第19話 【SIDE:アイナ】そんな貴方だから

「俺に任せろ!」


 彼がなにを言っているのか、本気で一瞬わからなかった。

 けど、すっくと立ち上がる姿を見て、ようやく言葉の意味が繋がった。


「……え。貴方が行くんですか?」

「アイナに行かせるわけにはいかないだろ」


 レクスはドアノブに手をかける。


「この手の術にかかってる手合いが危険なのは、アイナも知ってるだろ? 見境だってないし、加減すら考えずに襲いかかってくる」


 ええ、その通り。

 だからこそ、思ったことをそのまま吐き出す。


「バカなんですか貴方は」

「シンプルな暴言!?」


 レクスはテンポよくツッコミを入れる。

 そんな余裕があるのは、事態を正確に把握できていない証拠。

 私、なにも間違っていないじゃない。暴言でもなんでもないでしょう、まったく。


「ふたりの目的は貴方です。外に出れば一気に襲いかかってきますよ」

「……あ。確かに」


 ほら、わかってなかった。やっぱりバカじゃない。

 なおさら、こんな人に任せておけない。


「私が行きます。そのほうが安全でスムーズでしょう」

「いや、けどさ……」

「なんですか? まさかワンチャン襲われるのもありかも、とか思ってるんですか?」

「お、思ってるかぁ!」


 焦って否定しちゃってまあ。本心はどうなのやら……。


「アイナが襲われない確証もないだろ。俺が出てこないから、この際アイナを、みたいな展開だって……」

「え、の方でしたか? 趣味趣向は人それぞれなんで否定しませんが、私はストレートですから創作で摂取してください」


 レクスは「そうじゃなくて……」と頭を抱えた。


「未完成の魔導書を安全に保管しなかったのも、革を置きっぱなしにしたのも、私の落ち度です。なら私が責任を取るのが筋でしょう」


 だいたい、いまレクスがひとりで外に出たら、確実にノエルたちに押し倒される。

 急いでこの魔導書を完成させたとしても、それより早くレクスを襲いきるだろう。

 そんなしょうもない流れで、ふたりに出し抜かれたくない。


「どいてください。一刻を争うんです」


 ドアノブを握っている手を剥がそうと、彼に触れる。

 ゴツゴツした、男の人の手。

 僧侶なのに、まるで剣でも握って鍛えてきたかのような太い指に、少しドキッとする。


 本音を言えば、ただのエゴなんだろう。

 この手を――この人を独り占めしたいと思う、邪な私の。

 だからこそ、いま彼にここを飛び出してほしくない。

 ……そんな本音を素直に言えていれば、彼は納得してくれたのかな。


 いや。そうでなくてもさすがに、わかってくれているはず。

 私が好いた人は、そこまでバカな人じゃないと。

 ここまで説明したんだから、少しぐらい私の気持ちにも気づいてよと。

 そんな淡い期待を抱きながら、私は手に力を込めて――、


「やっぱりダメだ。アイナひとりに行かせられない」


 こ……このわからず屋ぁ!!

 貴方が出ていくほうが、こっちとしては都合が悪いって話なのに!


 彼に引き剥がされた手が、勝手に拳を作って震えた。

 はぁ、本当に、もう……。

 期待しちゃってた私のほうが、バカだったらしい。


「じゃあ、どうしろっていうんですかっ」


 こっちの気も知らずに変なことばかり言うレクスへ、半ば八つ当たり気味に問う。

 すると、あろうことか――、


「こうするんだ……よっ!」

「――ひゃっ!?」


 彼は私の背中と膝の裏に腕を回し、グッと体を持ち上げた。


「ふたりで取りに行くぞ!」

「~~~~~~!!」


 こ、ここ、これ……お姫様抱っこ!?

 思わず声になってない悲鳴が口から漏れた。

 あまりにも恥ずかしい状況に、彼の硬い胸板を何度も叩きまくる。


「バカ! 変態! エロ男!! ふざてけないで降ろして!」

「いやだ」

「い、今なら消し炭か氷漬けを選ばせてあげますよ!?」

「どっちもいやだ!」


 じゃあどうしたら降ろしてくれるの!

 ていうか、落とされても構わないから、いますぐこの状況から脱したい……!

 必至に抵抗を試みる。けど、それが裏目に出てしまった。


「あ、暴れるなって! 落としちゃうから……!」


 彼はそう言って。

 さらに力を込めて、私を抱き寄せてきた。


「~~~~~~~!?」


 近い近い近い近い……!

 彼の素肌が、鍛えられた身体が、仄かな香りが、全部が近い。


 あ、ダメだこれ。私、よろこんじゃってる……。


「さいあく……しんじらんない……」

「文句の山ほどもあるだろうけど、あとで聞くから。今は革の回収が先決。外出たらダッシュで脱衣所向かうぞ」

「もう……かってにして……」


 もう、どうとでもなれ……だわ。

 彼はすぅっと深呼吸すると、ドアを勢いよく開けた。


「「――あうっ!」」


 ドアの前に立っていたらしいノエルとユフィの、鈍い悲鳴が聞こえた。

 けどレクスは、それを無視して一目散に廊下を走る。


「……いま……アイナ……」

「お姫様だっこ……されてた……?」


「「ずぅぅるぅぅいぃぃぃい!!」」


 レクスの背後を、飢えた獣のように這いずって追いかけてくるノエルとユフィ。

 どうしよう。ちょっと優越感覚えちゃってる私がいる。

 そんなことを思っているうちに、レクスは軽快に階段を駆け下りて脱衣所に。

 引き戸を閉めると、ゆっくりと私を降ろす。


「…………はぁ……」


 私はそのまま、ペタンとへたり込んでしまった。


「だ、大丈夫か? なんか怪我でもさせちゃった――」

「違います、大丈夫です、放っといてください……!」


 心配してくれる彼を、思わず睨んでしまった。

 でも、羞恥心と多幸感がぐちゃぐちゃに混ざって、自分でもどういう情緒なのか説明できないんだ。これぐらいはしかたない。


 その直後だった。背後のドアになにかがドン! と衝突し、今にも開きそうになる。

 レクスは慌てて引き手に指をかけて押さえる。

 そういえばこの脱衣所、ドアに鍵がついてなかったんだ。


「レクスぅ……レ~ク~ス~……!」

「お姫様抱っこぉ、あたしもぉ、されたいよぉ……!」


 脱衣所に来ただけじゃ、全然安心できる状況じゃない。

 ふたりが相手だと、さしものレクスだって力負けする。

 私は急いで脱衣カゴを漁る。

 使っていない魔導書装丁用の革の中から、適当なものを見繕う。


「く、まずい……! もう、指が……!」


 レクスが弱音を吐いたのも束の間。引き戸が勢いよく開かれる。

 目にハートマークが浮かんでいるかのような、恍惚とした顔つきのノエルとユフィ。

 追い詰めた得物レクスを見下ろし、ニンマリと笑って油断しているところを――、


「【情欲を抑える魔術 《フィスノ・エルド》】!」


 手元の小冊子風魔導書が光って発動。ノエルたちの動きが、たちまちピタリと止まった。

 発情しきっていた目から力が抜け、やがてパタリと倒れてしまう。

 微かに聞こえるのは静かな寝息。術がしっかり効いて、眠っているみたい。


「助かった……のか?」

「少なくとも、発情状態はこれで落ち着いたはずです」


 私は大きく安堵の息を吐く。

 まさか、書きかけの魔導書でこんな事態になるなんて。

 今後はもっと、管理を徹底しよう。



 * * *



「「本当に申し訳ありませんでした」」


 小一時間語後。

 目を覚ましたあとで事情を話すと、ノエルとユフィは素直に綺麗な土下座を披露した。


「まったく。一歩間違えれば怪我人も出てたし、ふたりだって一生あのままだったのよ」

「そんなにひどい状態だったんだ、わたしたち」

「そりゃもう、肉欲に飢えたゾンビだった」

「うええぇ、全然覚えてない。恥ずかしい……死にたい……」

「そう思うなら、あとでレクスにもちゃんと謝りなさい」


 落ち込んでるのか、ふたりは萎びた干し大根みたいな顔で「は~い」と答える。

 ちなみに、いまこの場にレクスがいないのは、用心してのことだった。

 もしまだ術の残滓が残っていたら危険だから。私なら襲われないし、見定められる。


「これに懲りたら、未完成の魔導書を勝手に読んだり使わないこと。いい?」

「わかった。改めて怖さを理解したよ、魔導書の」

「それもそうだけど……は、恥ずかしいじゃない、普通に」


 どうせなら完成したものを読んで使ってほしい。

 これは、趣味とはいえ魔導書作家めいたことをしている私の本心だ。

 すると、ユフィがキョトンとした顔で訊ねる。


「そういえば、結局、どういう魔術を書く予定だったの?」


 それいま訊く? 答えなきゃダメ?

 まあでも、今回の責任の一端は私にもあるのよね。


「その……【五分だけ素直になれる魔術】……的な」


 顔が熱い。改めて口にすると、なんて下らない魔導書を書こうとしてたんだって思う。


 けど――ノエルとユフィは笑ったりせず。

 私をそっと抱きしめてきた。


「本当にごめん。台無しにしちゃって」

「……そんなふうに思ってくれるのね。私たち、恋敵なのに」

「当たり前だよっ。それ以前に、大事な友達なんだから」


 ああ、温かい。そして、ちょっとくすぐったい。


「もう。しょうがない人たち……」


 私は思わず、小さく笑みを溢した。


「でも。隅に置けないね、抜け駆けなんて」

「ホントだよ。しかも自分の得意分野で」

「い、いいでしょ。そういう協定だったじゃない」


 さっきまでのほっこりした空気感とは裏腹に。ふたりはニマァと笑う。

 あー、憎ったらしい顔。


「本当に反省してるのかしら……」

「してるしてる。ちょーしてる。だからさ」

「完成させたら、あたしが試しに使ってあげるよ」

「絶、対、い、やっ。完成させても教えない。そもそももう書かないから」


 ノエルとユフィは「ええ~」と不服そうに頬を膨らませた。

 確定ね。言うほどちゃんと反省してないわ、このふたり。


 そう呆れていたときだ。ふと二階からドアの開く音が聞こえてきた。

 そのまま、足音が階段を下りてくる。


「あの~……。そろそろ平気?」


 声のほうを見やる。レクスが恐る恐るといった様子で階下を覗き込んでいた。


「ええ。もうすっかり正常でした」

「そっか。あ~よかった」


 こっちの気も知らないで、のんきなほどに安心しきった笑顔のレクス。

 でも一歩間違えれば、この笑顔を失っていたかもしれないんだ。

 この四人の関係のバランスが、まったく意図しない形で、大きく崩れてしまっていたかもしれない。


「改めて……今回の件、私が発端であることは間違いありません」


 そのきっかけを作った人間として、誠心誠意謝らないといけない。

 私は、深々と頭を下げた。


「ご迷惑をおかけしました」

「いいっていいって。ノエルたちも反省してるんだろ? ならもういいじゃん」


 ああ、本当に。貴方はドがつくお人好しですね。

 どんな思惑で魔導書を書こうとしたのか。

 どんな理由で魔導書を使おうとしたのか。

 知らないから無理もないとはいえ、サラッと水に流そうとしてくれるんだもの。


 でも、そういうおおらかで優しいところがあるからこそ。

 彼は、私のありのままを、理解してくれすぎるんだろう。

 そばに居続けたいと、思ってしまうほどに。


「……ありがとうございます」


 喜びが顔に出ないよう気をつけつつ、顔を上げる。

 ふとレクスと目が合い、図らずも心臓が跳ねた。


「と、ともあれ。残念でしたね、結局は襲ってもらえず終いで」

「まだそれ擦るの? 勘弁してくれよ……あんな形は望んでないって、最初から」


 照れ隠しな私の皮肉に、彼は心から慌てたように返す。

 その反応が――彼の心がノエルたちに強く向いたわけでもなさそうな様子が。

 思いのほかうれしくて、安心した。


「じゃあ、ああいう形じゃなかったら望んでるんですね?」

「ちが、それも言葉の綾で――」

「わかってます」


 思わず、クスッと笑ってしまう。

 いまのはさすがに、私の意地が悪かったな。

 彼の困った顔を引き出したかっただけで、他意はない。


 だって私――、


がそんな人じゃないって、ちゃんとわかっていますから」


 そんな貴方だから、好きになってしまったんだもの。






=====

 以上、ここまでが第3章、アイナ当番回でした。


 アイナは表向きがシニカルなので、ノエル回と比べ内面描写が多めでした。

 彼女がどれだけクソでか感情を抱き、面倒くさいぐらいレクスLOVEで、以外とポンコツかがおわかりいただけたのではないでしょうか?


 この子は本当に、内面を書いてて飽きないぐらい、かわいいです笑

 みなさん的には、いかがでしたか?


 さて、次回からの第4章は、順番通りユフィ当番回です。

 ぜひ楽しみにしていただければと。


 そんな次回第20話の更新は、4月11日0時頃を予定しております。

 ぜひ作品を【フォロー】して更新をお待ちいただければ幸いです。


 おもしろいと思ってくださった方はぜひ【☆レビュー】も付けていただけると大変うれしいです!

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 引き続きどうぞ、よろしくお願いいたします。

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