十七、①
「ぼくの記憶を、消す」
正直言って、ぼくはさほどショックじゃなかった。
そんな、映画のような現実離れしたことを、まだ子どもである千秋刑事の口から告げられること自体、話がぶっ飛び過ぎていて、あんまり真面目に受け止められなかったし、どちらかというと逮捕とか、留置所行きとか、拷問みたいな取り調べとか、もっとひどい目に遭わされることを覚悟していたからだ。
なので、ぼくは逆に、この話に興味が湧いてしまった。
「なんか、そういう、すごい薬があるんですか?」
「ないです」千秋刑事が即否定する。「え、気になるとこ、そこ?」
「いや、記憶を消されるの、はじめてなので……」自分で言っててもおかしな弁解。「じゃあ、ぼこぼこに殴って、消す?」
「ふざけてんの?」睨まれた。「下手したら死ぬでしょそれ」
「ああ、すみません、もう分かりました。催眠術だ」
「呪術です」さじを投げるように正解を言われた。
「呪術」
知っている。要は、痛いの痛いの飛んでいくやつに代表されるような、おまじないのことである。たぶん、自分たちのことを異常だと称したこの刑事さんたちは、本当に、痛いの痛いの飛ばしちゃうような特殊な力を持っているのだ。それなら分かる。なんでもありだから。
オルガさんは、その呪術の力のことを「魔の気配」だと察知して、さっきぼくに警告してくれたのだろう。
「あのちょっといかれた技官は、記憶をいじる、機密保護専門の呪術師です。昨日から今日にかけてオルガさんに関わったひとのうち、あたしたち本部の限られた人間以外、全員の、オルガさんに関する記憶を全部消してもらいました」
「全員。……ってことは、救急隊のひとたちも、ってことですか?」
「もちろん。いまはもう、オルガさんやあんたのこと、なにひとつ覚えてませんよ」
脳裏にふと、隊員たちのことが浮かんだ。別に友達でもなんでもないし、死んだわけでもないのに、なんとも言えないもの悲しさを覚えてしまい、このきもちはなんだろう、とちょっと考えてみたら、段々その意味が分かってきて、空恐ろしくなった。
ぼくがもの悲しいのは、ぼくたちが、殺されたからなのだ。
前の日の夜、オルガさんやぼくと繋がり、彼女を助けようとしてくれ、彼女のキマイラとの戦いを見届けた三人の隊員は、本意かはともかく、それらの記憶を、完全に捨て去ってしまった。それは、彼らの中のぼくたちを、殺すことに等しいのである。
よく聞く話に、ひとは死のうとも、遺されたひとの記憶の中で生き続けるというやつがある。その逆パターンだ。つまり、ほかのひとたちの記憶から、存在ごと消えてしまったなら、ひとは、その時点で、なかったことになるということ。
「このまちの消防の人間、駆けつけた救急隊員、所轄の警察署の人間、そしてあの二人」
千秋刑事が、あまり意味のなさそうな指折りをしたあと、言った。「総勢ジャスト五十人。鎧を着たおかしな女のひとがここにいることレベルの情報すら、ひとつも余すところなく消去したんです。土倉さんと技官がお昼までに、あんたとあの二人以外を片付けてくれたんで、あたしは普通に学校終わりからの参加で良いなー、って、安心してたんすよ。そしたらこれだもん。ToTubeにheXunだもん。ほんっとあんた、余計なことしてくれた」
このままだと、良い歳した大人が中学生から理不尽な説教を受けることになりそうだったので、ぼくは「あの、」と小さく手を挙げて、こっちが知りたいことを聞くことにした。
「そもそも、なんでオルガさんのこと、そんなに秘密にしたがるんですか?」
「異常だからに決まってんじゃないですか」口を
「オルガさんが、その、なんていうんだろう、ただ者じゃないことは、分かってます。尋常じゃない回復力といい、物理法則をぶっちぎった動きといい」
「じゃあ聞きますけど、それは人間ですか?」
「え?」
これはペンですか? みたいなおかしな質問をされたので、ぼくは戸惑った。「オルガさんは人間でしょ、どっからどう見ても」
「いいえ、人間じゃないです」
ぼくの認識を真っ向から否定すると、千秋刑事は、肩にベルトでかけていた黒いバッグをごそごそとまさぐりだした。
「この世界でわきまえるべき、道理から外れてる。別の世界の道理で動いてる。この世界にはありえないもの。それはどんな姿形をしていようとも、異常でしかないんですよ。そして、この世界と異常とが強く結びつけばつくほど、二つの道理が干渉し合って、この世界の根底を揺るがしかねない。そうなんないように、異常の芽を摘んで、道理を正すことが、あたしたちの任務です。その手はじめが、異常を最重要機密として、文字どおり、門外不出にすること」
そこまで喋ると、彼女はバッグの中から、A4サイズ、縦開きの帳面を一冊取りだした。表紙をめくり、バインダーで固定して、銀色のノック式万年筆で、青黒くなにかすらすら書き込みはじめる。
「なので、オルガさんには、この世界から消えてもらいます。って言っても、別の世界の貴重な生き証人だから、殺すんじゃなくって、専用の病院にぶち込むだけですけどね。……ただ、今回に限っては、オルガさんそのものは放置して様子見っす。そこの部屋、相当強力に封印されてて、あたしたちにもそう簡単には破れそうにないんでね。ってことで、代わりにあんたに、いますぐ、このうちから出ていってもらいます」
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