十八通目 怒り
「たす、けて。こわい、」
花冷の嗚咽に男が視線を向ける。騒がれても面倒なだけだ。殺しておくか。男が花冷の首に優しく両手をかける。
が、その両手が突然にひしゃげる。両手は、最早手とは呼べない形へと急速に歪んでいく。男は名状しがたい激痛に叫び声を上げ、痛みで血走った目で辺りを見渡す。自分を攻撃した存在は誰なのか。その答えはすぐにわかった。
「何をっ、する⋯…!晩夏ァ!」
コンテナの入り口。いつから立っていたのか、晩夏がそこにいた。男の手が突然ひしゃげたのは、間違いなく晩夏の重力操作の影響だ。晩夏は、攻撃の真意がわからない男の問いに口を閉ざしたまま、じっと花冷を見ている。だがすぐに視線を男へと移す。この男と晩夏は同じ集団に所属する仲間のはずだ。はずなのだが。晩夏と目があった男に急激に悪寒が走る。次の瞬間には、身の毛がよだつような殺意が重力となって男を貫く。逃げる暇もなく、男の体は踊るように弾け、その中身を無様にもコンテナ中にばら撒いた。
凄惨な光景。それを眼前で目の当たりにした。それどころか、男から噴き出した血を近距離で浴びた花冷が、恐怖により言葉もなく震えている。晩夏は、そんな花冷にゆっくりと近づく。そのまま、晩夏の手が伸ばされる。花冷は、男に首を絞められるよりも何倍もの恐怖を感じながら、自身の最期を悟る。こんな光景を見せられれば、最期と思うのも無理はない。ぎゅっと瞑られた目は、重力の恐怖をただこらえようと震えている。
「殺しはしない。」
気が抜けるほど、穏やかな声音。差し出された晩夏の手は、ひんやりと冷たい手が、優しく花冷に触れ、その縄を丁寧に解いていく。花冷が驚き、目を見開けば視線に気付いた優しい赤がチラリと花冷を見る。
「あなた、は⋯…。」
花冷が思わず問う。晩夏の失踪後、QATに加入した花冷は、彼と面識がなかった。手際よく縄を解き終わった晩夏は問いに答えない。その口を強く閉じ、恐怖で腰の抜けている花冷を丁寧に抱き上げる。そうして、血肉に塗れたコンテナをあとにしようと踵を返す。
コンテナの扉は、重力操作によって、晩夏が触れずとも開かれた。降り注ぐ、久し振りの太陽光に花冷が目を細める。
「これから、どこに。」
目を細めたまま、花冷が晩夏に問いかける。晩夏が歩みを止め、花冷をじっと見る。途端に空気が凍る。その目に先程までの優しさはない。殺意や嘲笑とも違う。冷酷な、しかし此方を害すると強く決めた視線。得体のしれない生命の危機に、花冷は反射的に暴れ、晩夏を突き飛ばす。バランスを崩した晩夏に地面に打ち付けられ、転がる。腰はいまだ抜けており、立ち上がることはできないが、花冷は晩夏から距離を取ろうと必死に地を這う。
「殺しはしない。」
背後から、先程と全く同じ言葉。しかし、その声音から穏やかさは消えている。冷たく淡々としたその言葉を無条件に喜べるほど、花冷は物を知らないわけではなかった。花冷は逃げようと必死に這う。だが、無情にも、晩夏は花冷へすぐに追いつく。
「殺しはしない。」
繰り返される言葉。言葉の通じない悪魔。今の花冷には晩夏がそう見えている。見開かれ、恐怖で渇き、涙の滲んだ瞳から、地面へと雫が落ちる。再び抱き上げるため。花冷の背を包むように、冷たい晩夏の手が触れる。
「⋯…僕はお前の味方だ。この世界で、唯一。」
絞り出すような、悲痛を孕んだ声。晩夏が花冷に様々な視線を向ける理由。その嘆きが、痛みが、殺意が、そして、愛情が。自分を通して、自分ではない誰かに向いていることを、花冷は漸く理解した。
「晩夏!!」
突如とし、辺りを揺らすほどの激しい怒号が響いた。花冷を抱え直した晩夏を真っ直ぐと見つめ睨みつける蒼天。その怒りの主は三伏だ。花冷は、怒る三伏の背後に続く拝啓と菊花に安堵の呼吸を取り戻す。
「やっぱりお前だったんだな!」
三伏の怒りに任せ、抜かれた刀。刀は空を映し、青を反射する。三伏の怒りそのものとなる。
*
「拝啓さん。花くん……花冷の居場所がわかりました。」
周囲の視線が一斉に春風へと向かう。何処に?拝啓はすぐに聞き返す。春風は持っていたノートパソコンの画面を拝啓に見せながら、説明を始めた。
花冷はどうやら、港にある貸しコンテナの一つに囚われている。ノートパソコンの画面には、現場にいる新秋から、状況が生配信されていた。映像からは、コンテナの周囲には集団の一員らしき見張りが多く存在しているのがわかる。これでは、目的のコンテナに容易には近づけないだろう。
ふと、コンテナ近くに人影が映る。周りにいるラフな格好をした集団の一員達とは風貌が違う。スーツを着た長身の男。
「あー、晩夏サンじゃない?」
パソコンのスピーカーから、現場にいる新秋の声がする。その言葉に、勿論三伏がいち早く反応した。怒気を込めた声で晩夏⋯…!と呟きながら、画面を食い入るように見ている。
「余寒くん。」
拝啓が余寒に指示を出すため、パソコンの画面から顔を上げる。既に。拝啓の指示を聞く前に、余寒がそう答える。瞬間、余寒に呼び戻された入梅と向暑がその場に現れた。
「花冷が見つかったって!?」
入梅の大声に拝啓がはい、と頷く。今すぐ向かいます。視線を向けられた向暑が、パソコンの画面に映る貸しコンテナの番地を確認しながら、メンバーは!と問う。
「キミ達と、おれ、菊花くん、三伏くんでお願いします。」
向暑が了解!と返事をする。
一瞬の浮遊感。すぐに足はオフィスの平らな床ではなく、貸しコンテナの積まれたコンクリートの上に着地する。拝啓は目当てのコンテナをすぐに視界に入れると、指示を出す。
「入梅くんと向暑くんは、見張りを一掃してください。菊花くんと三伏くんはおれについてきてください。」
拝啓の指示で入梅達は走り出す。すぐに見張りが入梅に気付いたようで騒がしくなる。背後にその騒ぎを聞きながら、拝啓達もコンテナへと向かう。コンテナの正面に回り込めば、そこにいたのは、地に伏す花冷を抱き上げる晩夏の姿。
「晩夏!!」
三伏の、激しい怒号が響いた。晩夏が瞬時に此方を視認する。三伏は叫び抜刀すると、晩夏に斬りかかる。変幻自在な重力が、その
「三伏。息が上がっている。無理をするな。」
晩夏の言う通り、三伏は肩で大きく息をしている。怒りは、強靭な力を生み出すが、同時に三伏が積み上げてきた今までの修練を無に帰す。普段の、冷静な三伏から繰り出されるはずの刀さばきは、
「馬鹿にするな!」
していない。三伏の怒りを受け流しながら、晩夏は、チラリと拝啓を気にする。
三伏の攻撃が脅威ではない今、晩夏の脅威は二人の戦いを黙って見ている拝啓だけだ。異能と異能がぶつかれば、より強い異能が我を通す。晩夏の重力操作よりも、拝啓の雷は強い。拝啓が晩夏を殺すために異能を行使すれば、晩夏はすぐにでも黒焦げの死体となるだろう。
ただ。拝啓はきっと、攻撃を仕掛けては来ない。晩夏には確信がある。拝啓は、どんな悪人だろうとギフト以外を殺そうとしない。だが、悪人を逃すことも決してない。そういう男だと、かつてはQATに所属し、拝啓の部下であった晩夏は知っている。だからこそ、拝啓から逃れ、この場を離れる隙を伺っていた。
「晩夏!」
拝啓を注視していた晩夏に、三伏の刀が大きく振り下ろされる。
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