十五、①

「ドアを開けても良いですか?」

 こっちに飛び込んでくる西谷さんの声。

 空気が一気に緊迫する。

 からだをこわばらせながら、ぼくは、大至急頭を回転させた。

 heXunにつぶやきを投稿して、タブレットを元どおりベッドの下に隠し終えるまでに、少なくともあと一分は時間稼ぎが必要だ。けれど、なにかそれなりの返事をしない限り、西谷さんは怪しんでドアを開けてくるだろう。

 つぶやくのを諦めて、タブレットをしまう手もある。けれど、ToTubeもheXunも、超人気過ぎて、ど素人の投稿なんざ、世界じゅうから飛んでくる無数の投稿の中へあっという間に埋もれて見えなくなってしまうに違いない。だからこそ、両方使って、オルガさんのお仲間を知るひとの目に留まる可能性を、少しでも上げようとしたのだ。そのは捨てたくない。

 などどいう考えを一瞬で駆けめぐらせたあと、ぼくが夢中で出したことばは、

「あっ、オルガさん、脱ぐ? 脱ぐの?」

 だった。

 もちろん、オルガさんの方を向いて言った。

 彼女は一秒ほどきょとんとしていたものの、すぐにぼくの意図を読み取ったのか、実に愉快そうに口角を上げて、声高らかに、

「ああ、脱ぐ!」

 と応じてくれた。「上だけ裸になって、胸に直に、このハラマキを着けてみよう!」

「すみません! ちょっとだけ、待ってください!」

 ぼくの必死さ丸出しのお願いを、西谷さんは、

「分かりました。待ちます」

 と、いたって普通に聞き入れてくれた。まったく、綱渡りも良いところである。

 あとは時間との戦いだ。ぼくは超特急でつぶやきを完成させて、もう中身は見返さないで、ひと思いに「ヘックスつぶやきする」ボタンを押した。ぼくのできたてのheXunのページへ、ぽん、とひとつだけ英語のつぶやきが載ったのを見届けると、即、タブレット右上のボタンを長押しし、画面に出てきた電源マークを横にスライドさせた。

 ややあって、タブレットの電源が切れ、画面が完全に消灯した。あとはこれを、ぼくが腰かけている脚つきマットレスの下の引き出しへ、元どおりしまうだけだ。

「うん、晒には及ばないが、悪くないな」

 隣を見上げると、オルガさんが胸回りにしっかり腹巻きを着けて立っていて、感覚を確かめるようにぴょんぴょん跳ねていた。確かに、胸はさほど揺れていないような気がする。

「ああ良かったですね。とりあえず、応急処置にはn」

 くん、

 と突然、視界の端で、ドアノブのレバーが下がった。

 ノックなしで、お巡りさんがドアを開けにかかったのだ。

 完全に不意を突かれたぼくは、とっさにドアの方を向くことしかできなかった。

 しまった、とショックで頭の中が真っ白になる。

 無情にもたちまちドアは押し開けられ、西谷さんと杉原さんが寝室に入ってきた。

 当然ながら、ぼくはまだ、タブレットを片付けていない。

「申し訳ないですけど、オルガさんと野々さんが二人きりで籠もっている時間が長いんで、勝手にドアを開けさせてもらいました」

 杉原さんがぼくを睨みながら、低い声で説明した。

 きっとお巡りさんたちは、ぼくが寝室に入ってドアを閉めたあたりから、とっくにぼくたちのことを怪しんでいたに違いない。そして、さっきの時間稼ぎが決定打になったのだ。でなきゃ、抜き打ちでこんなことしたりなんかしない。今回の作戦で、ぼくが賭けに出るとか祈るとか言って運まかせにしたところが、ことごとく裏目に出たわけだ。最悪の事態である。

 まずはなにより、このタブレットを隠し持っていたのを追及され――って

 あれ?

 

 お巡りさんたち二人も、正面にいるぼくから、あっさり目を離してしまった。

 西谷さんが、声をかける。

「オルガさん、そこで、なにをしているんですか?」

「えっ」

 ぼくもようやく気づいた。

 お巡りさんたちが向いた方――衣装ケースが軒並み開けっぱなしのクローゼットの前で、ぼくの傍らにいたはずのオルガさんが、ぴょんぴょん跳ねていたのだ。

 彼女は跳ねるのをやめると、けろりとした顔でお巡りさんたちに答えた。

「見てのとおり、着替えの最中だ」

「着替えるのは良いけど、あなたは監視対象なんだから、あんまり悠長にしないでください」

 注意する杉原さんに対し、彼女は腕を組んで笑いながら、

「ああ、少し時間をかけ過ぎたな。それは悪かった。まだ上はハラマキしか着けていないが、わたしはドアを開けておいてもらって構わないぞ」

 西谷さんが、呆気あっけにとられたまんまのぼくをちら見してから、オルガさんへさらにたずねた。

「野々さんには、まだ、いてもらう必要がありますか?」

 すると、彼女もぼくの方に顔を向けて、こちらにウインクしてみせた。

「いや、もう大丈夫だ」

 そのウインクを受け取ってはじめて、ぼくは、なにが起こったのか理解した。

 つまり、こういうことだ。ドアノブのレバーが動くのを見て、お巡りさんたちの意図を察知したオルガさんは、ドアが開いて、ぼくたちの様子が彼らの目に入るまでのほんのわずかな隙に、ぼくが持っていたタブレットを、お巡りさんにはすぐに認識できない位置にあって、なおかつ、ものでごちゃごちゃしているクローゼットまで、適当にタブレットを突っ込んだのだ。このピンチを、いとも簡単にその力で粉砕したわけである。

 まさしく、の所業。

「ひととおり着替えの説明は聞いたからな。裸の女と二人きりで、さぞ居心地が悪かっただろう。あとのことはひとりでやるから、元どおり鎧を着るまで、ノノは外で待っていてくれ」

「わ、分かりました」

 我に返ったぼくは、こくこくと頷いて立ち上がると、まだ落ち着かない心臓のあたりを撫でながら廊下に退散した。

 直後、例によってお巡りさんたちに、二人がかりでなにを話していたのか尋問されたけれど、政治家の記者対応みたいに、「着替えの話です」というワンフレーズを繰り返し唱えていたら、一分かそこらで解放してくれた。

 これで、作戦はなんとか、無事終了だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る