ホワイトタイガー編 第3話:夜明け前の囁き

 ◆ シロの姿が戻りつつある


 檻の奥に、ぼんやりと浮かび上がる白い影。


 それは、風に揺れる霧のようでありながら、確かに"そこにいる"と感じさせるものだった。


「シロ……戻ってきて……」


 ゆりあは、そっと囁いた。


 ゴロロ……


 再び、喉を鳴らす音。


 その音が、ゆりあの胸の奥にまで響く。


「……大丈夫だよ」


 ゆりあは、できるだけ優しく声をかけた。


「私はここにいる。だから、君も安心していいんだよ」


 ——その瞬間、シロの影が、ほんの少しだけ"はっきり"とした。


「見えてきた……!」


 先輩飼育員が、小さく驚きの声を上げる。


「シロ、やっぱりここにいたんだ……!」


「でも、どうして今まで見えなかったんだ……?」


 スタッフたちも息を呑みながら、目を凝らしていた。


 ゆりあは、オウムの言葉を思い出す。


「クック……見えていない……そこにいる……」


 "見えていない"だけで、シロは最初からここにいた。


「どうして……?」とゆりあは心の中で問いかける。


 ——すると、オウムが小さく羽ばたきながら、静かに囁いた。


「クック……夜のルール……」


「夜の……ルール?」


 ゆりあは、オウムを見つめる。


「この動物園では、夜になると"見えなくなる"ことがあるの……?」


 オウムは、首を傾げたまま、ふわりと羽を揺らした。


「クック……消えたわけじゃない……"夜の世界"に隠れただけ……」


 ——夜の世界?


 ゆりあの背筋が、ゾクっとした。


 まるで、昼間とは異なる"もう一つの世界"が、この動物園にはあるような気がした。




 ◆ 飼育員たちの困惑


「ゆりあ……今、何か聞こえたのか?」


 先輩飼育員が、ゆりあの表情を見て尋ねる。


「……うん。オウムが……"シロは消えたわけじゃない"って……」


「……?」


「"夜の世界"に隠れていただけ、って……」


「夜の世界……?」


 先輩は、困惑したように眉をひそめた。


「でも、今までこんなことなかったよな?」


「……いいや」


 園長が、静かに口を開く。


「実は、これが初めてじゃない」


「え?」


 スタッフたちは、驚いて園長を見つめた。


「以前にも、一部の動物たちが"夜だけ"姿を消したことがある」


「それって……」


「ただし、翌朝には何事もなかったように元に戻っていた」


 ゆりあは、息を呑んだ。


「……シロも、朝になれば元に戻るんですか?」


 園長は、ゆっくりと首を振る。


「シロは特別だ。この動物園に来てから、何度も"不思議な現象"が起こっている」


「じゃあ……?」


「もしかすると、"呼びかけなければ戻らない"かもしれない」


 その言葉に、ゆりあの心が強くざわめいた。


 "私が、もう一度呼びかければ、シロは戻ってくるかもしれない"——




 ◆ ゆりあの決意:シロを呼び戻す


 ゆりあは、檻の前に静かに立った。


「……シロ」


 懐中電灯を消し、そっと目を閉じる。


「君のことを探してるよ。だから……戻ってきて」


 深く息を吸い、心を落ち着ける。


 その瞬間——


 ゴロロ……


 今までよりも、少し強く喉鳴らしの音が響いた。


 次の瞬間——


 檻の奥の空気が、ふわりと揺れる。


 シロの影が、ゆっくりと"色"を取り戻し始めた。


 白い毛並み、鋭くも優しい瞳。


「——シロ!!」


 ゆりあは思わず声を上げた。


 先輩も、驚きに目を見開いている。


「本当に……戻ってきた……」


 園長は、静かに頷いた。


「やはり、"お前が呼びかけた"からだな」


「……!」


 ゆりあは、自分の胸に手を当てた。


 "動物の声を聞く力"


 もしかすると、本当にそんな力が自分にはあるのかもしれない。


 その時——


 オウムが、ふわりと羽ばたいた。


「クック……良かったね……」


 まるで、すべてを見届けたかのように。


 オウムは、一度だけゆりあを見つめると、そのまま夜の空へと飛び去っていった。




 ◆ 夜明けと、新たな夜の物語へ


 ホワイトタイガー消失事件は、こうして解決した。


 シロは、もといた場所に戻り、檻の中で静かに佇んでいる。


 まるで、最初からそこにいたかのように——。


 園長は、満足そうに頷いた。


「シロは、確かに"消えた"んじゃなかった。"見えなくなっていた"だけだったんだ」


「じゃあ……これからも、こんなことが起こるんでしょうか?」


 ゆりあが尋ねると、園長は小さく笑った。


「さぁな。でも、お前なら……また動物たちの声を聞けるかもしれないな」


 ゆりあは、自分の手のひらをじっと見つめた。


 ——私は、動物たちと"話せる"の?


 まだはっきりとした答えは出ない。


 けれど、確かに"聞こえた"のは事実だ。


 その夜——


 ゆりあは、次の巡回へと向かった。




 ◆ 次の不思議な出来事


 ゆりあは、夜の水族館エリアに足を踏み入れた。


 青白い光が揺らめく水槽。


 そこには、無数のクラゲが漂っていた。


「……すごく綺麗……」


 幻想的な光に、思わず見惚れる。


 しかし、その光が、まるで"何かを伝えようとしている"ようにも見えた。


「……?」


 ゆりあの耳に、かすかにあのオウムの声が聞こえた気がする。


「クック……見ている……そこにいる……」


 それは、新たな夜の物語の始まりを告げる囁きだった——。




 To be continued…

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