第16話 【SIDE:アイナ】人はそれを『好き』と表現するんだろう

 去り際のレクスの声が、私の耳にこびりついて離れない。


『これまで何度も、アイナに助けられてきた。アイナにしかできない方法で』

『そんなアイナを俺は信じてるし、誇らしいと思ってる。それは間違いないから』


「…………………………」


 顔が熱い。その理由はわかっている。わからないほど、私は初心でも鈍感でもない。

 よくもまあ、あんな歯の浮くセリフを言えたものね。物語の主人公気取り?

 ……まあ、かく言う私も、そんな言葉につい喜びを覚えてしまっているのだけど。


 って、なにを考えているんだ。

 気を取り直して、魔導書の執筆を再開しよう。こういうときこそ、心を無にして――。

 と、書きかけの紙面に目を落とし、固まる。


『レクス レクス レクス レクス レクス レクス レクス      好き 』


「……――っ!?」


 な、ななっ!

 なに書いてるの私!?

 完全に無意識だった。それだけ頭の中が彼でいっぱいだったってこと?


 ……だとしても、これじゃあ呪詛じゃない。かわいげがなくて逆に落ち込むわね。


 もったいないけど、こうなったらこの紙はもう使えない。

 ランタンの火で燃やして耐熱皿に放った。

 きれいさっぱり燃えかすになったのを確認。証拠隠滅完了。

 安堵の息をひとつついて、気を落ち着かせる。


 こうしてモヤモヤと溜め込んで考えてしまうのは、結局、私の性格なんだろう。

 もっと素直に、ストレートに、言葉を交わせれば。

 ノエルやユフィのようにコミュニケーションが取れていれば。

 こんなふうに考え込んでしまうこともなかったんだろうな、とは思う。


 でもそれが難しいことを、私自身がよく知っている。

 私は常に、劣等感と嫉妬心を抱えてしまっているんだもの。

 幼いころの環境や経験故のこれは、もう、どうしたって払拭しきれない。


 そんなルサンチマンに塗れた心で、どうしたらまっすぐな対話ができるというのか。

 こんな私自身を、私はどうやって信じてあげればいい?

 そう常々思っているからこそ――、


『自分を信じるってめっちゃ難しいよな。俺もよく知ってるつもり』


 彼の、私を理解しすぎている言葉が、本当に嫌いで。

 けど、心の底から安堵してしまう自分がいる。


『アイナはもっと、自分を信じていいんじゃない?』


 どの口が言っているんだか、と思う。

 貴方だって自分を――自分の高い能力を信じられていないのに、と。

『謙遜も過ぎれば傲慢』って言葉、知らないのかしら。


 でも、私を誰よりも解像度高く理解しすぎる彼の存在が。

 私はここにいていいんだよと、言ってくれているようにも感じるから。

 彼のそばが、自己を容認できる特別な居場所になってしまった。

 彼の言葉が、自分の心を穏やかにする安定剤になってしまった。


 きっと、人はそれを『好き』と表現するんだろう。


「素直になれない私には、縁遠い言葉ね」


 自嘲気味な笑みがこぼれてしまう。

 この感情を素直に口にした瞬間、私はいま以上に、自分と向き合わないといけなくなる。

 そんな怖い引き金、引けるわけないじゃない。

 でも、逆に考えれば。

 素直に言えてしまえば、それはそれで、楽になれるのかもしれないな。


「いっそ……素直に、言えてしまえば……」


 そう、口に出したとき。

 私の脳内で――なにかが繋がる音がした。


「そうか。その手が……」


 ハッとして頭をもたげる。

 これは、いいアイデアかもしれない。この方法なら……!

 一気に思考が加速し始める。その勢いに乗って、私は今度こそ集中して、一心不乱に筆を走らせた。



 * * *



 ふと寝苦しさを感じ、頭が覚醒する。

 最後に記憶していた風景とは一変して、リビングには朝の光が差し込んでいた。

 結局リビングで寝落ちしちゃったか。


 一度ガッと集中し出すと周りが見えなくなり、時間すら気にならなくなってしまうのは、私の悪いクセだ。

 あげくどんな文章を――どんな魔術を仕上げようとしていたのかすら、記憶が曖昧。


 目の前には、そんな書きかけの魔導書の原稿がある。

 パラパラとページをめくり、中を確認した。


『Zhuroh mii thalyk int zhey klor aviyz.《澄んだ瞳に心が吸い込まれた。》

 Arfexiuh kharyet a vynq worath, sytirh enva dozier intho moryan.《情は淡い熱を帯び、欲すらも奮い立たせる。》

 Rhysystahn wof nevyr ohl――《抗うことなどできるはずも――》』


 ――バンッ!


 な……な……。

 なんて文章を書いているの、私……!

 こんなの紛れもなく、典型的な【魅了】系魔術の筆致じゃない!


 ああ、でも思い出した。

 テーブルに叩き付けたこの原稿を、私が書き始めた理由とキッカケを。


 昨日の体験会で、ノエルとユフィが初手に持ってきた【術士に惚れる魔術】のアイデア。

 私は「術式が複雑で体験会の時間内じゃ書き切れない」とか、「術にかかった人の自由と尊厳を奪いかねない」なんて突っぱねたけど。


 あれには、少しだけウソも混じっている。


 要は、術の本質や本懐は変えずに細部やアプローチだけ変える――いわゆる『換骨奪胎』さえ的確に行えていれば、安全かつ道徳に反しない形にまとめられるのだ。

 そして、私にはそれができる。できてしまう。

 だから、昨晩思いついたアイデアを元に執筆を進め。

 結果、寝落ちして朝を迎えるっていう愚行をやらかしてしまったんだ。


 読み返したところ、まだ未完成。

 このまま装丁して使っても、私が目指している本来の効果とは違う魔術が暴発してしまうだろう。


 とはいえ……完成させるべきかは要検討ね。

 深夜のノリで書いた文章ほど、翌朝悶絶して書き直したくなるものだし。

 なにより、こんなのを書いて使おうとしていた、なんて知られたら、


「恥ずかしすぎて、軽く百回は死ねるわ」


 ……止めた止めた。

 シャワーでも浴びて、一度頭をリセットしよう。


 テーブルの上を片付け、書きかけの魔導書や執筆道具一式と共に脱衣所へ向かう。

 脱いだ服と道具類を脱衣カゴに入れ、レンガ造りの浴室へ。

 昨晩の内にお湯を抜いてたからだろう、浴室はひんやりとしていた。

 ペタペタと壁際のシャワーへ歩き、蛇口を捻ってお湯を浴びる。

 ああ……気持ちいい……。


「あれ? アイナ? 早いね」


 脱衣所の方から聞こえてきたのは、ノエルの声だ。


「おはよう。ノエルも早いじゃない」

「目が覚めちゃって。もしかして徹夜?」

「まさか。寝てるわ、少しだけだけど」

「それ徹夜じゃん、ほぼ。執筆?」

「まぁ……そんなところ」


 曖昧に濁す。

 あまり細かい話をし始めると、ノエルは絶対、魔導書の内容を気にし始めるもの。

 具体的にどんな魔導書を書いていたかなんて、教えられない。

 教えられるはず、ないじゃない……恥ずかしい。


「シャワー使う? もうすぐ出るけど」

「…………」

「ノエル?」

「え? ああ、大丈夫。軽く顔洗いたかっただけ。じゃ、またあとで」

「ええ」


 なんだったんだろう。妙な間があったし、最後はやたら素っ気なかったけど。

 でもノエルのことだ。寝起きで頭が働いてなくて、ボーッとしていただけだろう。

 気にすることもなくゆっくりとシャワーを浴びてから、脱衣所に戻る。

 体を丁寧に拭き終え、着替えようと脱衣カゴに手を伸ばす。


「……え?」


 その違和感に、私の背筋がヒヤリとする。

 シャワーを浴びる前まであったはずのものが、なくなっていた。


 書きかけの魔導書だ。


 カゴの中に、衣類や執筆道具と一緒に入れてあったはず。

 それがなんでなくなっている?


「……まさか」


 ノエルだ、間違いない。彼女以外に脱衣所へやってきた形跡や物音はなかったもの。

 彼女が書きかけの魔導書を見つけ、そこに書かれている文言から術の概要を推察し、持ち去ったんだ。


 ――レクスに対して使うために!


 でもまずい……。そもそもあの魔導書は、まだ未完成。

 私の意図していたものとは全然違う魔術が発動するかもしれない。

 最悪の場合、ものすごくえげつない【魅了】系魔術が、暴発する可能性も――、


「ちょ、ちょちょちょ……! どうしたお前ら、正気か!?」


 脱衣所の外。リビングのほうから、レクスの素っ頓狂な声が響いてくる。


「しまった……遅かった!」





=====

 これまでシニカルな態度ばかりとっていたアイナの本心が、これでもかと赤裸々に窺うことのできた回でしたね。

 たぶんお気づきかと思いますが……この子、結構アホな『おもしれー女』枠です。


 次の18話、19話でさらにそれが加速していきますので、どうぞお楽しみに!


 その手前の次回第17話の更新は、4月2日0時頃を予定しております。

 ぜひ作品を【フォロー】して更新をお待ちいただければ幸いです。


 おもしろいと思ってくださった方はぜひ【☆レビュー】も付けていただけると大変うれしいです!

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 引き続きどうぞ、よろしくお願いいたします。

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