わたしはねこである

川原にゃこ

よくある孤独



 わたしはねこで、なまえはまだない。



 どこで生まれたのかはわからない。

 うすぐらいじめじめしたところで、にゃあにゃあ泣いていたことだけはおぼえている。

 わたしはここではじめて、というものを見た。



 そのおおきいのは、わたしをいじめるみたいな色のかみの毛をしていたので、さいしょ、おおきいからすだ!とおもったわたしは、おびえてもっと泣いたけど、そのおおきいのはわたしをやさしくだきあげて、そのふわふわのけがわのなかにわたしをいれた。


 それはやさしかったので、もしかしてこれはからすじゃなくって、ほかのねこがはなしていた、にんげんっていうやつなのかなとおもった。



 にんげんのけがわってなんだかふしぎね。

 そのひとのけがわは少しいいにおいがして、わたしはうとうととしてしまった。



 きゅうにめのまえがあかるくなって、わたしはけがわから出されたことを知った。

 ここがどこかわからなくて、わたしはまたにゃあにゃあ泣いてしまったけど、そのひとはやさしくわたしのあごの下をなでで、ぬるいミルクをくれた。


 おなかがいっぱいになって、またあくびがでてしまう。


 そんなわたしをみて、そのひとはクスクスわらって、「おやすみ」といってふかふかのけがわのうえにわたしをのせてくれたので、わたしはそのけがわにくるまって、ぐっすりねむった。



「おはよう、アン」



 朝になって、そのひとはわたしをだきあげてそういった。

 さいしょ、なんのことだかわからなかったけど、“アン”というのがわたしのなまえになったことがわかって、わたしはちいさく鳴いた。

 そのひとは、わたしのはなさきをくすぐって、カリカリをくれた。


 それからというもの、わたしはいっぱいのことをしった。


 その人は、トルファトーレということ。

 ほかの人に“せんせい”とよばれているということ。

 人げんは、毛がわをもっていないから、毛がわがわりに、おようふくを着ること。

 わたしはねこで、せんせいは人げんだってこと。

 せんせいはとってもねこがすきっていうこと。

 わたしがせんせいのおふとんにもぐりこんだら、せんせいはいやがらないで、うれしそうにしてくれること。


 せんせいはとってもあたたかかった。毛がわはないけど。

 せんせいがお外からかえってきてすぐ、アンただいま、といって、わたしをだきあげて、わたしをなでてくれることがなによりすきだった。



 せんせい、だいすき。



 でも、わたしはねこだから、せんせいとずうっといっしょにいられないことは知ってる。

 先生に拾われたばかりのときのちっぽけだったわたしは、すぐに大きくなった。

 わたしと先生は同じ時間を歩んでない。

 きっとわたしは先生よりも早く、先生とさよならしないといけない。

 こんなに先生がすきなのに、こんなに先生と一緒にいたいのに、どうしてなんだろう。

 どうして一緒にいられないんだろう。



 わたしはかなしくて、でもどうしてこんなに悲しいのかわからなくて、人間がとってもうらやましくなってしまった。

 人間は賢いから、きっとこんなとき、じぶんのきもちをきちんと理解して、きちんと処理できるんだとおもう。

 わたしはねこだから、それができない。

 考えれば考えるほど、頭がこんがらがってしまって、なにも考えられなくなってしまうのだ。



 人間になれたらな。


 人間になれたらきっと、先生と同じ時間をすごすことができる。


 人間になれたらきっと、スカートが履ける。


 人間になれたらきっと、すきって伝えることができる。


 いまの私は、すきっていっても、にゃあとしか言えなくって、先生には伝わらない。



 人間になれたら、きっと言える。



 せんせい、だいすきって。



 私は先生の頬にそっと口づけて、とびっきりの親愛のしるしにぺろりと舐めて、にゃあと鳴いたけれど、先生は「くすぐったいよ、アン」と笑っただけだった。

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わたしはねこである 川原にゃこ @nyako_kawahara

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