第15話 もっと、自分を信じていいんじゃない?
あまりにも卑猥な喘ぎが工房内に響き渡る。
声の主たるアイナも、突然のことすぎてビックリしていた。
自分の口から出た声が信じられないとでも言うように、ガッと口を押さえる。
アイナのこんな甲高い悲鳴、俺も初めて聞いたよ。びっくりした。
「な、なな……!」
顔を真っ赤にしながら、珍しく平常心を欠いたまま振り返るアイナ。
彼女の背後には、ニコニコしているノエルが立っていた。
「いい声で鳴くじゃん、意外と」
「あ、貴女ねえ……!」
幻覚だろうか。
アイナの周りに、この世の全てを灰燼にさせられるレベルの炎が、メラメラと燃えさかっているのが見える。
それほどにアイナを燃え上がらせた張本人たるノエルは、一冊の魔導書を持っていた。
魔術名が記載された表紙を読む限り、対象者の背中に水滴を垂らす魔術のようだ。
……しょうもなっ!
「あんまりイタズラするなよ、ノエル」
「え~? だってイチャイチャしてるんだもん、ふたり」
ふたりとは、俺とアイナのことだろう。ノエルの目配せがそれを物語っていた。
「イチャイチャしてないって。なにをどう見たらその結論に至るんだ」
「私なしでは生きられなく、とか言ってたじゃん」
「ち、違うわよ。ここで一生のお願いを使うなら、貴方は今後私の管理下で言いなりねっていう文脈の話で……」
「ほら、してるじゃん。イチャイチャ」
ノエルはムッとして膨れていた。
なんかちょっとだけ、ムード険悪か、これ?
「と、とりあえずふたりとも落ち着こう。まだ体験会の真っ最――」
「【風で髪をぐしゃぐしちゃにする魔術 《エンリ・ヴォート》】♪」
「――ちゅうぅぅんん……!!」
びっ……くりしたぁ!
突然、耳の穴にふぅぅ……と吐息のような風が吹きかかった。
ゾクゾクゾクッと背筋が波打ち、驚きのあまり変な声が漏れ出てしまった。
「あはは! レクスくん、いいリアクション。なんかかわいい……♪」
犯人はユフィだ。俺たち三人がやいのやいのやってる隙に、背後から妙な魔術を使ってきやがった。
「でもおかしいなぁ。【風で髪をぐしゃぐしちゃにする魔術】のつもりだったのに」
「どこがだよっ。耳の穴おかしくなったかと思ったわ。呪文か魔法陣間違えてんじゃないのか、それ?」
魔導書は、文章の書き方次第で魔術の効果が変わったり、個性がついたりする。
逆に言うと、求める効果に対して正しい内容を書き記さないと、こうして意図しない魔術が発動する危険も孕んでいるのだ。
……どちらにせよ、しょうもなさすぎる魔術だけどな、ユフィのそれも!
「でもいい発見しちゃった♪ レクスくん、耳弱いんだぁ。次はお姉さんが直接、吹きかけてあげよっか?」
「全力で遠慮します」
ニパァッと意地の悪そうな笑みを浮かべるユフィ。
くそぅ、俺も知らなかった弱点を知られた。なんたる不覚。
「ユフィってば、また……」
「いけしゃあしゃあと……」
そんな俺らの様子を見て、ノエルとアイナがボソッと漏らす。
デジャヴか?
と、気づけば数人の工房スタッフが、俺たちを囲むように立っていた。
一様にニコニコしているのが、却って怖い。
そしてそれだけで、なにを言いたいかが全部伝わってきた。
「「「「す……すみません」」」」
ちなみにその後、魔導書作り体験会は、アイナの軌道修正が功を奏して大盛況だった。
一般参加者からも軒並み好評だったようで、工房のスタッフさんからも「次回開催の時はまた是非!」と太鼓判だったことは、アイナの名誉のためここに記しておく。
え? 俺やノエル、ユフィはどうだったって?
もう参加しないで、だってさ。
* * *
その夜。
湯船にゆっくり浸かって体を癒やしたあと、俺は水を飲もうとリビングにやってきた。
メインの明かりは落ちていて、あたりは薄暗い。
けどその一角のダイニングテーブルだけは、小さなランプが灯っていた。
誰かが、その明かりのもとでなにか作業をしている。
「なにしてんだ、アイナ」
「――!?」
その誰か――アイナは、焦ったようにテーブルへ覆い被さった。
まるで、テーブルの上のなにかを隠しているかのよう。
「なんですか? 覗きとはいい趣味ですね」
「いや、暗くてなにも見えてないから」
しばらく警戒したように、そのままの姿勢だったアイナ。
やがて安心したのか体を起こすと、テーブルの上をササッと片付け始めた。
ふと目にとまったのは、紙とペン、インクなどの執筆用具だ。
「もしかして、魔導書の執筆?」
「見えてるじゃないですか」
「ご、ごめんって。道具が見えたからそうなのかなって。別に深くは触れないよ」
アイナにとって……いや、世の魔導書作家にとって、魔導書執筆中の姿というのはデリケートなものらしい。以前彼女にそう教えてもらった。
魔導書に記される呪文は、たとえ同じ【火を起こす魔術】だとしても、書き手によって千差万別な個性が滲み出る。
それこそ、魔術効果そのものに、微細な変化や効果が付与されるほどに。
執筆とはそれだけ、自己と向き合い、いいも悪いも含め自分の感情・感性に正直に筆を走らせる繊細な作業、なんだとか。
そうやって一心不乱に紙面に集中している姿を、アイナは、人様に見せられる姿じゃないと感じている節があった。
そこまで見られたくないのなら、自分の部屋で書けば安全なのでは? と思ってしまうが、自室だと集中できないとかこだわりがあるんだろう。
「どうせ貴方が出たあと、次にお風呂を使うのは私なので」
「え?」
「ここで待っていたら、ふとアイデアが湧いて出てきた。忘れないうちに書き留めておきたかった。それだけです」
俺の思考に的確な返答するって、エスパーですか?
まあ、いっか。ここにいても彼女の邪魔になりそうだし、それは本意じゃない。
「邪魔してごめんな。でも、あまり夜更かししすぎるなよ。おやすみ」
水をグラス一杯飲み干した俺が、そのままリビングをあとにし――、
「私の講義にあんなに需要があるなんて……思ってもみませんでした」
――ようとしたとき、突然アイナが口を開いた。
「……え?」
「今日の仕事です。しょせん趣味だと思ってた
アイナのほうを見やる。こちらに背を向けていて、その表情は読めない。
でも言葉や語気からは、なんとなく、柔らかなものを感じた。
俺の自惚れでなければ、これはきっと彼女なりの感謝の言葉なのかもしれない。
そう思えばこそ。
「俺は最初からわかってたよ。アイナの
少しだけ――ほんの少しだけ、アイナの体がピクッと反応する。
「前にアイナ、言ってたろ? 『書けるからってできるわけじゃない』的なこと。でも今日の講師ぶり見てて、全然そんなことないなって感じた。やっぱ俺の見立ては間違ってなかったんだなって」
「それは……あくまでも講師だからです。そうでなかったら、私は……」
「そうかな。アイナはもっと、自分を信じていいんじゃない?」
返ってきたのは、沈黙。
俺の言葉を咀嚼しているのか、はたまた「なにを偉そうに」なんて思われているのか。
「いや、ごめん。自分を信じるってめっちゃ難しいよな。俺もよく知ってるつもり」
そう前置きをしつつ。
俺は本心をそのまま彼女へ投げかけることにした。
「でも俺はこれまで何度もアイナに助けられてきた。アイナにしかできない方法で。改めて、ありがとうな」
こちらに背を向けたままのアイナに、俺は続けた。
「そんなアイナを俺は信じてるし、誇らしいと思ってる。それは間違いないから。覚えといてな。……じゃ、おやすみ」
リビングをあとにしようとしつつ、ふと振り返る。
結局アイナは最後まで、こちらを向こうとはしなかった。
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次回第16話の更新は、3月30日0時頃を予定しております。
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