二、
いきなり重大な話が降ってきて、廊下にいる面々の注目を一身に集めたので、ぼくはまるきり戸惑って、自分で自分を指さした。
「え、ぼく?」
「ええ」
相変わらずこのお巡りさんは、こちらの反応を見逃すまい、という目つきで見つめてくるので、怖い。
「私たち警察の立場では、みなさん方の言う、魔法陣とか、首がいくつもある生きものとかの話は、事実確認ができない以上、対応のしようがありません。ですが、現にそこにいるオルガさんには、対応しなきゃなりません。本人に言ったとおり、彼女は住居侵入と銃刀法違反の現行犯ですから」
「ああ、保護するって話ですよね」
「そう」
「あれ、でも、現行犯逮捕、ってよく聞きますけど、逮捕はされないんですか?」
「申し訳ないけど、その辺のことは話せないです」
何気なくたずねたら、きっぱり説明を拒否された。なにかまずいことに触れちゃったっぽいので、ぼくは無難に「はあ」と流した。
「それで、当面の問題は、オルガさんがこの部屋から出られないので、署へ連れて行けないこと、その一点だけです。ですが、逆に考えれば、彼女はここから逃げ出すおそれがないから、警察としては、あえて彼女を署へ連れて行く必要がないわけです。その、封印だかなんだかが続いている間はね」
「……ん?」言ってることは全部聞こえたけれど、ちょっと意味が分からなかった。「保護しなくて良いってことですか?」
「いいえ。この部屋で保護すれば良いってことです」
「ああ……」
今度は、意味は分かったけれど、基本、ひとり静かに暮らしていたい人間であるぼくにとって、全然気が進まない結論だったので、だいぶん萎えた。
「警察が、うちで、オルガさんを見張ったり、取り調べしたりする、と」
「そうです」お巡りさんが大きく頷く。「すでに、この状況は、署を通じて本部にも連絡済みです。適切な対応が取れるよう、いま調整してます。ですが、その調整がつくまで、彼女の身柄は、ここに留め置くしかないんです。それは、分かっていただけますよね?」
「まあ、そうするしかない、ですよね」
「当然ですが、こんなケース、前例も、法律もないので、警察にはなんの権限も、強制力もありません。そのうえでのお願いです」
ことばとは裏腹に、目力をたっぷりこめてぼくを見ながら、ごついお巡りさんは言った。
「――当面の間、このうちでオルガさんと一緒に生活してもらうことと、それから、このうちに警察が出入りすることを、承諾してもらいたいんです」
「はあ……」
嫌とは言わせない感たっぷりの「お願い」に、ぼくは、ため息交じりの返事でもったいぶりながら、せめてもの抵抗をすることにした。
「あの、それ、お断りしたら、どうなるんですか?」
「お断り、ですか」お巡りさんは口をへの字にして、「まあ、いずれにしろ、警察としては、オルガさんには対応しなくちゃいけないから、仮にオルガさんに会わせてもらえないようなことがあれば、これはあくまでも可能性の話ですけどね、野々さんが、彼女を不当に匿っているか、あるいは監禁しているということで、動く可能性も、あります」
「へえぇ……」
ぼくを逮捕するときたもんだ。流れるように
「じゃあ、その、ぼくだけ別のところに移るならどうですか? ここから引っ越すとか、ホテルの部屋を借りるとか……」
「ああ、それは問題ないですよ」お巡りさんが口元をゆるめる。「確かに、変な生きものがまた出てくるかもしれないし、警察の人間がうちの中をうろついてちゃあ、落ち着かないでしょう。分かりますよ」
「引っ越しにしろ、ホテルにしろ、結構、お金かかるんですけど、それは……」
「お金?」
「はい」
言いにくいことをなんとか口にしたのに、残念ながら、お巡りさんの目の色が、明らかに冷たくなってしまった。
「警察でその費用を持てってこと?」
「ええ。その、こうなったのは、ぼくのせいじゃないですし、なんていうか、警察の都合に合わせることになるので……」
「いや、私はここから出ていけとは、ひと言も言ってないですよ。野々さんがこのうちに残っていても、警察としては、なんの支障もないですから。先ほど言ったとおり、警察は、あなたに対しては、あくまでもお願いする立場でしかないんです。強制的になにかをさせる、っていうことではないんで」
露骨に脅しておいてよく言うなあ、と、内心だいぶんむっとしつつ、ぼくは確認した。
「要するに、お金は一切出せない、と」
「ええ」
「そうですか……」
やっぱり、せめてもの抵抗はただの悪あがきに終わった。つまり、ぼくにはこのままこの、オルガさんと警察、場合によっては魔物つきにグレードアップした素晴らしいうちに住むか、失われた孤独を求めて、自己負担でこのうちを出ていくしか、選択肢がないということだ。
幸い、普段の金遣いは慎ましくやっているつもりなので、それなりに蓄えはある。引っ越しには時間も手間もかかるけど、ホテル暮らしなら部屋さえ取れれば、今晩からだってできる。腹が立ったついでに、この場で
寝室の中で、ぽおん、という例の音が鳴って、白い光が
思わず寝室の入り口を見ると、オルガさんの残像が、左から右へすっ飛んでいた。
そして、右の壁に衝突する寸前で、ぐるりと彼女が回転し、まるで着地するかのように壁にしゃがみ込むと、素早く足を蹴り出して空中へ跳ね返り、あとは重力にまかせて、その辺の床へ、今度こそすとんと着地した。
「やはり、そうか」
しっかり膝を伸ばして立ち上がった彼女は、こちらへ向かって、晴れやかな表情で言った。
「窓からも出られない!」
「はい?」
ぼくが寝室の中をのぞき込むと、左側の壁にある窓が全開になっていて、春の心地よい夜風が、半焼したカーテンをゆらめかせながら吹き込んでいた。
「もしや、この窓から外に出られはしないかと思ったんだ。それで、窓を開けて、思いっきり身を乗り出したら、同じように弾き飛ばされてしまった。
「ああ……」
確かに、窓のことは、だれも眼中になかった。当のオルガさんを置き去りにして、やれ、だれが対応するだのぼくがうちを出ていくだのと、みんなで不毛なやりとりに熱中していたからだ。そんな中でも、彼女は前向きに(というか、楽しそうに?)、かつ冷静に、いま自分が置かれている状況を分析して、なにか打開できないか探っているわけで、比べるとなんだか、おのれのこころの狭さを思い知らされて、悲しくなってくる。
「それで? わたしの処遇はどうなった?」
彼女が、期待に弾んだ声で聞いてきた。寝室に顔を出したのがたまたまぼくだったので、ぼくにたずねたのだろうけれど、ぼくはこの現場の責任者でもなんでもない。
だけど、
「このまんま、です」
ぼくは、ごついお巡りさんとかには話を振らず、自分でオルガさんに説明した。なぜだか、このままで終わりたくなくて、
「オルガさんには、このまんま、この部屋にいてもらうしかないので、いてもらって、警察のひとたちが、用事に合わせて、こっちに来る感じになりそうです」
「なるほど。わたしはこの世界でも
「その心配はないです。例えばぼくが警察に捕まっても、三食ご飯がもらえるはずなので」
「そうか。それはありがたい……」
彼女は感じ入ったように、深く頷いた。そして、「ここは、ノノのうちだと、はじめに聞いたような気がするが」
「そうです。ぼくのうちです」
「あなたはこれからも、ここで暮らせるのか? わたしのせいで追い出されたりしないか?」
むしろ、さっきまでさっさと逃げ出そうとしていたぼくは、優しい口調で問いかけてくれたオルガさんに向けて、「ええと、」と少し返事に窮したあと、
「――大丈夫、です」
やっとの思いで、ことばを絞り出した。
「それは良かった!」まるで我がことのように、安心してくれるオルガさん。
軽く息を吸って、覚悟を決めてから、ぼくは続けた。
「ぼくは、このうちで暮らします。で、もしキマイラみたいなやつがまた出てきて、危なくなったら、そのときはどこかに避難します」
これは、彼女に触発されての決断だったと思う。でも、彼女の力になりたいとか、そういうきれいなきもちで言ったわけじゃない。ただ単に、このまま彼女を突き放して立ち去ることへの恥ずかしさやかっこ悪さ、後ろめたさの集合体が、ひとりの世界にいたいという、ぼくのひとりよがりな信念に、かろうじて
けれど、そんな内心つゆ知らずのオルガさんは、こころからその決断を支持してくれた。
「そうだな、それが一番だ!」
これはこれで、こころがちくりと痛んだ。
けれど、言ってしまったものはもう、どうしようもない。それ以上、深く考えないようにきもちを切り替えて、ぼくは話を進めた。
「それで、この部屋は、ぼくが寝起きしていた部屋なんですけど、オルガさんに、まるまる貸します。なので、まあ、好きに過ごしてください。ただ、服とか、ぼくのものがいろいろ置いてあるので、ぼくも出入りしますけど……」
「そんなことは全然構わない。それより、わたしにこんな立派な寝床を貸して、あなたはいったい、どこで寝るんだ?」
「ああ、ぼくは、居間のソファで寝ます」
「ソファもあるのか!」彼女は目を丸くして、「もしや、あなたは貴族なのか?」
「いや、一般市民です……」
世界なのか文明なのか、オルガさんとこちらのギャップは、しばらく埋まりそうになかった。
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