十四、

 オルガさんがズボン――濃紺のスウェットパンツを穿いて、下半身にとりあえずなにか身に着けた状態になったところで、ぼくはタブレットのカメラアプリを立ち上げた。

 本体背面のカメラをオルガさんの方に向けて、レンズを指さしてみせる。

 彼女は黙って頷くと、壁に立てかけてあった大きなつるぎさやからすらりと抜いて持ち出し、脚つきマットレスの前で背筋を伸ばして立って、まだ手ぬぐいで隠しただけの胸元で、切っ先を真上に向けてつるぎを構えた。どことなく、の風格が感じられる。

 そして、つるぎの刃元に刻まれた文字と思しきものを、こちらに向けて指さしてくれた。ぼくは頷いて立ち上がると、タブレットの画面を見ながらぐっとつるぎに近づき、文字がアップになったところで、いよいよ、画面端の赤丸の録画ボタンを押した。


 三時間前の密談の中で、ぼくはオルガさんと、「張り紙」についてこのようにやりとりした。

〈ぼくがつくる張り紙は、動画といって、オルガさんの姿や声を、テクノロジーの力でそのまま記録するものです。要するに、描かれたものが動いて喋る、魔法の絵のようなものですね。ではごく一般的につくられています。さっき話したタブレットには、カメラという、目みたいな装置がついていて、それが、見たものを瞬時に動画にしてくれるんです。実物を出したときに、ぼくが指さして、どんなものなのか教えますね〉

〈うん。そのカメラとやらに向かって、演説をすれば良いんだな?〉

〈そうです。ぼくが手で合図しますから、そのあとで喋りだしてください。演説……と言えばそうなんですが、あんまり声が大きいと、お巡りさんになにごとかと思われて、ドアを開けられちゃうかもしれないので、ぼくといま話してるくらいの声量でお願いします。あと、いまみたいに、アストリッドの指輪を外して、ブリク語で喋りましょう〉

〈分かった。ニホン語だと、ケイサツにこちらの企てが筒抜けになってしまうからな。しかし、急にブリク語で話しだしたのを聞かれたら、それはそれで、怪しまれないだろうか?〉

〈その可能性はありますね。でも、こればっかりはどうしようもないので、ドアを開けられないことを祈りつつ、できる限り短い時間で演説? を終わらせてください。もし、あとでなに言ってたのか聞かれたら、そうですね、オルガさんがおふざけで指輪をぼくに嵌めてきただけだ、って言い張ることにします〉

〈ふふ、おふざけな。嫌いじゃない。それで良いだろう。わたしがブリク語を使うということは、ことばが通じる者、つまり、演説すれば良いんだな?〉

〈はい。お仲間と接点があるひとたちは、さっき二人で考えた張り紙の説明文で、オルガさんがお仲間のお仲間? だってことを認識するはずです。そうしたら、オルガさんが張り紙でいったいなにを喋ってるのか、すごく知りたくなると思うんです。じゃあ、それを知るために、どうするかというと……?〉

〈わたしの張り紙を、

〈そういうことです。うまくいけばですけど、オルガさんのいま伝えたいことを、お仲間に伝える絶好の機会になります。短い時間でなにを伝えるか、じっくり考えると良いと思います〉

〈いや、その必要はない〉

〈そうですか?〉

〈ああ。仲間へ語るべきことばは、もうすでに決めている〉


 そのあと、ぼくの方から、紛れもなくオルガさん本人であるという証拠として、ブリク語で書かれた彼女の名前を「張り紙」に載せることを提案した。彼女はそれを即受け入れ、つるぎに名前を彫ってあると教えてくれたので、ビデオメッセージは、そのアップからはじめることにしたのだった。

 タブレットの画面の外で、オルガさんがつるぎの柄から右手だけ離し、刃がぐらつかないようにそっと、左手の人差し指から指輪を外して、こちらに差し出すジェスチャーをした。ぼくは彼女の方へ右手を伸ばして、小指に指輪を嵌めてもらうと、画面に彼女の全身が入るよう、足元に気をつけながら急いで後ろへ退いた。

 そして、左手を挙げて振り向けて、オルガさんへ喋り出しの合図を送った。彼女は小さく息を吸ったあと、カメラに向かってからりと笑んで、こう語りかけた。

〈ヴィクトル、ユーリヤ、そしてパーヴォ。わたしは無事だ。わたしはいま、のニホンという国に流され、封印されている。だが、一刻も早くこの封印を解き、へ帰還したい。みんなも同じ望みを抱いて、どこかで必ず生きていると、わたしは確信している。わたしは勇者ではないから、は分からない。しかし、悪夢が終わり、目覚めのときが来たことは分かる。わたしたちに、未来はあるのだ。必ずや再び結集し、ともに望みを果たそうではないか。どうか、この声に呼応してくれ。みんなの便りを、わたしは心待ちにしている〉

 オルガさんはそこでことばを切って、力強く頷いた。演説が終わったのだ。やり直しのきかないぶっつけ本番で、一度も詰まらずにこの喋りである。流石としか言いようがない。

 ぼくは感心しながら頷き返して、画面の録画停止ボタンを押すと、急いで彼女に指輪を返し、画面をカメラアプリからToTubeのアプリに切り替えて、速攻、動画を投稿する作業に入った。彼女の方も、早々につるぎを鞘へ収めて、着替えの小芝居を再開してくれる。

「次は……これか。しっかりした生地だ。かたちからすると、肩から腰にかけての肌着か?」

「そうです。Tシャツと良います。襟が大きめに開いている方が前です。ぼくは背中を向けてますので、胸に巻いてる手ぬぐいを外してから着てください」

「分かった」

 翻訳アプリとToTubeアプリの間を行ったり来たりして、さっき英訳しておいた動画の説明文やタイトル(『日本にいるオルガからの緊急メッセージ』)を貼りつけ、「#help」とつけ加えたり、細々した設定をしたり、本当にこの投稿内容で良いかざっと二回見返したりしたあと、ぼくは、とうとう、「アップロード」ボタンを、押した。

 ToTubeに早速、動画が転送されはじめた。もう後戻りはできない。

 けれど、おのれの決心に浸っている暇はない。まだ、heXunへ、ToTubeに載せた動画に誘導するつぶやきを投稿する作業が残っているのだ。

 ところが、ひと嫌いのぼくは、公衆に向けて今日の夕ご飯なに食べたとかいちいちつぶやく意味が分からなかったので、そもそも、heXunに利用登録していなかった。なので、まず、heXunのアプリをダウンロードして、登録の手続きをするところからはじめなければならなかった。

「これで良いか?」

 と聞かれたので顔を上げると、きちんとTシャツを着たオルガさんが、脚つきマットレスに座って作業しているぼくの隣へいつの間にか腰かけていた。ブラジャーがないから、胸が目立たないか心配だったけれど、ゆったりした厚めのシャツを選んだおかげか、ふくらみが分かる程度で、透けて見えたりはしていない。これなら目のやり場に困らず安心だ。

「ああ、ちょうど良いですね。きつそうじゃないし」

「そうなんだ。きつくないんだ。しかし、本当はきつい方が良い。普段わたしが晒を巻いているのは、戦いのときに胸が動いて、集中の妨げにならないようにするためだからな」

「なるほど……」heXunの登録手続きをしながら、ぼくは考えを巡らせた。「晒って、すごく長い布でしたよね。直接代わりになるものは、いまうちにはないですね。……待てよ、あれが使えるかも」

「ん? どんなものだ?」

「ええとですね……」

 タブレットをいったんマットレスの上に置いて、開けっぱなしのクローゼットの前に立ったぼくは、空き巣のごとく、片っ端から衣装ケースを開け、中身をほじくり返した。そして、冬物の上着を詰め込んでいたケースの底に、目当ての衣類が沈んでいるのを見つけ、

「こんなものです」

 と、引きずり出してオルガさんに手渡した。彼女はそれを、不思議そうに高く掲げて、

「ずいぶん厚い布の筒だ。しかも、伸び縮みする。……そうか、これを着けて、胸を締めつけるんだな?」

「はい。本来の使い方ではないですけどね」

 ぼくは急いでタブレットのもとに戻り、heXunの登録手続きを済ませると、一度、ToTubeアプリに画面を切り替えた。動画の転送が無事に終わり、晴れて全世界に公開されたことをしかと確認する。これで、作戦の半分は成し遂げたわけだ。

「それは腹巻きといって、寒いときにお腹に着てあたためるための布です。ぼくが就職して一年目の冬に、職場が寒いっていう話を母にしたら、母がプレゼントしてくれたものです」

「おお、母君からの贈り物なのか。そんな大事なものを、わたしが着けて良いのか?」

「全然良いです。結局、ぼく、いままで一度も着なかったし。腹巻きも本望でしょう」

 今度は、heXunアプリとToTubeアプリの間を行ったり来たりして、ToTubeで公開した動画の説明文をheXunのつぶやきとしてそっくりそのままコピーした。そして、つぶやきの最後に、動画へのリンクを貼りつけようとしたそのとき、

 寝室のドアが、二回ノックされた。

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