十六、
日本の警察がちゃんと仕事をしているのなら、彼らの最重要機密であるオルガさんの動画やつぶやきが遅かれ早かれ見つかってしまうことは、作戦をはじめる時点でとっくに心得ていた。全世界に思いっきり大公開したんだから、これに気づいてくれなかったら、むしろこの国の将来が心配になるくらいの話だ。
ぼくは緊張しつつも、想定内の展開にちょっと安心して、不敵にぼくを監督呼ばわりしてきた女の子にも、半笑いしたりしながら冷静に対応できた。
「なんの話ですか?」
「そういうのやめてくれませんかね。時間の無駄なんで」
「あの、全然話が見えないんですけど……。お二人がどこのだれかも分かんないし……」
すると、横の大男が、「
それから大男と女の子は、仕切り直しという感じで各々胸ポケットから警察手帳を出し、ぼくに中を開いて見せて、
「道警本部の
「同じく、千秋です。オルガさんを担当します」と自己紹介した。
「え?」土倉さんは良いとして、この千秋とかいう女の子は、「学生さん、ですよね?」
「ばりばり義務教育受けてますけど、なにか?」もうはや再びご機嫌斜めに。「うちの係、いちいち年齢制限設けてちゃあ人手が集まらないもんで。この歳でも嘱託で刑事やらされてるんです。もちろん、そんなもの、公にはいないことになってますけどね」
「はあ」
ということは、彼女は中学生なのだろう。にしては喋りが達者なので感心した。「つまり、オルガさんのような、なんていうのかな、特殊な存在にt」
「異常」千秋刑事がぼくのことばを遮って、切り捨てた。「異常に対して、適切に対応することが任務の、異常な刑事があたしたちです。――早速ですけど、なんであんたは、あんな余計な動画を公開したんですか?」
「……」
鎌をかけているのではなさそうだった。そりゃそうだ。あの動画はオルガさんが自撮りしたようなカメラワークじゃないし、お巡りさんが加担したと考えるよりも、唯一の部外者であるぼくが手伝ったと考えるのが自然である。
なので、これ以上刑事さんたちの心証を悪くしないよう、ぼくは素直な回答につとめた。
「ToTubeの説明文に書いたとおりです。英語ですけど」
「そういうことを聞いてるわけじゃなく」逆に心証が悪くなった。「なんで警察の命令に反して、オルガさんの存在を公表したのかって聞いてんですよ」
「それは、そうしないと、オルガさんのお仲間を探せないと思ったからです」
「勝手なことを……」彼女は腕を組んで、ため息をついた。「ヒーロー気取りですか?」
「ヒーロー? とんでもない」ぼくは笑って否定した。「ヒーローっていうのは、オルガさんみたいなひとのことですよ。ん、女性だから、ヒロイン? ヒーロー? どっちだろう」
「ふうん、オルガさんの
「ええと、よく分かんないけど、馬鹿にしてるんですか?」
「いいえ? ただの専門家の感想です」
しれっとそう言うと、彼女はぼくの背中の向こう側に声をかけた。「――杉浦巡査部長、」
「はい」
振り返ると、杉浦さんが寝室前での見張りをやめ、こっちに来るところだった。玄関の上がり口で立ち止まって、刑事二人と敬礼を交わす。「お疲れ様です」
「お疲れ山でーす」
千秋刑事は打って変わって笑顔になり、そのまま表情を固定して、彼にこう畳みかけた。
「いやあ、最悪ですね。野々さんの通信手段を徹底的に押さえなかったばかりか、オルガさんを常時監視しておきながら、SNSで発信するのを許してしまったんですよ? とんだ怠慢だ、怠慢。ToTubeとかheXunとかはねえ、みんな外資系だから、あたしたちルートの削除要請にも簡単に応じないんすよ。やられたら一発アウトなんです。あんたの怠慢で宇宙がやばい」
「返すことばもありません」杉原さんが、相変わらずの無表情で謝った。「かくなるうえは、いかなる処分も甘んじてお受けします」
「処分なんかありません。しても意味ないし」
にっこりそう吐き捨ててから、千秋刑事は宣言した。「じゃ、ただいまをもって、杉浦巡査部長と西谷巡査に本部から命じていた特別任務は終了とします。各自、消毒を済ませて、交番へ帰ってください」
「分かりました。西谷を呼んできます」
杉原さんがすたすた居間の方へ引っ込んでいくと、千秋刑事はまた不機嫌顔に戻って、ぼくにたずねてきた。
「このうち、当然、Wi-Fiとか、インターネットの環境がありますよねえ?」
「はい。元からついてて、ただで使えるうちです」
「なんでそれを切らないかな」急に愚痴がはじまった。「あんたに言ってもしょうがないですけど、茶の間かどっかにあるWi-Fiルーターの電源さえ切っちゃえば、あんたの思いどおりにさせずに済んだのに」
「あの、ぼくの持ってるタブレットはセルラーモデルなので、Wi-Fiがなくても、携帯電話の電波で通信できるんですけど……」
「じゃあ、
「うちらで全部やるのは、どだい無理な話なんだからさ。どうしようもないんだよ」
土倉刑事が、なだめるように口を挟んだ。「それに、ジャマーだって、表向き、好き勝手に使うのは違法でしょ?」
「分かってますよそれくらい。ただの専門家の感想です」
千秋刑事がそうぼやいたところで、全身白い防護服姿の男性がふらり、玄関前にやってきた。そう言えば、お巡りさんたちを消毒するとかしないとかいう話だったなあ、と思い出していると、その男性は開口一番、思いのほか弾んだ声で、
「きれいきれいするひとたち、どーこだっ?」
ずいぶん対象年齢の低い投げかけをしてきた。保育士かと思った。千秋刑事が彼を見ずに、
「まず、こいつ」とぼくを指さした。こいつ呼ばわり……。「でも、説明が必要だから、後回しにして。先に、警官二人をやってくんない?」
「りょーかい」
「ああ、いま来たわ。あの二人ね」
廊下の奥から、西谷さん、杉原さんの順でお巡りさんがやってきて、オルガさんが中から見ているであろう寝室には、ひと言も声をかけずに背を向け、ぞろぞろと上がり口に並んだ。
「ささ、お二人さん、きれいきれいしましょうねー」
防護服の男性がおどけた調子で言うと、西谷さんは神妙な顔つきで黙って頷き、杉原さんは「よろしくお願いします」と軽く頭を下げた。
西谷さんが先に靴を履いて、ぼくに深々と一礼する。
「どうも、お世話になりました」まるでお通夜のような雰囲気だ。
「ああいえいえ、こちらこそ」ぼくもあわててかしこまる。「いろいろすいませんでした」
「いえ。では、失礼します」
そして、ぼくの前を横切って玄関の外に出て、杉原さん待ちの態勢になった。彼も追って靴を履き、ぼくに深く……はないけれど、礼をした。
「いろいろと、ご迷惑をおかけしました」
「ああいえ、その、とんでもないです。交番に戻れて、良かったですね」
「ええ。心底そう思います」
遠慮なくそう言うと、杉原さんは、ぼくの肩を軽く叩いて、その手を載せたまま、こちらにだけ見えるように、にやりと笑った。
「Dに関わるのは、金輪際御免だね」
彼の手の感触、その笑み、そして、極めつけの唐突な悪態。
それらが揃った瞬間、前の日の夜に、大柄な救急隊員がぼくへ託したことばが、突然、頭の中でよみがえった。そして、この日一日のエピソードを一気にひっくり返すような突風になって、ぼくのからだを吹き抜けた。
『お兄さんだけが頼りだからね。オルガさんを助けてあげてよ』
ぼくは鳥肌が立った。
気づいたからだ。
このひとは、わざと、ぼくたちの行動を見逃したんだと。
外を見たら、マンション前の道路脇に、黒塗りのセダンと、とにかく大きな黒塗りのワゴンが駐まっていた。日中なのでえらい目立つ。お巡りさんたちがワゴンの方へ向かっていくと、そこで待機していた防護服姿のひと二名がスライドドアを開け、全員で、車内に入っていった。
ワゴンのドアが閉ざされるのを見ながら、千秋刑事が、
「あの杉浦ってひと、最後、感じ悪かったっすね」と土倉刑事に述べた。「怠慢のくせに」
「しょうがないよ」彼がしみじみと返す。「交番勤務の普通の警官が、無理矢理Dの任務を押しつけられたんだからね。好きでやるくらいなら、とっくにこちら側の人間になってるさ。ま、消毒されれば消えちゃう文句だ。気にしない気にしない」
「言われなくても無視します」
彼女は励ましのことばを突っぱねてから、その不機嫌な目で、改めてぼくのことを捉えた。
「さて、あとはあんただ」
「ええと、消毒の話ですか?」
「そ」
「そうか、オルガさん、別の世界から来たから、この世界にない菌を持ってるかもしれn」
「消毒ってのは隠語です」
そうぴしゃりと言い切って、口の端をつり上げた千秋刑事が、ぼくに宣告した。
「あんたにも、オルガさんとはなんの関係もない、ただの一般人に戻ってもらいます。――昨日からの記憶を全部消してね」
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