どこからともなく大きなつちが現れ、アタリは片手でそれを受け取って淳淳の頭部に振りかざした。


 鎚は大樹から投げられたものであった。彼はいつの間にか二人のもとに戻っており、自身も鎚を持って淳淳のほうへ走り出していた。


 しまった、淳淳はそう思ったものの既に手遅れであり、彼はアタリの攻撃をまともにくらってしまった。彼の頭部を覆っていた石は砕け、そこから彼の髪の一部が露わになった。


 アタリはそこを叩こうと再び鎚を振り下ろした。淳淳は脳震盪のうしんとうを起こしてめまいを覚えたが、アタリと大樹が近づいてくるのを見て身を丸めた。


 アタリはそれに構わずそのまま彼を叩くつもりでいたが、その一秒後に自身に何が起こるのかを理解すると慌てて大樹に怒鳴った。


「先輩! 腹を守れ!」


 それからアタリは反射的に自身の腹部の前に鎚を振りかざした。見ると、いつの間にか淳淳の鎧から石の柱が二本現れそれぞれアタリと大樹に向かって突出していた。アタリは寸でのところでそれを打ち砕き、大樹は柄の部分でそれを受け止めていた。


 危なかった、アタリは思った。俺の能力がなかったら、今頃二人とも腹を貫かれてお陀仏だった。


 柱を形成していた石は淳淳の鎧へと戻っていき、そして彼は立ち上がった。髪が露出していた部分は既に石で塞がれており、淳淳はそこを片手で押さえつけながら恨めしげにアタリに言った。


「やってくれたな、ゴミが」


「先にやってきたのはてめぇだろうが、ボケ」アタリが言った。


「俺はお前らに個人的な恨みはなかったし、お前らのことを楽に殺してやろうと思ってたんだがな。今ので完全に頭に来たわ、ブチ殺してやる」


 淳淳は右手を大きく広げ、その手の中から石柱を出現させた。石柱は徐々に大きさを増していき、ついに棍棒こんぼうのような鈍器が彼の右手に現れた。


 なるほど、アタリは思った。物をくっつけて防具を作るだけじゃなく、武器も出せるというわけか。


 淳淳は棍棒を握りしめたままアタリに襲いかかった。もはや大樹のことは眼中になく、彼はアタリめがけて棍棒を横に振った。


 アタリは地面に伏せて回避し、そして起き上がると同時に淳淳のほうへと走りだした。淳淳の鎧が微動したのを見るとアタリは再び鎚を振り、自身に向かって突き出た柱を砕いた。


 そのとき、アタリはある物を目撃した。全身を覆っている石を棍棒や柱の生成に回したおかげで淳淳の鎧は薄くなっており、所々彼の衣類や肌が垣間見えていた。


 それをチャンスとばかりにアタリは足の動きを速め、淳淳との間合いを詰めた。そして彼の鎧を叩こうとしたそのとき、アタリは突然顔の前を両腕で覆った。それと同時に淳淳の全身を包んでいた石が崩れ、拳大の石が四方八方に飛び散った。


 周囲のガラスが砕け、その場にけたたましい音が響き渡る中、アタリは身を固めて被害を最小限に抑えていた。


 その様子を遠くから見ていた大樹は淳淳のむき出しの肉体を目にし、素早く銃を取り出して彼に三発銃弾を放った。しかし周囲に飛んだ石が再び淳淳の肉体に戻り、彼は銃弾を防ぐと立ち上がって言った。


「何で俺の考えてることがわかるんだよ。今のは不意打ちだったんだぞ」


「だてに能力者やってねぇからな。てめぇの動きは全部読めてるぜ」


「面倒臭ぇな。俺をここまで追い詰めたのはお前らだからな、恨むなよ」


 淳淳は再び右手に棍棒を生成した。そこまでは先程と変わらなかったのだが、一つだけ異なる点があった──彼は空いている左手のほうも大きく広げていたのだ。


 突然、周囲に散らばっているガラス片が浮遊し、淳淳の手の中で集結を始めた。粉々になっているガラス片は次第に固まっていき、そしてある一つの大きな武器を形成した。


 それは刀だった。なまくらではあったが刃の部分に歪な形をした破片が固まっており、その見た目はさながらノコギリのようだった。


 淳淳は両手に武器を携えながらアタリに突進し、片手で棍棒を振りかざした。それがアタリに命中せずに地面と衝突すると、淳淳は棍棒から手を放して刀のみでアタリと応戦し始めた。棍棒と異なり機動力がある分、アタリはより素早い動きを求められ、先より激しく体力を消耗しょうもうした。


 淳淳はことあるごとに鎧を剥いでは再生させることを繰り返し、広範囲に石を飛ばし続けた。アタリと大樹は近くのマンションの一室に転がり込み、そしてアタリは息を切らしながら大樹に言った。


「らちが明かねぇ。こうなったらもう一気に終わらせるぞ」


「何か考えでもあるのか?」


「ああ。俺があの石人間のおとりになるから、先輩には今から言うことをやってほしい」


───


 淳淳はマンションのドアを一枚ずつ蹴り破りながら中を確認していた。


 マンションは二階建てとなっており、アタリと大樹が入った部屋はちょうど一階部分に当たる。これまでの所、どの部屋にも人がいる気配はなかった。淳淳はそのまま最後の部屋のほうへと歩いていき、そしてドアの前で立ち塞がった。


 片足を上げ、そして力を集中させて、淳淳は思い切り鉄のドアをへこませた。その後も何度か蹴りを入れるとドアは玄関内に倒れ、淳淳はそのまま部屋の中に入っていった。


 ──いる。


 淳淳はそう直感し、ゆっくりと部屋の中を彷徨さまよい始めた。


 寝室やトイレにはアタリの姿は見当たらなかった。キッチンにも人の気配は感じられず、残るはリビングのみとなった。


 リビングには人が隠れられるほどのものが色々あった。アタリによって荒らされたのだろう、そこには大型のソファや横に倒されたダイニングテーブルなどがあり、淳淳はそのうちのどれかに彼が隠れていると考えた。


 淳淳は棍棒を鎧にしまい込み、刀を手にしたままソファを持ち上げた。下に誰もいないことを確認すると彼は乱雑にソファを投げ捨て、続いて足元のテーブルを蹴り飛ばした。しかし、そこにもアタリの姿はなかった。


 どこかはわからないが、確実にこの部屋の中に隠れている。淳淳はそう思い、見落としのないようにゆっくりと自分の来た道を戻った。


 そんな彼の背後で、アタリは姿を現した。


 アタリは窓を覆っていたカーテンの裏に隠れており、淳淳が背中を見せたのを機に、音を立てずに彼の背中に近づいていった。足音はおろか息さえも殺し、アタリは鎚を握りしめて淳淳の後ろでそれを上げた。そして淳淳の頭部めがけて振りかざそうとしたそのとき、淳淳は背後を振り向いてしまった。


 バレた、アタリは思い、時をさかのぼろうと能力を発動しかけた。しかしそれよりも早く淳淳が動きだし、彼はアタリに体当たりをくらわせた。アタリは能力の発動を妨害され、そのまま窓を突き破って再び路上に投げ出された。この間まさに五秒。アタリが体当たりを受けることは既に確定した。


 淳淳は再び生成した棍棒でベランダの柵を破壊し、そのまま軽々とアタリと同じ土俵に立った。


「もういい加減にしろよ」淳淳は言った。「お前、疲れてるだろ。無駄なあがきなんかやめて楽になれよ。そうすれば頭を割るだけで許してやるからさ」


 彼の言う通り、アタリは目に見えて疲弊していた。顔中が汗で濡れており、彼は先ほどと比べて明らかに威勢を失っていた。


 アタリは額の汗を拭い、弱々しく言った。


「だからって俺も死にたくねぇ。ここで諦めるわけにはいかねぇんだよ」


「だったら抵抗されないようにその腕と脚を切るしかないな」


「やってみろよ。俺は五体満足で生きて帰ってみせるからな」


 アタリは鎚を手にしたままゆっくりと歩き出し、淳淳もまたアタリに近づいていった。淳淳は鎧の下で笑いながら棍棒をもてあそび、一気に距離を詰めてアタリに襲いかかった。棍棒を横に振るもアタリは一歩下がって回避し、そしてアタリもまた瞬発的に淳淳のほうに近づいていった。


 淳淳は余ったほうの手でアタリに刀を振りかざし、アタリはそれを一撃で打ち砕いた。それからアタリは続けて鎚を振り、淳淳の頭を狙って渾身の力を振り絞った。


 それと同時にアタリは腹部に痛みを感じた。見ると淳淳が隙を見て膝蹴りをくらわせており、その衝撃によってアタリの攻撃の軌道がずれ、鎧の一部を剥いだだけに終わった。


 淳淳は続けてアタリの顔面に脚を回し、そのまま彼を蹴り飛ばした。アタリは力なく倒れ込み、鼻から血を垂れ流しながら放心した状態で仰向けになっていた。


「手こずらせやがって。流石に観念しただろ」


 アタリはその言葉に反応せず依然として横になっていた。そんな彼を見て淳淳は刀を手にしたまま近づいたが、突然アタリが銃口を向けてきたのを見ると周囲の石を吸収し、アタリに削られた鎧の部分を修復させた。


「物わかりの悪いガキだな、えぇ⁉」淳淳は怒鳴った。「何でそこまで悪あがきをするんだ! 無駄なことだってお前もわかってるだろ⁉」


「いいや、こいつは悪あがきなんかじゃない。ブラフだよ」


 そのとき突然、淳淳の視界にとあるものが映った。それは球体の明かりらしきものであり、徐々に大きさを増していった。淳淳は困惑しながらもその明かりをまじまじと見ていたが、その正体に気づくと思わず息を呑んだ。


 その明かりの正体は、点火されたガスボンベであった。周りに小石が接着されており、それが淳淳の能力に反応してボンベごと彼の胸元に飛んでいたのである。


「クソが──」


 淳淳の言葉はそこで途切れた。ガスボンベは彼の胸元で爆発し、次の瞬間彼の上半身は炎で包まれた。


───


 アタリは鼻血を拭いながら立ち上がり、炎に包まれて悶絶している淳淳を見た。彼はいつの間にか能力を解除しており、体をしきりに振ったり地面を転がったりしながら自身の肉体を焼いている火を消そうと試みていた。


 そんな彼のほうへと、アタリは歩いていった。淳淳は言葉にならない声を上げてもがき苦しんでいたが、アタリが近づいてくるのを見ると途端にその動きを止めた。


 淳淳は血走った眼でアタリの顔をにらみつけた。アタリの顔はどことなく爽やかであり、まるで淳淳の殺害という任務を達成して満足であるかのようだった。


 そんな彼の顔を見て、淳淳は心の底からアタリに対する殺意を抱いた。


 彼は喘鳴ぜんめいを上げながらおぼつかない足取りでアタリに近づいていった。両者とも拳を握りしめながら互いに近づいていき、至近距離に達したところで瞬間的に動き出した。


「死ね、ゴミカスが‼」


 淳淳は喉が枯れる勢いで絶叫しながらアタリに殴りかかった。全身が炎に包まれ、真っ赤に充血した目をして襲いかかってくる淳淳の姿は、もはや狂気そのものだった。にもかかわらずアタリは一切の恐れを抱かず、ただ拳に力を乗せて燃え盛る淳淳の頬にそれを繰り出した。


 その一撃で淳淳の肉体は崩壊した。後に残ったのは粉々になったガラス片と石の山、そして未だ燃え続ける淳淳の衣類だけとなった。

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