十秒の天使

くれは

リミットは十秒間

 見下ろすビル群の谷間は、星空を凌駕するほどの喧騒の光に包まれていた。

 天城あまぎしゅんは特殊装備フェザーに身を包み、司令室からの命令を待つ間、都市の光の粒をぼんやりと眺めていた。

 フェザーのエネルギーインジケーターが静かに点滅する。まだ、命令はない。

 瞬の隣で、上司のクロエ・マクシムも同じように、フェザーに身を包んで静かに佇んでいた。

 地上を眺める瞬とは対照的に、クロエは頭上を仰いでいた。都市の明るさに、星などほとんど見えないというのに。


「何か見えるんですか」


 瞬の言葉に、クロエは視線を降ろした。


「何も」そして、静かに微笑む。「それでも、見上げてしまうんだ。何かを求めてるのかもね」


 求める。何を。

 瞬は目を閉じて、意識して大きく息を吸った。

 考えるな。捨てろ。

 自分たちに必要なものは、ただ冷静であること。何かを求める心も、意思も、必要ない。命令の通りに反応する体だけが、求められているものだ。

 自分の役割をそう割り切っている瞬にとって、クロエのその動作は、いささかロマンチックすぎるように思えた。

 そのくせ、この上司はいざとなれば瞬よりもずっと冷静で冷徹に行動できる。その差がどこからくるものか、瞬にはまだ理解できない。

 何かを求めるのは、冷静な判断の邪魔にならないのだろうか。


(やっぱりわからない)


 瞬は大きく息を吐き出して、目を開く。

 司令室から作戦開始の通信が入ったのは、そのときだった。

 瞬とクロエは顔を見合わせて頷きあう。そして、静かに動き出した。




進化適合者アダプターの存在を確認、交戦します」


 クロエの声が司令室に伝える声は、戦いの開始を告げるにしては静かなものだった。


「二体を目視確認」


 瞬は銃を構えて開いたドアから一瞬だけ顔を覗かせる。その一瞬で手前のアダプターに弾丸を打ち込む。

 放たれた弾丸はアダプターの腹部をえぐった。悲鳴はない。元々頭部だった箇所を奇妙な角度に捻じ曲げただけだ。まるで首でもかしげるように。

 クロエの弾丸も続く。内臓が露出した奥に、青白く輝く核が見える。アダプターの体が僅かに震える。

 人間だった頃の面影が色濃く残る姿に、瞬は一瞬だけ動揺した。それを表面には出さずに、もう一回、瞬は弾丸を放つ。

 ざわり、と背筋が粟立つ。奥から、影が跳んだ。

 こちらは元の人間の姿がほとんどわからない、ねじくれた細長い手足をしていた。

 怪物と呼ぶに相応しい姿に、瞬はためらいなく引き金を引いた。

 細長い足が吹き飛ぶ。バランスが崩れてアダプターの体が床に叩きつけられる。それを踏みつけて、腹部に穴のあいたアダプターが近づいてきた。


「接近戦に持ち込む前に終わらせたい」

「了解」


 クロエの指示に、瞬は腹部から覗く核に照準を合わせた。

 一度アダプターになってしまえば、理性は失われる。ただ暴れるだけの怪物になる。もう人間には戻れない。だからこれは仕方のないことなのだ。

 瞬の弾丸は、腹部の核を正確に撃ち抜いた。

 同時にクロエが撃つ。

 核が砕け、アダプターたちの体は一瞬硬直した。そしてその体は溶け落ちるように崩壊していった。

 その様子を確認して、瞬とクロエは警戒しながらドアをくぐり、部屋の中に入った。中に何もいないことを見回す。


「対象を二体無力化」


 クロエが司令室に報告する声が部屋に響く。瞬はドアを警戒しながらも、構えていた銃を降ろした。


『反応は継続中。引き続き任務続行』

「了解、任務続行」


 クロエが瞬を振り返り、無言で顎を動かした。瞬も無言で頷いて応える。

 そのときだった、ずるりと何かを引きずるような音が近づいてくることに気付いたのは。

 何かが地面を這うような湿った音。それに混じって、低く、何か呻くような音が重なっている。

 瞬は銃を握りなおす。クロエは警戒した視線を開いたドアに向ける。

 ドアの向こうから、音は近づいてきていた。




 部屋の出入り口を塞ぐように姿を表したのは、巨大なアダプターだった。

 きっと人ひとり分ではないのだろう。複数人が融合してしまったに違いない。複数の手足。めちゃくちゃに配置された頭部らしきもの。

 床を這うたびに、喉だった部位が呻き声のような音を立てている。まるで助けを求める悲鳴のようだった。


「大型のアダプター一体を目視、交戦開始します」


 クロエの冷静な声が、瞬の意識を引き戻した。

 瞬とクロエは窓ぎわに後退りながら発砲した。弾丸がアダプターの表面を削る。

 けれど、アダプターはなんの反応も見せなかった。分厚い肉壁に阻まれて、核は露出しない。動きを止めることもできない。

 アダプターは巨大な体を出入り口の隙間に押し付けてくる。みしり、と壁が鳴る。


(核はどこだ!? 倒せるのか!?)


 焦りながらも、瞬はまたトリガーを引く。その弾丸は頭部だった箇所に打ち込まれ、悲鳴のような音があがった。

 アダプターの体はさらに部屋に踏み込もうとしてくる。壁にひびが入りはじめた。押し潰され蹂躙される恐怖が、瞬を捉える。

 瞬は奥歯を噛み締めて、恐怖を押し殺し、照準を合わせつづけた。

 クロエも弾丸を撃ち込んで、その巨大な体をわずかにでもドアから離れさせようとする。

 それでもふたりの弾丸は、アダプターにとって部屋の中──ふたりへの興味を引いただけにすぎなかった。


「オーバードライブ許可を」


 クロエの声。瞬は次の命令を待って、動きを一瞬止める。


『オーバードライブ承認。アダプターを殲滅せよ』

「瞬、オーバードライブ発動して」


 命令ののち、瞬は一発の弾丸を放つ。


「オーバードライブ発動」

『オーバードライブ起動。カウントダウン開始』


 全身にまとったフェザーが光をまとう。

 刹那、瞬は空気を重く感じた。


『テン、ナイン、エイト』


 自分が放った弾丸の軌跡を目で追う。追いかけて走る。追い越す。腰からナイフ型の武器を引き抜いて構える。

 背中の装甲から吹き出す光が、まるで翼のように広がった。


『セブン、シックス』


 出入り口から伸ばされた手、手だったもの、それを切り裂く。体液が飛び散る。その軌跡を避けてさらに近づく。

 遅れてやってきた弾丸が、アダプターの体を引き裂いた。


『ファイブ、フォー』


 巨大な体に体当たりするように、ナイフを押し込む。ぶよぶよとふくれたでたらめな指先が、瞬の体に絡む。

 瞬の体を離すまいと、まるで取り込むように、巨大な体が押さえ込む。


『スリー』


 ナイフを深く沈めて、体を引き裂く。ぱっくりと割れる体。呻き声。その振動が足元から伝わってくる。


『ツー』


 飛び散る体液の中、瞬はためらわずに巨大な体を裂く。割る。


『ワン』


 そしてその肉の塊の中に、青白く輝く核を見つけた。

 クロエが放った弾丸、それを掴んで核に押し込む。


『ゼロ。オーバードライブモード、終了します』


 瞬がまとったフェザーの光が消える。

 一瞬の静寂ののち、核は砕けた。アダプターの巨大な体が溶けるように崩れ落ちてゆく。

 世界が動き出した。頭の奥が焼けるように痛む。視界がにじむ。息が上がる。自分の鼓動の音が耳の奥でうるさいくらいに鳴っている。全身がきしみ、足に力が入らない。オーバードライブの負荷に耐えきれず、瞬は倒れ込む。

 引きずり込まれるように、視界は黒くなっていった。

 クロエは駆け寄ると瞬の体を抱き起こしながら、司令室に報告をする。いつも通り、冷静な声だった。


「オーバードライブ終了。対象の沈黙を確認」

『新たな反応ゼロ。任務完了です』


 クロエは緊張を解くとほっと息を吐いて、気を失っている瞬を見下ろした。

 負荷のせいで流れ落ちた鼻血を拭う。ついでに体液まみれの顔も拭ってやった。

 その静寂の中で、クロエは静かに声をかけた。


「お疲れ様」


 瞬の応えはない。窓の外では街の喧騒が遠く、響いていた。




 進化適合者アダプターの存在に対抗するために、ANGELエンジェルという組織が作られた。

 エンジェルに所属するエージェントたちは、フェザーという特殊装備をまとい、アダプターと戦い続ける。



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十秒の天使 くれは @kurehaa

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