二十、
土倉刑事が、急いで起き上がって千秋刑事の後ろに引っ込んだ。寝室出入り口に立ち塞がる刑事さんたちと、脚つきマットレスの上にいるぼくたちは、再び睨み合う格好になる。ちなみに、ぼくはまだからだを動かせず、マットレスに仰向けに寝かされたままだ。
「どうする?」背中を丸めて、千秋刑事の後頭部に話しかける土倉刑事。「千秋くんの飛電が
「ですね」振り返らずに彼女が応じる。「もうめんどくさいんで、野々さんは消しますか」
「冗談でもそういうこと言わないの」
「すんません」
「でも、いちおう、消去法で結論は出てるよね?」
「はい」
「じゃあ、それで行こう」
「分っかりましたあ」
土倉刑事が姿勢を直すと同時に、千秋刑事がこちらに向かって喋りだした。
「自称盾をどうにかすんのは、やめときますわ。たぶん、あたしが
「それはありがたい」オルガさんがにこりとして、
「おべんちゃら使ってんじゃねえよ」いちいちキレる千秋刑事。「はっきり言えば? あたしなんか雑魚だって」
「いや、そんなことは、別に思ってないんだが……」
「で、」千秋刑事の冷たい視線がぼくに移る。「野々さん、今日はあんたを確保して、記憶を消すのも諦めます」
「そ、それは、ありがたい」ぼくもオルガさんにならって、なんとかにっこりしてみた。
「どこがありがたいんですか?」なんか責められた。不興を買ったようだ。
「え、……だって、ぼくをこのまま、自由にしてくれるんですよね?」
「しません」
「えっ」
「今日は諦めるって言っただけです。そうですね、四、五日あとくらいにまた来て、あんたのことを処理します。そのときは、有無を言わさず」
「ああ、そうか、オルガさんを倒す準備にそれくらいかかるってことか」
「違います」
「えっ」
「あんたを虫の息にするのに、それくらいかかるってことです」
そこで千秋刑事は再び、顔は全然笑わないまま、口の端だけ上げた。ひどいことを言うときの癖なのだろうか。
「これから、別の人手を出して、この部屋からあんたが一歩も出られないように、四六時中監視させます。食事も水も一切出しません。そのまま、四、五日経ったらどうなるか、言わなくても分かるでしょ?」
「ああ、そりゃあ、まあ……」
つまり、ぼくとオルガさんを兵糧攻めにして、弱らせるというか、ぼくに至っては、死ぬ寸前まで追い込むわけだ。オルガさんは、ぼくを死なせるような真似はしたくないだろうから、ぼくを守るために、降伏すると踏んでいるのである。実に良い趣味だ。悪い意味で。
「うん、痛いところを突かれたな」
オルガさんが腕を組み、苦笑いした。「しかし、持久戦に持ち込まれたら、もはや、わたしに打つ手がないことは、遅かれ早かれ看破されると思っていたよ。逆の立場なら、わたしもきっと、そうするだろう」
「あーあ。最初からこうすりゃ良かった」千秋刑事、言い方がいかにも嫌みったらしい。「それで? どうする? いまそいつを渡す? それともぎりぎりまで悪あがきする?」
「それは、」
オルガさんは
「ノノと話し合って決めよう」
「あっそ」千秋刑事が腰に手を当て、鼻からため息をついた。「ま、気の済むまで喋んな」
「ふふ、許可が下りた」
おもむろに左手の防具を取ると、オルガさんは、人差し指からアストリッドの指輪を外し、脱力しきったぼくの右手を取って、また小指に指輪を嵌めた。
〈さて、これからの話をしよう、ノノ〉
「日本語で喋れや、日本語で!」
早速千秋刑事に怒鳴られたけれど、彼女は全然意に介さず、ぼくに向かって語りかけてくる。
〈先ほど言ったとおり、この部屋にあなたが監禁されてしまったら、いまのわたしには対抗する術がない。しかし、わたしは決して、あなたを守りぬくことを諦めてはいない。必ず、どこかに突破口があるはずだ。ただ、それを探る前に、あなたのきもちを確かめておきたい〉
〈ぼくのきもち〉
〈うん。……あなたは、わたしと一緒にいることを、おもしろくて特別なことだと言ってくれた。しかし、これからもおもしろいかどうかは、わたしには保証できない。相手は、肉体的にも精神的にも、わたしたちを、じわじわと極限まで追い詰めるつもりだからな。それでもあなたは、わたしに付き合ってくれるのか?〉
〈うーん……〉
ぼくは首を傾げて、数秒思いを巡らせたあと、こう応じた。
〈その質問に答えるの、ちょっと、保留にしても良いですか?〉
〈……うん?〉彼女も首を傾げる。〈というと?〉
〈オルガさんには打つ手がないって話ですけど、まだ、分かんないんじゃないかなと思って〉
〈ほう。なにか、ノノには考えがあるんだな?〉
〈ええ、まあ、はい〉
ぐっと顔を近づけてきた彼女に、少々気圧されながらぼくは説明した。
〈テクノロジーです。例の張り紙をつくった、板みたいな道具があるじゃないですか。あれを使って、張り紙をどれくらいのひとが見てくれたのかとか、だれかがお手紙をくれてないかとか、そういう、反響を確かめることもできるんです。もし反響が大きかったとしたら、例えば、第二弾の張り紙をつくって警察のやり方を暴露するとか、お手紙の返事を書いて助けを求めるとか、いろいろやれることが広がってくると思うんです。そういうのもあの道具なら、できます〉
〈なるほどな!〉オルガさん、にわかに話に食いついた。〈それはやろう。いますぐやろう〉
そして、彼女の姿が、目の前からなんの前触れもなくぷつりと消えた。と思ったら、
〈持ってきたぞ〉
いきなり反対側から彼女の声がしたので、びっくりして頭を向けると、普通に彼女がマットレス脇の床にしゃがんでいて、しかも件のタブレットを両手に抱えていた。
「あっ、瞬間移動しやがった!」案の定、千秋刑事が騒ぎ立てる。「でか女の背中しか見えねえし! こっち向けや、こっち!」
〈絵が真っ暗になっている〉無視して話を進めるオルガさん。〈どうしたら、前のように絵が光るんだ?〉
〈そうか、ぼく、いま動けないから、オルガさんに操作してもらわなきゃいけないんですね〉
そこで、
〈おお。こう持つのか〉
〈あと、オルガさんの利き手は、右左どっちですか?〉
〈右だ〉
〈じゃあ、右手の防具も取ってもらって良いですか? この道具は、素手じゃないと反応しない部分があるので〉
〈分かった〉
〈そうしたら、ええと、上の辺に、すごく小さなボタンがあるのが分かりますか?〉
〈ボタンとは、うーん……、もしかして、これのことか?〉
〈そうそう。そのちっちゃな突起を、絵が光りだすまで、優しく押し込み続けてください〉
〈ほうほう、押し込む……〉
指示どおり、神妙に本体右上のボタンを長押ししたオルガさんの表情が、画面に果物のロゴが点灯するやいなや、ぱっと明るくなった。〈前と同じ絵が光った!〉
〈これで、道具の起動がはじまったので、もうボタンから指を離して良いです。しばらくして、起動が完了したら、絵が、この世界で有名な油絵に変わります〉
〈……変わった! これも前に見たな〉
ゴッホの「星月夜」を背景に、日時が白く表示された、いわゆるロック画面である。
〈そしたらですね、ぼくの右手の人差し指を、さっきのボタンの上に乗せてくれませんか?〉
〈ノノの指を? 分かった〉
彼女はぼくの右手首をそっと掴むと、素早く、かつ慎重に指をボタンにひっつけた。すると、瞬時に指紋認証が通ってタブレットのロックが解除され、「星月夜」の上へ、さまざまなアプリのアイコンがしゅっと色とりどりに集結した。いわゆるホーム画面である。
〈おおう〉目を
急にぼくの右手が放り出され、
タブレットがそっぽを向いた。
オルガさんも話の途中で黙ったので、なにごとかと視線を上げたら、知らぬ間にぼくたちの背後に迫っていた千秋刑事と、しゃがんだまま振り返ったオルガさんが、片手に浮かべた飛電と素手の裏拳を、互いの顔面へ突きつけて
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