都会恐怖症

あをにまる

都会恐怖症

 田舎の奈良に三十年以上も住んでいると、都会へ出るたび人の多さが嫌になる。

 田舎といっても、私の住んでいる奈良県北西部という所は県内ではまだ比較的人口の多い地域ではあるが、たまに大阪市内などに乗り出すとたちまち目が引っ込んでしまう。それも天王寺、難波などのいわゆるミナミと呼ばれるエリアならまだ良い。このあたりは関東の感覚で例えるならおそらく埼玉県民にとっての池袋のようなもので、私のような出不精の奈良県民にとっても近鉄線が通っているため辛うじて馴染みのある場所である。


 だがしかし、梅田や北新地などの一般にキタと呼ばれるエリア、これがどうもいけない。大阪在住の方々には言わずもがなであるが、梅田には阪神梅田駅・阪急梅田駅・大阪メトロ梅田駅の3つに加えて東梅田駅・西梅田駅の計5つの梅田駅が存在し、更にこれとまた別に奈良方面から比較的アクセスしやすいJR大阪駅が梅田に存在するのだから、全くややこしい事この上ない。


 これは十五、六年ほど前、私が高校一年生の頃の話である。当時の私はほとんど奈良県外に一人で出掛けたことがなく、大いに世間知らずな田舎者であった。

 ある日、私はクラスの友人に誘われて大阪梅田で行われる劇団何某というところの舞台を見に行くこととなり、友人に「じゃ、梅田のビッグマン前に現地集合な」と言われた。「ビッグマン前」というのは、阪急梅田駅中央改札近くの広場にある大型液晶モニター前の事で、東京における渋谷ハチ公前の如きメジャーな集合スポットである。しかし、当時の私は梅田の地理がまるで分かっていなかったにも関わらず、恰好をつけて二つ返事で了承してしまった。「まあとりあえず梅田とやらに着いてみれば何とかなるだろう」という、今思えば我ながら信じがたいほどの無計画さである。

 

 そして迎えた当日。梅田にある駅イコールJR大阪駅ただ一つだと完全に思い込んでいた私は、奈良県内の近鉄線某駅から謎に遠回りをしてJR大和路線に乗り継いだ。近鉄が鶴橋駅で大阪環状線に接続している事すら理解していなかった為である。加えて大阪メトロの存在を知らなかったのは言うまでもない。大和路快速の座席に腰を下してようやくこれ一安心と、澄ましてライトノベルなどを読んでいるうちに、気が付くととんでもなく高いビルの大森林の傍を通っているのでビックリした。


 もう梅田に着いたがさて、梅田のビッグマンとは何処かしらと思いつつJR大阪駅の構内をウロウロしてみたが、頭上の案内板には阪急梅田や阪神梅田といった聞き慣れぬ単語ばかりが無数に羅列されているのが目に入ったのでいよいよ狼狽した。当時、世の中に存在したのはガラケーのみでスマホなどは無かったものだから、地図アプリで詳細な道順の検索などもしようがない。近くにいたJRの駅員をつかまえて、「梅田のビッグマンとは一体どこか」と聞いてみると、おそらく阪急梅田駅のあたりだという。

 阪急とはなんだ。この世には近鉄とJR以外の鉄道会社が存在していたのか。私は初めて世界の広さを知って衝撃を受けた。

 そして「その阪急梅田とやらはここからJR奈良駅と近鉄奈良駅の間くらい距離が離れているものなのか」という頓珍漢な問いを私がしたところ、それは知らないがここからは5分ほどの距離だと言う。


 そうして私はむせ返るような人混みの中、這々の体で駅の案内板を辿り、なんとか阪急梅田駅の改札のひとつらしき場所まで到着した。しかし、今度はまたそこから梅田のビッグマンとやらの道筋が全く分からない。これまで頼りにしてきた頭上の案内板にも「ビッグマン前」という矢印はついに見当たらず、おろおろしている内に約束の集合時間が過ぎた。


 頑なに意地を張っていた私もそのあたりでようやく観念し、ガラケーの電話帳を立ち上げて友人へ救助要請を発信した。しかるのち友人が半ベソ状態の私を阪急梅田駅の改札口まで迎えに来て事なきを得たが、そこで私は「何故わざわざこんな分かりにくい場所を集合場所にしたのだ」「そもそも最初から奈良県内で集合して一緒に行けば良かった」などと自らの責を罪なき友人に転嫁したりして、更にみっともなく恥を上塗りした。


 この他にも梅田の地下街で2時間近く迷子になったり、梅田のTOHOシネマズで本館と別館を間違えてポップコーンを抱えたまま街中を半泣きで彷徨ったりと、こんなトラウマ体験をくり返しているうちに私はだんだんと都会が恐ろしくなってきた。大阪でこれなのだから、東京は半日足らずで窒息死する自信がある。


 それに引き換え、やはり我が地元奈良の素晴らしさである。

 そも奈良県内には都市計画法の高さ制限によって興福寺五重塔より高い建物が存在せず、奈良盆地では視線を少し上げれば大抵何らかの山がまず視界に入る。親の顔より見たそれら山々の形を見れば少なくとも自分がいま東西南北のいずれを向いているのかは一瞬でわかるため、私のように重度の方向音痴を患っている人間でも辛うじて生きていける。

 また単に人口が少ないせいか、もしくは地面を掘れば土器やら木簡やらがたくさん出てくるせいで、奈良には大きな地下街や地下鉄といった難儀なものが元々存在しない。奈良県内では季節行事等を除けば日頃から混雑がみられるのは東大寺と奈良公園周辺くらいであるし、あくまで私の主観では京都や大阪の観光地に比べるとそれらの人混みもだいぶマシな方だと思う。


 かわりに奈良は大学や働き口が少ないうえ、高齢化に加えて優秀な若者は東京やら海外にドンドン流出していくし、海はないし、最低賃金は安いし、映画館は県庁所在地に存在しないし、そもそも映画館自体が県内に3つしかないといった不便さは多々あるものの、やはり私は住み慣れた奈良の居心地が良い。もとい、生来の要領の悪さゆえに、私が都会で生活するのは永久に不可能だと思う。

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都会恐怖症 あをにまる @LEE231

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