ヨロズ作家 引きこもり作家(志望)の謎解き

大寺 東

第1話

 ここに一人の書けない小説家志望の男がいる。すたれた長屋でただ一人、ひっそりと暮らしている。日銭を稼ぐために汗を垂らすこともなく、一日一日を無為むいに過ごす。ただ文机ふづくえに向き合い、真白な紙に墨のついていない筆を滑らせて、日が暮れるのを待ちわびていた。


 男の名は革左衛門かくざえもん。古臭く感じる己の名前が、維新の波に乗り遅れ、鎖で閉ざされているように感じさせるので嫌いであった。

 革左衛門には、小説を書くことで己の身を助けようと思ったきっかけも、最早もはや思い出すことはできない。ただ生きるのが苦痛であった。それでも、明日になれば書けるはずだと昨日と変わらない今日を過ごすのである。

 いつもと変わらないある日、革左衛門をたずねる声がした。建付たてつけの悪くなった引き戸に拳をどんどんと叩きつける音と、呼びつける大きな声。


「おうい、起きてんだろ。仕事を持ってきてやったんだ。開けるぞ」

 そう言うと、鍵の掛かっていなかった引き戸はあっという間にこじ開けられた。扉を挟んだ外側には、三つ揃えのスーツを華麗に着こなし、伸びた髪の毛を後ろへと撫でつけた眉目秀麗びもくしゅうれいと呼ぶに相応しい青年が立っている。

 革左衛門が心のうちで親友と呼ばわるその青年は藤堂佳祐とうどうけいすけといった。文化の違いをもろともしない佳祐は、性格や気質が革左衛門とは対極にありながらも、学生の頃から革左衛門の傍にいたと記憶している。


「なんだ、起きていたのか。革左は俺が来ないと、外に出ないからな。―どうせ、前に会った時から湯屋にも行かず、まともな飯も食べていないんじゃないか。ほら、とりあえず風呂だ。その後、昼飯を食べに行くぞ、革左」

 文机に向き合っているまん丸猫背をピシャリと叩きつける。

「っ佳さん!び、びっくりした……。ご飯は、大家さんが恵んでくれていたから安心しておくれよ。……湯屋は嫌いなんだけど」

 洗濯を繰り返しすっかりと色褪せた着流しを着て、ぼさぼさになった髪をガシガシとかきむしる。革左衛門の体はすっかり強張こわばっていた。そのまま肩を掴んで前後左右に揺さぶってくる佳祐にしびれをきらし、革左衛門は墨もついていない筆を置いた。関節がいびつな動きをしていると思いながら、ノタリと立ち上がると行李こうりを漁って着替えを手に玄関へと向かった。



 長屋の近くにある湯屋は江戸時代のおもむきがわずかに感じられる古さをしていた。中も薄暗く、隅には埃が溜まっていてあまり清潔そうに見えないから、革左衛門は嫌いで仕方なかった。

 湯屋の前でげんなりとしていると、佳祐に中へと無理やり押し込まれた。面倒に思いながらも、服を脱ぎふんどしを解く。手拭いと、以前いつだったかに佳祐から貰った石鹸とやらを持ち浴場へと足を踏み入れた。


 お湯を身体にかければ、強張っていた得体も知れない塊がするりと流されていく。力が抜けていくと腹が減っていることをよくよく実感することになった。何とか手を動かし、皮脂ひしでべっとりとしている髪の毛から、すっかりあかの溜まった足先まで力の限りこすりつける。

 湯船には浸からない。革左衛門はのぼせやすく、身体が温まり過ぎるのが嫌いで仕方がない。佳祐が待っているからと言い訳を並べ立て、汚れを落とすとさっさと浴場から出て行った。


 髪の水気を絞りながら、新しい着流しに着替えた革左衛門が湯屋から出てくると煙草をふかして待っていた佳祐が、すぐにこちらに気づく。

「サッパリしたろう。腹も減っているだろうし、景気よく牛鍋と行こうじゃないか。そこで、仕事の話をするぞ、革左」

 煙草を投げ捨て汚れひとつない革靴でザリと踏みにじっている佳祐の声は、至極しごくほがらかだ。言い放つと、佳祐はくるりと体の向きを変え、革左衛門を置き去りに颯爽と歩き出す。

 金なんて持っていない、持っているのは汚れにまみれた自身の着衣のみの革左衛門は、ひょこひょこと佳祐の後をゆっくりと追いかける。どうせ、佳祐のおごりなんだと考えているその足取りは、軽快なリズムを刻んでいた。


 佳祐が贔屓ひいきにしているらしい牛鍋の店は、こじんまりとしていながらも手入れが行き届いており赤い絨毯じゅうたんに華やかさを感じるおもむきをしている。四十絡みの女性は女将の様で、親し気に佳祐といくつか言葉を交わしながら革左衛門と佳祐を中へといざなう。卓に通され、腰を落ち着けるなり佳祐は「牛鍋を二人分、お願いする」と元気よく注文する。


 そうとは見えなかったが、相当に腹を空かせていたらしい。佳祐は待ちきれないのか、どこかソワソワとして落ち着きがない。革左衛門は向かいで少年のように忙し気にしている佳祐を視界に収めながら、家を訪ねた佳祐が口にしていた仕事について聞いてみようと口を開いた。


「ね、ねえ佳さんっげっほげほ!―の、喉が。茶をくれるかい……はあ、仕事ってのは一体何だい?い言っとくが、身体をう、動かす仕事は僕には、む無理だよ。見てごらん、骨と皮しかない。すぐにくたびれちまう。ま、まともな仕事は出来っこない」


 これまでにも何度か働くという行為には挑んだことはあった。全てで三日と持った試しがない革左衛門は、口調が早くなりどもりが止まらない自身を恥じる。それらの仕事の中には佳祐からの紹介だったものもいくつかあったが、結局駄目だった。全てから逃げ続けている革左衛門は、今回こそはあらかじめ断らねばとへその下の方に力を籠める。気合を入れねば、佳祐は口が上手いのでかわすことは難しい。

 革左衛門の葛藤かっとうする心の内なんて知るよしもない佳祐は、革左衛門の方へと少し身を乗り出してくる。革左衛門に耳を出せと合図をすると、口を寄せるといささか低く小さくささやいた。


「今回はいつもと違う。さるお方のお嬢様たっての頼み事なんだ。くれぐれも他言不要で頼む。……ふう、隣に座ればよかったかな。ああ、ブローチを無くしてしまって見つけて欲しいそうだ。家中探したが見つからんとかで、盗みにでも入られたのかと気が気じゃないらしい。そう身体を動かすことも無いだろうし、短い期間で済むんじゃないか。どうだ、うってつけの仕事じゃないか?」


 好奇心が顔を覗かせている佳祐の声音はふわふわとして、明るい。乗り出していた身を戻すと、一気にまくし立てた。革左衛門をひたむきに見つめてくる瞳はきらりと輝いている。

 親友の頼みを断る葛藤と闘っていた革左衛門は初めて聞く、ブローチが一体どういう代物なのか興味心をくすぐられた。どんな見た目をしていて、どうしてそうまでして探さないといけないのか、とんと見当がつかない。

 耳をくすぐってきた佳祐の息遣いを忘れるためと心の中で言い訳しながら、、興味心を捨て去るべく頭を左右にブルブルと振ってみる。それでも、佳祐の言葉は革左衛門の脳裏を反芻はんすうし続けている。

 お嬢様、無くしたブローチ、身体を動かさない仕事。

 こちらを見つめている佳祐の視線には決して絡めとられまいと、革左衛門は机に視線を落とした。牛鍋がくるまでの間、革左衛門は頭の中をぐるぐると思考が回る感覚に酔いしれていた。

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