十通目 雷乃発声

「来た。」

 物陰から様子を伺う前略が小声で言う。前略の視線の先には、異常異能者の青年がいる。片側の頬が腫れ、痛みを誤魔化すように片腕を押さえる様子は、前略が想像していたよりも満身創痍だ。菊花達四人から逃げ切ったという割には、怪我や服にこべりつく血液が多いように見える。菊花もそれを疑問に思ったのか、一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに任務の遂行へと意識を向けた。


「また会ったな。」

 菊花が青年の前に立ち塞がる。勿論、視界に収めた対象を自在に操る青年の前にノコノコと顔を出すのは愚策。青年の前に現れた菊花は前略の異能、『蒙霧升降ふかききりまとう』によって映し出されている幻覚だ。現に青年は、菊花を異能で壁に打ち付けようとしたのが失敗したことで、その菊花が幻覚だとすぐに気づき、舌打ちをした。

「隠れてないで出てこいよ!」

イライラとした様子の青年の怒号を機に、幻覚は沢山の菊花を映し出す。青年は苛ついた様子で全ての菊花に小石をぶつけていく。幻覚がかき消える中、一人だけ小石を躱し、曲がり角を曲がって青年の視界から消えた。明らかに青年を煽るような行動に怒りをあらわにした青年が菊花の背中を追いかける。


「対象、まもなく目標地点到達。」

 前略が、インカムで入梅に指示を出す。

「やっちまいな!向暑!」

入梅の叫びとともに、青年の視界が三百六十度全て変わる。目標の採石場。目の前には菊花。青年がすぐに菊花に攻撃を仕掛けようとした、瞬間。


 地鳴りのような唸り声。大地を震わす叫喚。巨大な腕が青年を弾き飛ばす。弾き飛んだ先で、青年が採石場の石にぶつかり轟音を立てる。今の腕の主は、間違いなく計画通りに三伏が連れてきたギフトだ。

 しかし様子がおかしい。これは本当に愚鈍で脅威のなさそうなさっきのギフトなのだろうか。毛に覆われた熊のような風貌。俊敏に動き、青年を弾き飛ばした長い鉤爪のついた腕。見開かれた目玉は六つ。限界まで血走り、焦点の合っていない瞳は、どれもがギョロギョロと違う方向を向き忙しない。外まで飛び出す鋭い牙のせいで閉まらないのか、半開きの口からは絶えずよだれが滴っている。喉奥から響く唸り声によって、その牙が振動し、ガチガチと音を鳴らしていた。

 こんなものに勝てるはず無い。全員が息を呑む。このギフトを連れてきた三伏が無事なのかすら考える余裕がない。

 だが、ただ一人。このギフトに立ち向かおうとする人物がいた。それは、吹き飛ばされた青年だ。辛うじて潰れてないとでも言うべきか。満身創痍の体を起こし、その視界にギフトを収める。巨体とともに周囲の石が持ちがあり、ギフトの体を抉っていく。ギフトから流れ出る黒い液体が辺り一面に雨のように降り注ぐ。ギフトは苦痛により叫び声をあげ、地面に叩きつけられる。

 猛攻により静かになったギフトを他所に、菊花は青年の様子を確認するため、青年に駆け寄る。青年は、異常異能者集団への手掛かりであり、死んでしまっては困る存在だ。だがそれがよくなかった。

 突如、菊花の体が宙に浮く。そして何度も、何度も何度も何度も壁や地面に打ち付けられた。咄嗟のことで菊花も反応できず、ただ傷つく体に呻き声を上げることしかできない。横たわるギフトのせいで視界が悪いためか、共に来た前略達には状況の把握ができない。誰も菊花を助けられない。最悪の状態だ。先程のギフト同様、地面に強く叩きつけられた菊花の上に青年が馬乗りになり、その首を強く絞める。

「死に損なって可哀想にな、兄ちゃんが今度はちゃんとぶっ殺してやるよ。」

 意識が朦朧とする中、その言葉で菊花の脳裏に何かがよぎる。


 それは、大いなる光に救われる前の記憶。その記憶は、薄く朧げで儚い。幼い菊花が死人のように生きていた日々。両親を生きたまま喰らう怪物。軋み崩れる家の中で、座り込む菊花に必死に手を伸ばす一人の少年。少年はしきりに菊花に声をかけているが、当時の菊花には何も届かない。彼は、鏡に映った自分のように菊花によく似ていた。そうだ。彼は。遺体も見つからず、両親と共に亡くなったとされていた人物。それは、菊花の実の兄。


 菊花の首から圧迫感が消える。ハッとした菊花の前には巨大なギフトの腕。ギフトはまだ死んでおらず、再び青年を弾き飛ばしたらしい。その腕はそのまま菊花の頭蓋を潰そうと降りかかる。

「さ、せ、る、かぁ!」

 叫び声と共に銀色の刃がその腕を吹き飛ばす。三伏の刀が、ギフトの腕を斬り落としていた。三伏の立ち姿は、明らかに満身創痍だ。ギフトの誘導で、何度か攻撃を食らったらしい。

 だが、三伏はすぐに体勢を変え、ギフトの顔めがけて跳びかかる。その目の一つに深く刀を突き刺せば、ギフトが慟哭と共に勢いよく頭を振る。ギフトは吹き飛ばした三伏へ、迷わず狙いを定めた。

 このままでは三伏は殺される。菊花は、もう動かないはずの体を無理矢理動かし立ち上がる。その腕には、度重なる攻撃で折れたであろうギフトの鉤爪が抱えられている。その鉤爪を、ギフトにめがけ、勢いよく突き刺した。


 ギフトの、顔が、ぐるりと回転する。ギョロギョロと動いていたはずのその目玉はただ一点。菊花のみを見つめている。菊花が本能的に息を呑む。今度こそ駄目だ。あの日、自分を喰おうとした怪物も、確かこんな顔をしていた。菊花の脳裏に、走馬灯が駆け巡る。


かみなり

 菊花の走馬灯を遮るように。この場に似つかわしく無い、穏やかな声が、菊花の耳に鮮明に届く。

すなわち

その声を知っていた。菊花は、誰よりもその声を知っていた。

発声こえをはっす。」


 照らすは雷光。鳴り響くは雷鳴。穿つはギフト。青白い輝きが、声の主により勢いよく放たれる。それは神罰にも似た、天の矛。


 これまでの攻撃に比べればたった一撃。されど一撃。ギフトは喘鳴を上げ、ピクリとも動かなくなった。やがてそれから、死を告げるように徐々に形が失われていく。討伐完了。ギフトのいた場所には、ゆっくりと一人の男が歩いてくる。白い髪と長いコートが風にたなびいた。


「間に合いましたかねー。」

 穏やかで間延びした声が、男の口から放たれる。倒れる菊花を見つけ、男は菊花を抱き上げた。

「はい、けい、さん。」

菊花が安心したように口を動かす。

 そう、この男の名こそが拝啓。関東支部のボスであり、QATが誇る最強の異能者だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る