十九、

 脳内麻薬が出てきたのか、そういう呪術だったのか、ほどなくして全身の痛みがすうっと引き、金色の光のつぶも見えなくなった。ただ、首から下のからだは、相変わらず自分のものじゃないみたいに、力が入らない。

「ん、顔がおだやかになったな」とオルガさん。「喋れそうか?」

「あめんぼ赤いなあいうえお」あごも喉もなんとか動く。「喋れそうです」

「それは良かった」

「はーいふれあいタイムは終了でーす」

 千秋刑事のとげとげした不機嫌声が飛んできた。オルガさんが、ぼくをお姫様抱っこして立ったたまま、声のした方を向く。

 ぼくたちは寝室窓側の奥、ミニストーブの前にいて、出入り口を塞ぐように立つ刑事さんたちと、ちょうど対角線上に向かい合う格好になっていた。たぶん、飛電を食らって万歳したまま倒れたぼくの手が、寝室の出入り口を突破した瞬間、中で待ち構えていたオルガさんがそれを掴み、神業的な力と速さでぼくの全身をのだろう。で、感電とかもお構いなしにぼくを抱え上げ、退避してくれたわけだ。いかにも彼女らしい、いちいち助け方。

「やあ、」口の端だけ上げて、千秋刑事がオルガさんに呼びかけた。

「きみは、わたしの名前を知っているはずだが」穏当な口調で応じるオルガさん。「初対面の人物に呼ばわりされるのは、まあ、嬉しくはないな」

「だろうね。ま、こっちは喧嘩けんか売ってるつもりなんで」

「喧嘩を買うつもりはないんだが……」

「買えとは言ってねえから。――野々タカシを、こちらに引き渡せ」

 千秋刑事の態度が、ぼくと話すときと全然違う。あれでも、なんというか、ちゃんと丁寧に扱ってくれていたような気がしてきた。オルガさんに対しては、まず第一に敬語じゃないし、口ぶりも荒い。これが、に対するいつもの接し方なのだろうか。

「悪いが、それはできない」オルガさんは毅然と拒否した。「先ほどまで、きみとノノの話を聞かせてもらっていたが、ノノは、わたしと一緒にいるのがおもしろくなってきたから、このうちを出ていかない、という意思をきみに伝えたはずだ。多少物好きだとは思うが、いのちの恩人に気に入られたことは、素直に嬉しい。だからわたしは、ノノを支持する。ノノの意思に反して、無理矢理わたしとの繋がりを断とうとするきみたちに、ノノは渡さない」

「あっそ」

 千秋刑事はうっとうしそうにひと言放ると、両手をこちらの方に向けた。「じゃ、力尽くで引き剥がすわ」

「お、先ほどの電撃か?」オルガさんが興味津々、といった感じで目を見開く。「魔法陣を出さない魔法。にはないものだ。きみは、相当手練れの魔道士なのか?」

「答える義理はねえ」彼女の両手のひらのもとで、再びばちばちと、青い光の球がふくらむ。「黙ってこいつを食らいな」

「ふふ、つれないな」一方のオルガさんは、なんだかずいぶん悠長にしている。「では、早速、お手並み拝見といこう」

「おーお余裕ぶっこいてんねえ、!」

 すっかり喧嘩腰な千秋刑事が、罵倒のあとで叫んだ。

「【飛電】!」

 ばん、と光の球が発射され、こっちに向かって突っ込んでくる。一瞬、ぼくの脳裏に、さっきのおもしろ断末魔や、この世のものとは思えない痛みと痺れの悪夢がよぎって、思わず目を瞑りかけたそのとき、

 視界がぐわん、と真横にぶれて、

「ははあ、なるほど」

 というオルガさんの感嘆が聞こえるのと同時に、

 寝室の光景らしき映像が、思いっきり揺さぶられ、

 滅茶苦茶に混ざり合って、わけが分からなくなった。

「追尾するんだな、この電撃は」

 オルガさんがまったく息を切らさずに、平然とことばを発する。

「しかし、でわたしには当てられないだろう。さあ、どう出る? 魔道士」

「見えねえし! 全然見えねえし!」

 いらだちをあらわにした千秋刑事の声が、

 それでぼくは、ようやく状況を理解した。

 オルガさんは、ぼくを抱えたまま、、それこそ、常人には残像も見えないくらいの速さで、寝室の中を転々と動き続けて、ひたすら飛電をいているのだ。それも、。まさしく超人である。

 けれど、彼女のこの戦法には欠陥があると思った。それは、おとなしく抱っこされている、ほかでもないぼくの存在である。

 ぼくは常人なので、まず、こんなに激しく揺れ動いたら、からだの中身がこれでもかとシェイクされて、いろいろダメージを受けること必至のはずだ。ただし、その割には慣性みたいな感覚がまったくしないから、もしかしたら、なにかが働いているのかもしれない。

 それはまあ良いとして、次に、ぼくの見るものや聞くものが、もう上下左右があるのかさえ判別できないほど、ぶれたり回転したりしまくっているので、どうしてもそれを理解しようとしちゃう脳みそが、全然太刀打ちできずにパンクしちゃうのだ。で、結果として、

「酔う~」

 早速ぼくはきもち悪くなってきて、たまらず弱音を吐いた。「オルガさん、すごく酔う~」

「おお、ノノにははつらかったか」オルガさんが優しいまなざしでぼくを見下ろす。「だが、あの魔道士とやり合うのにはもう少し時間がかかりそうだ。そうだな、しばらく目を閉じているか、

 狭い六畳間の寝室の中で、縦横無尽に高速移動しながら、ぼくをお姫様抱っこする全身鎧の女のひとに、さらりと言われた、『わたしだけを見ていてくれ』。

「……」

 そこに、なぜだかぼくは、滑稽さとロマンティックが入り乱れた、すてきなを感じ取ってしまって、不覚にも、ちょっとときめいたのだった。それで、こう返事した。

「分かりました。オルガさんを、見ます」

「ふふ、そうか」

 彼女はぼくに微笑んでみせてから、顔を上げて真正面に問うた。

「これで仕舞いか? 魔道士」

「んなわけねえだろ、いま絶賛仕込み中よお!」

 千秋刑事がどこからかえる。

「【飛電・九連】!」

 ばんばんばんばんばん、と続けざまに破裂音がした。その度に、オルガさんの顔、というより視界全体が青白くライトアップされていき、最後には他の色を失って、光と影だけになってしまった。

ことにしたか」オルガさんがつぶやく。「この空間の狭さを考えれば、常道だな。では、」

 そして彼女はにやりと笑うと、その瞳にいっそうの光――キマイラとの戦いのときに垣間見えた、狂気じみたもの――を宿して、真正面へと言い放った。

「わたしも常道で応じよう!」

 刹那、頬をびゅんびゅんかすめていた風がぴたりとやんで、オルガさんの顔、の背景が、いきなりくっきり見えるようになった。彼女がのだ。

 首を素早く動かして、ぐるりの状況を確認する。ぼくを抱えたオルガさんは脚つきマットレスの上に立っていて、両手をこちらに向けたまま怖い顔をした千秋刑事は、相変わらず寝室出入り口付近にいる。土倉刑事はその後ろで腕組み。というかそんなことより、寝室の至るところに飛電の光の球が浮かんで、さながらアート空間のようになっていることが判明し、ぼくは速攻、絶望した。

「ええぇ……」

「大丈夫だ。あなたはわたしが守る!」

 オルガさんは、これまた勇ましくぼくのひるみを吹き飛ばして、

 すとん、

 と、ぼくを、無造作に

 その直後、

 光の球が全部、オルガさんに撃ち込まれ、

 激しくスパークしながら、次々と爆ぜた。

 マットレスに落とされたぼくには、なんの反応もする間もなく、一瞬でなにもかも終わってしまった。視界は色を取り戻し、周りは静まりかえり、まともに飛電を受けたオルガさんの鎧のあちこちからぱちぱち小さな火花が飛び散って、焦げたような臭いと白煙が漂う。

「オルガ……さん?」

 彼女は真顔で正面を見据えたまま、沈黙して、微動だにしない。

 両手を下ろした千秋刑事が、背中越しに「土倉さん、」と声をかけると、彼がこっちへ駆け寄ってきた。ぼくのことを見ているから、ぼくを回収するつもりなのだろう。

 あれ、ひょっとして、こんなにあっけなく、の? とぼくが疑いかけた

 次の瞬間、

 土倉刑事が、とっさに大きくのけぞり、その勢いで足を滑らせて、思いきり後ろへ転倒した。

「ノノは渡さない、と言ったはずだ」

 からりとしたその声を聞いて、急いで首を回してみると、オルガさんが、いつの間にか背負っていたつるぎを抜いて構え、その切っ先を、土倉刑事に向けていた。

「うん、」

 彼女はひとつ頷くと、ぼくのことを見下ろして、心底楽しそうに言った。

「これは、すごく痛いな!」

 なにか、こちらに同調して欲しそうだったけれど、あまりにも晴れやかにおっしゃるので、ぼくは正直、とても困惑した。とりあえず、返事だけはする。

「あの、ええと……、そうですね」

「痺れもひどい! やはり、手練れの魔道士だ」

「あの、……あれ?」

 ようやく、状況に頭が追いついてきた。湧いてきた疑問を、そのまま投げかける。「オルガさん、どうしてんですか?」

「ん?」

 その問いを待ってました、と言わんばかりの嬉しそうな顔をして、彼女はこう答えた。

「わたしが、とても、頑丈だからだ」

「そういう問題じゃねえよ、この!」半笑いで千秋刑事がキレた。「飛電を十発まとめて食らったら普通、象でも気絶するわ。だから言ったんだ、てめえは、って」

「はっ、なんとでも言うが良い」

 オルガさんは笑い飛ばすと、つるぎの切っ先を真上に向けて構え直し、堂々と名乗りを上げた。

「わたしは、オルガ。聖王陛下の盾たる、ブレイザブリクのニスカヴァーラ家、第十三代当主リクハルドが第三子だ。――そして、ヴィクトル魔王討伐隊の盾、それにこの、ノノ・タカシの盾である!」

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