十二、①

「ん、」彼女の目の色ががらりと変わる。「か?」

「そうです、。いまから準備をしますので、オルガさんは、ええと、なんかそれなりに、楽にしててください」

 彼女は、「分かった」と笑顔で応じて、脚つきマットレスの上に胡坐をかいた。

「あの、お湯運びは、お二人にも手伝っていただけるってことで、良いん、ですよね?」

「もちろんです」西谷さんが小さく頷く。「いま、杉原を呼んできますね」

 こうして、いよいよオルガさんにからだを拭いてもらう会場づくりがはじまった。

 ざっくり言うと、流れはこうである。

 まず、寝室の床がびしょびしょになっても良いように適当にブルーシートを敷いて、その上にでかいたらいを置く。

 次に、浴室の湯船にためたお湯を、大きめのバケツでむ。重くなるから、ほどほどに汲む。

 で、バケツが三個あるので、ぼくと杉原さんと西谷さんの三人で、浴室から寝室まで、良い感じに距離をとりあいながらほいほいバケツリレーして、リレーの最後のひと(西谷さん)が、どんどんお湯をたらいに空けていく。

 たらいに六、七割お湯が入ったら、三個のバケツもお湯を入れたまま、たらいの横に並べる。

 最後にぼくが、クローゼットからたらふく手ぬぐいを出して、ブルーシートの隅に積み上げれば完成だ。

 ここまで賞味、十分もかからなかったと思う。湯船に充分お湯がたまりきらないうちにバケツリレーをはじめちゃったので、途中でお湯が底をついて、お湯汲み役のぼくが多少もたついた以外は、そこそこ順調に、そして思いどおりに会場ができあがった。

 お巡りさん二人にお礼を言ったあと、ぼくは、オルガさんに準備が整ったことを伝え、満を持して会場を紹介した。

「ええと、大きなおけひとつと、小さな桶三つに、少し熱めのお湯を入れました。大きな桶は、鎧を洗う用です。中に着ている服とか下着は、ぼくが別の場所で洗濯しますので、脱いだら西谷さんに渡してください。洗って乾くまでの間は、代わりにぼくの服や下着を着てもらいます。ちょっとゆるかったりきつかったりするかもしれませんけど、我慢してください。そして、小さな桶が、からだを拭く用です。中のお湯に手ぬぐいを浸して使ってください。三つあるので、お湯が汚れたら、隣の桶に乗り替えていってください。最後に、れたからだや鎧を、あまった手ぬぐいで拭いて、終了です」

 オルガさんは、合間に「うん」とか「ほう」とか相槌を打ってくれて、ぼくが説明を全部終えると、「なるほどな」と深く頷いた。そして早速、質問してきた。

では、鎧を着ることは、あまりないのか?」

「ないですね。鎧を着る文化? は、かなり古い時代に廃れました」

「だが、兵士はいるんだろう? なにを着て戦っているんだ?」

「兵士は、います。迷彩っていう、草木にまぎれる柄? の特殊な服を着て戦ってます」

「そうか。だからか……」

 納得したように、もう何度か頷くと、彼女はぼくにこう言った。

「普通、鎧は、洗わないんだ」

「え」

「水がつくと、びやすいからな」

「ああ、そうか、鎧って、金属か……」

「そう。それで、鎧を清めるには、魔法をかけるのが一番良いんだ。しかし、あいにくわたしは、魔法が使えない。いまのような、魔道士もいない状況では、湿らせた布や紙で汚れを拭き取ってから、すぐにしっかり乾拭きをして、錆止めの油を塗るのが基本なんだ」

「油も要るのかあ……。全然駄目じゃん……」

「まあ、で鎧が廃れているなら、知らないのも無理はないさ。それと、わたしは鎧のほかに、腰周りに細かい鎖を巻いていて、着ている服も脇の下に鎖を縫いつけてある。こういうものも鎧と同じく、洗わない。だから、洗えるのはせいぜい肌着の、さらし股引ももひきくらいだな」

「そうですか……」

 がっくりとうな垂れたぼくは、五秒くらいしてから、割り切った感じで顔を上げた。「いや、分かりました。じゃあ、大きな桶の方を、からだを拭いたり頭を洗ったりするのに使いましょう。小さな桶のお湯は、うーん、要ります?」

「そうだなあ。せっかくこれだけのお湯を用意してくれたんだ、鎧を拭くのに少しだけ使わせてもらうよ。油を塗るのは後回しにしよう。に、オリーブはあるか?」

「ああ、あります。ほかの国でいっぱい植えてて、油は、お店に行けば簡単に買えます」

「そうか。ノノの懐が痛まない程度で良いから、できるだけたくさん手に入れて欲しい」

「そうします。ぼくの外出禁止が解けたら、すぐ買ってきますね」

「助かるよ」

 にこりとしたオルガさんに、ぼくは微笑み返して、小さく頷きながら視線を送った。

 これは、をこめたものだ。

 彼女はしかと、それを受け取った。そして、さも何気ない感じでぼくから目線を外すと、「よし」と勢いつけて胡坐をやめて、堂々と床に立ち、腕を組んで、高らかにこう宣言した。

「では、いまからわたしは、裸になる!」

 トイレのあとの恥じらいは、いったいなんだったのか。いちおうなのだけれど、ここまで張り切って脱衣予告をされてみると、なぜだろう、なんの感情も湧いてこない。

「……あ、はい、じゃ、いなくなります」

 とりあえずぼくは淡々と応じて、粛々と寝室を出た。「ドア、閉めますね」

「ありがとう!」

「ごゆっくり」

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