第二章:変容の儀式
密室の中で、時間の感覚が溶けていく。
壁一面を覆う黒薔薇は、まるで生きているかのように蠢いていた。その花弁は、通常の薔薇とは明らかに異なる。漆黒の表面に、金色の脈が浮かび上がっている。
「この薔薇の蜜を舐めてごらんなさい」
エリスが差し出したのは、黒薔薇の花弁。その表面には金色の露が滴っていた。月の光を受けて、琥珀のように輝いている。
「これは……?」
「夜の果実のエッセンス。これを舐めると、あなたの身体は別の形に生まれ変わる」
エリスの声は、蜂蜜のように甘く、毒のように危険だった。
彼女は私の背後に回り、両手で肩を包み込んだ。長い指が、ドレスの紐を解いていく。絹のような感触と共に、衣装が床に滑り落ちた。
「怖くないわ。私が、ずっとそばにいるから」
耳元で囁かれる言葉に、全身が震えた。
エリスの指先が、私の首筋をなぞる。その感触は冷たく、しかし確かな存在感があった。まるで蛇の舌のように、しなやかで優美な動きで私の肌を這う。
「さあ、受け入れて」
私は、指先で花弁をすくい、その蜜を舌先に触れさせた。
瞬間、世界が溶けた。
視界が歪み、身体の輪郭が曖昧になる。皮膚が液体のように波打ち、骨がしなやかに変化していく。
痛みはなかった。ただ、これまでの自分が溶けて、新しい何かに生まれ変わっていく感覚。まるで、蛹の中で蝶に変わっていくような。
エリスの手が、私の変容する身体を優しく包み込む。その腕の中で、私は溶け、流れ、そして再び形を得ていった。
「美しい……」
彼女の声が、遠く、そして近く響く。
意識が朧になり、私は深い眠りに落ちていった。
### 第三章:蝶の目覚め
目を覚ますと、私は見知らぬ寝台の上にいた。
天蓋付きのベッドは、深紅のビロードで覆われている。その生地には、金糸で薔薇の模様が刺繍されていた。
身体が、違和感なく軽い。
壁に掛けられた全身鏡に映る自分の姿は、昨日までの私ではなかった。
指先が細く、白磁のような肌は滑らかに輝いている。髪は漆黒の流れとなり、腰まで美しく伸びていた。目元の陰影が深まり、瞳の色は琥珀色に変わっていた。
「どう? 美しいでしょう?」
エリスが背後から現れ、私の肩にそっと唇を寄せた。
彼女は今朝、さらに妖しい魅力を漂わせていた。漆黒のコルセットドレスは、ウォルト・メゾンの最新作を思わせる優美なシルエット。胸元から腰にかけて、黒薔薇の刺繍が施されている。
顔の化粧は、まるでルドン(Odilon Redon)の描く幻想画のよう。真珠の粉を混ぜた白粉が、肌を月光のように輝かせる。唇は深紅に彩られ、まるで血を塗ったかのような艶めきを放っていた。
「あなたは、私の最高傑作よ」
エリスの眼差しは、まるで私を創造した神のようだった。
「完璧な美しさ。でも、まだ仕上げが必要ね」
彼女は化粧台の前に私を座らせ、メイクを施し始めた。
蒸留薔薇水で肌を整え、真珠の粉を混ぜた白粉を丁寧に重ねていく。眉は細く長く、翼のような形に描き、まぶたには金の粉を散りばめる。
「これは、ペルシャの秘薬を調合したリップクリーム」
エリスは私の唇に、深い紫を帯びた口紅を塗った。その瞬間、唇がしびれるような感覚。
「さあ、仕上げよ」
彼女の指が私の首筋をなぞり、静かに唇を重ねてきた。
甘く、そして深い接吻。
その瞬間、私は悟った。私は、この瞬間のために生まれ変わったのだ、と。
キスの後、エリスは優雅に身を起こした。
「今夜から、あなたは私のコレクションの一つ。永遠に、この館で生きるのよ」
その言葉に、得体の知れない戦慄が走った。しかし、もう後戻りはできない。
私は、彼女の蝶になったのだから。
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