六、
「あっ、」
ぼくは、鎧のひとが意識を取り戻したことに、ちょっと
「お姉さん、分かりますか!」すかさず、大柄な救急隊員が彼女に声をかける。
「……」
彼女は、その赤い瞳で素早く周りを見回してから、「あなたたちは?」
「救急隊です。お姉さんが倒れてるって、このひとから連絡があって来ました」
「呼びました」
ぼくが軽く手を挙げてみせると、彼女は相変わらず苦しそうに息をしながらも、納得したように小さく頷いた。そして、
「わたしを、助けようとしてくれて、ありがとう」
また礼を言ったあと、真剣な顔のまま、こう続けた。「――だが、いまは、わたしを諦めて、ここから逃げてくれ」
「え?」
ぼくの中の嫌な予感が、いっそう高まった。
根拠はないけれど、鎧のひとは、いまここでなにが起きているのか、完全に理解して喋っているように思えたからだ。
「お姉さんを助けるのが、僕たちの仕事だから」こういうひとの相手は慣れっこ、という感じで、大柄な隊員が言い聞かせる。「逃げるんなら、一緒に逃げましょう。ね」
「それはできない」
彼女は即答した。
「この魔法陣は、わたしを、ここに捨て去ったものだ。それに、その向こうから、魔の気配がする……」
そして、ごろんと寝返りを打って横を向き、震える両腕を支えに上半身を起こすと、かろうじて、片膝立ちにまでなった。救急隊が、あわてて三方から支える。
「立つ? 立てる?」大柄な隊員が、彼女の顔をのぞき込んだ。「ゆっくり立って。ゆっくりで良いから」
「これの狙いは、このわたしだ」
鎧のひとは、魔法陣を
「そういうわけにはいかな――うおっ」
大柄な隊員が急にのけぞった。
彼女が、肩にかけたベルトで背負っていた
よく斬れるかはともかく、少なくとも、コスプレ用の小道具には見えなかった。
「危ない危ない、危ない!」
「お姉さん、それはしまって!」
「警察呼ばなきゃいけなくなるよ!」
一歩身を引いた救急隊が、口々に鎧のひとを制したけれど、彼女は一切応じることなく、彼らへ背を向けたまま、繰り返した。
「部屋を、出ろ」
そのことばには、有無を言わさない圧が戻っていた。
鎧のひとは、
その
急に、放電の音が激しくなった。
身を屈めながら天井の方を向くと、魔法陣の中央の月のかたちが、大きく欠けたり、逆に真ん丸になったりと、不規則に、不気味にうごめきだしていた。
それを見た鎧のひとが、血相を変えて、窓際にいたぼくに鋭く叫んだ。
「逃げるんだ! 早く!」
「はっ、はいっ」
あまりの剣幕に、ほとんど反射的に返事したぼくは、なぜか頭を押さえながら、すくんだ足をなんとか動かして、壁伝いに寝室の出口へ向かった。救急隊はすでに廊下に出ていて、「警察官要請……」「応援は……」「本部に状況を……」などと打ち合わせている。
とそこで、ぼくの右足が、いきなり固いなにかを蹴飛ばした。がちゃん、という音に不意を突かれて、完全に怖じ気づいたぼくは思わず、
「ひっ」
と声を上げ、足を引っ込め後ずさりしてしまった。
床を見ると、救急隊が退けておいてくれたのだろう、ぼくの持ってきたガラスのコップが、向こう側にすっ転がっていくところだった。おのれを情けなく思いつつ、気を取り直して、再びぼくは歩きだした。
けれどもう遅かった。
魔法陣の中央にあった月が、新月になった。
暗闇に塗りつぶされた状態で、ぴたりと動きを止めたのだ。
その穴のような闇の中に、幾重にも電光がひらめき、空気を引きちぎるような音が
部屋が、どすん、と激しく揺らいだ。
それきり全てがおさまって、まぶたの向こうの輝きが、すうっと消えた。
直後、その場にしゃがんでいたぼくの鼻に、獣の臭いが立ちこめてきて、塞いでいた耳の向こう側が騒然となった。
耳から手を放すと、重く低い
なにが起きたのだろう?
おそるおそる、目を開けたぼくが見たのは、
すぐそばで、
この世のものとは思えない、大きな化けものの姿だった。
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