歌舞伎町のホスト、すべてを投げ出した男

@YamadAkihiro

第1話

アキラは、一度も「本物の」仕事をしたことがなかった。


夢が生き延びること以上には広がらない荒れた地域で育った彼にとって、最大の武器は魅力だった。


中学に上がる頃には、すでに周囲の少年たちが羨む存在になっていた、彼の言葉に女の子たちが夢中になるような男だった。


高校に入る頃には、彼はすでに「欲しいものを頼まずに手に入れる技術」を極めていた。金、贈り物、好意——すべてが自然と彼のもとへ流れてきた。


彼の友人たちが彼を尊敬したのは、彼が一番頭が良かったからでも、強かったからでもない。ただ、「女の子を思い通りにできる」男だったからだ。


彼らの世界では、それこそが“本当の力”だった。


アキラが卒業すると、大学に進む選択肢はなかった。工場やコンビニで汗水垂らして働くなんて、彼には耐えられなかった。


「なぜそんなことをする?俺は俺でいるだけで金がもらえるのに。」

そう思った彼にとって、ナイトライフ業界は当然の選択だった。


ホストをすることは、彼のために用意された舞台に立つようなものだった。


そして、彼は繁華街・歌舞伎町のネオンに照らされた世界で輝いた。


そこでは、“魅力”と“人心掌握”こそが金になる。


クラブの中では、光が舞うように揺れ、艶やかな赤から憂いを帯びた青へと変わり、ビロードのソファに影を落としていた。


グラスの触れ合う音、低く抑えられた会話、そして時折響く甘い笑い声が、享楽の交響曲を奏でている。


そして、その中心に立つのは、まるで太陽のように周囲を惹きつけるアキラだった。


彼は“無視できない男”だった。


彼が足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。


完璧に仕立てられたスーツがしなやかな体を包み、その生地の艶がライトを受けて輝く。


乱れているようで計算された髪が、彼の魅力を際立たせる——鋭く彫刻のような頬骨、挑発的な笑み、そしてシャンパンと煙の霞を突き抜ける双炎の瞳。


彼が誰かを見つめると、その瞬間、喧騒の東京が消え去るような錯覚に陥る。


それは言葉だけではない。


その言葉の“言い方”が特別なのだ。


まるで蜜に毒を忍ばせたような、甘く危険な響き。


「お嬢さんたち。」

彼は常連のテーブルに向かい、低く、滑らかで温かい声をかける。


ウイスキーのような響きのその声に、彼女たちはとろけるように笑顔を浮かべた。


アキラがお客さんの隣に滑り込むと、雰囲気が一変します。まるで別世界にいるようです。


ドン・ペリニヨンのボトルが運ばれてくる。アキラは洗練された動きでコルクを抜き、泡があふれ出すと同時に、弾けるような笑い声が広がった。


「君のために。」

彼は黄金の液体をグラスに注ぐ。その声は、「君にはこれくらい当然だ」と言わんばかりだった。


彼は彼女たちに乾杯したそれぞれに違う言葉で。


彼の言葉は、彼女たちの孤独を癒し、夢を見せ、現実からの逃避を許す魔法のようだった。


だが、彼の魅力の裏には、鋭利な知性が潜んでいた。


彼は、一人の女性がグラスを取るまでにかかる時間を測っていた。


別の女性が笑う時、指先でテーブルを軽く叩く仕草も見逃さなかった。


それらの些細な“癖”が、今夜どの客が大金を落とし、どの客がもう一押し必要かを示していた。


そして、そこにハナがいた。


彼女は、他の客とは違った。


アキラにとって、彼女はただの客ではなかった。


彼女は、かつての自分を思い出させる存在だった。


彼女もまた、貧しい街で育った。


そこでは、夢は贅沢であり、持つことすら許されなかった。


当時二人は会うことはなかったが、アキラは彼女の中に、苦悩の重みを無理やりの笑顔の裏に背負い、ほんの一瞬でも何かもっと良いものを切望する若い頃の自分を垣間見た。


ハナは違った。


彼女の鋭いウィットと自虐的なユーモアは、彼が慣れない形で彼の警戒心を解いた。


時々、二人で座っているとき、彼の笑い声が部屋に響く中で、アキラは冗談めかして言った。「あなたと一緒にいるためにお金を払うべきだ。」


それでも、彼はハナが金を使うのを止めはしなかった。彼は自分に言い聞かせた。「俺が受け取らなくても、誰かが彼女の金を奪うことになる。」


それでも時折、ほんのわずかな瞬間に、彼の心は揺らいだ。


ハナが財布を探るとき、震える手でクレジットカードを取り出すとき。あるいは、冗談めかしながらも、「借金で首が回らないのに、あなたから離れられない」と打ち明けたとき。


アキラは、その言葉の意味を知っていた。その先に何が待っているのかも。


それでも彼は彼女を止めなかった。


アキラの上司がハナが失踪したと聞いたとき、彼は最初理解できなかった。「彼女が限界に達して請求書を払えなくなったので会いに行ったんだ」と上司は冷たく言い、まるで彼の喉を切るような仕草をした。「でも今はもう彼女はいない。彼女は自分で問題を解決したんだ」


最初、アキラの反応は鈍かった。


悲しみを感じたが、それは遠く、機械的なものだった。


彼女の笑い声や皮肉めいた冗談を思い出した。彼の夜を明るくしてくれた存在だったことを思い出した。


彼は自分に言い聞かせた。


きっと寂しくなるだろう。


しかし、それ以上の感情は湧かなかった。


アキラは香水を吹きかけ、眉を整え、次の客を魅了する準備を始めた。


だが、ネオンの光に飛び込もうとしたその瞬間、バーテンダーが彼に封筒を差し出した。


「ハナって女の子が、お前にこれを残していったぞ。」


その声には、アキラには読み取れない感情がにじんでいた。


封を開けると、そこにあったのは助けを求める言葉でも、恨みの言葉でもなかった。


それは、まるで光のような手紙だった。


「あなたのおかげで、見たことのない世界を知ることができた。」


「あなたの自信が好きだった。あなたがいるだけで、部屋が明るくなるところが好きだった。」


「どんなに暗い気持ちになっても、あなたといると、生きていると感じられた。」


「私はあなたを決して忘れない。」


そう書かれていた。


しかし、アキラの目には


「私はあなたを決して許さない。」


彼は息切れを感じ、鈍い痛みが胸に広がった。


彼女の感謝の言葉が、まるで鋭い刃のように突き刺さった。


彼女は彼を信じていた。


彼を頼っていた。


それでも、彼は彼女を救わなかった。


最後の一文を読み終えたとき、アキラの手は震え、視界が滲んでいた。


その夜、アキラは仕事ができなかった。


客が待っているのは分かっていたが、彼はクラブを飛び出し、あてもなく街を彷徨った。


彼は、息が詰まるような感覚から逃れられなかった。


「俺は、何をしてしまったんだ。いや、何をしなかったんだ。」


朝方、クラブに戻ると、上司が怒鳴った。


「どこに行ってたんだ? 昨夜、お前を探していた客が何人いたか分かってるのか?」


だが、アキラはどうでもよかった。


上司の目を真っ直ぐに見据え、静かに言った。


「もう終わりです。辞めます。俺には、もうできません。」


男は椅子に深くもたれ、薄く笑った。


「これは彼女のことだなんて言わないで。」


アキラが黙っていると、男は呆れたように笑った。


「まったく、お前がそんなに甘いやつだったとはな。俺の稼ぎ頭が、たかが死んだ女のために全部投げ出すのか?」


「馬鹿なことを言うなよ、アキラ。彼女はこの世界のルールを知っていた。みんな知っている。」


アキラは答えず、黙ったままだった。


ボスはアキラの顔と表情をじっと見つめた。長い沈黙の後、彼の怒りは次第に冷たく、計算高いものへと変わっていった。


アキラは組織の中でも特に稼ぎ頭だった。簡単に手放すつもりはない。


だが、若い男の顔に刻まれた罪悪感は明らかだった。


「行かせてやれ」ボスは思った。どうせすぐに現実の厳しさを知って這い戻ってくる。もし戻らなければ、俺が引きずり戻してやる。アイツは俺のものだ。


「いいだろう」

ボスはやがて微笑み、言った。

「行け」


その言葉の裏にある脅威をアキラは感じ取ったが、気にしなかった。

彼はクラブを後にし、アパートへと歩く。


歩くたびに足が重くなる。


目の前にそびえる建物輝くような近代的で豪華なマンション。それを見た瞬間、胸に鋭い痛みが走った。


俺がこんな暮らしをできるのは、血で汚れた金のおかげだ。


部屋に入ると、クローゼットには整然と並ぶデザイナースーツ。


棚には家賃よりも高価な香水の瓶が並び、ジュエリーボックスには輝く財産が詰まっていた。


だが、それらすべてが汚れて見えた。


アキラはハナとのやり取りを頭の中で繰り返し、自分と過ごすためだけにハナが借金をするのを止められなかったことを自分を責めた。


時は流れ、アキラはその思考の牢獄に囚われ続けた。


そして、結局金が尽きた。


高級マンションから安いマンションに引っ越した後でも。


今、収入のないアキラは、不確かな未来と向き合っていた。


見栄を張るために稼ぎの大半を使い果たし、手元に残った金はわずかだった。


そこでアキラは仕事を探すことにしました。


だが、もう自分の容姿や魅力に頼る仕事は嫌だった。


彼は普通の仕事を望んでいた


しかし、アキラは大学に進学しなかった。


そして、履歴書に載せられる経験もなかった。


かつては彼の武器だった魅力と社交性は、今では使いたくない刃のように感じられるようになった。


何十社も履歴書を送ったが、大半は無視された。

わずかに届いた返事も、冷たい不採用通知ばかりだった。


日々は失望の中で霞むように過ぎていった。

だがある朝、スマホが振動した。

想定外のメールが届いていた。


面接の招待状だった。


企業名カイホウ物流。


オフィスは生産的な仕事のざわめきでかすかにざわめいていた。


従業員たちはオープン フロアの机の間を走り回り、電話が鳴り、指がキーボードをたたく。


アキラは、サイズの合わないグレーのスーツを着て場違いな気分になり、待合室でぎこちなく座っていた。


かつては肩まであった髪は今は短く切られているが、彼の印象的な容姿は依然として好奇心をそそる視線を集めていた。


面接室の中。


担当者・田中。経験豊富な採用マネージャーで、鋭い眼光を持つ男だった。


彼はアキラの履歴書、「何もない紙」を見つめる。


「空白の履歴書に、写真もなし…」田中は椅子にもたれながら言った。 「どうして写真がない?」


「持っていません」 アキラは淡々と答えた。


アキラは見た目だけで雇われたくなかった。


田中の口元に微かな笑みが浮かぶ。


「なぜウチで働きたい?」


「普通の仕事が…したいんです」アキラは静かに言った。その声には、わずかながらも切実な響きがあった。


田中は長い沈黙の後、じっとアキラを見つめた。これまでの経験から、人を見抜く力には自信がある。


たとえ地味なスーツに身を包んでいても、アキラの過去は透けて見えた。

だが、その瞳の奥には何かがあった。


決意そして、変わりたいという静かな渇望が。


「こんな履歴書は滅多に来ないな」田中は呟く。「職歴もない。アピール材料も何もない」


「はい」アキラは二度頷いた。


「残念だが」

田中は言った。


「このポジションでは君を雇えない」


アキラの肩がわずかに落ちたが、それを隠そうとした。彼はもう一度うなずき、静かな気品をもって拒絶を受け入れた。


「でもな」田中が続けた。「別の役職で君を雇いたい。なかなか埋まらないポジションなんだ」


アキラは驚き、瞬きをした。「はい。やります。」まるで人生が差し出した救いの綱にすがるように、本能的にそう答えた。


田中はくすくす笑った。「君はまだ自分の仕事が何なのかわかってないね。」彼は立ち上がり、アキラに付いて来るように合図した。「ついて来い。」


開けたオフィスを歩くと、社員たちは仕事の手を止め、アキラをちらちらと見た。


「推薦するのはロジスティクス・コーディネーターの仕事だ」田中は説明した。「プレッシャーの多い仕事で、動く要素も多い。大抵の人はすぐに辞めるか、長続きしない。しかも、部署は全員女性だ。」


アキラは首を振って笑った。


まるで運命が悪戯しているようだった。


ホストをしていた頃も女性に囲まれていた。そして今、全く違う世界で、再び女性に囲まれることになるとは。


まるで宇宙が仕組んだ冗談のようだった。


二人が歩みを進めると、活気に満ちた一角にたどり着いた。


他のオフィスとは明らかに雰囲気が違い、カラフルな文房具や個性的な小物が並び、女性チーム特有のエネルギーにあふれていた。


田中は、一人の女性のデスクへと向かった。彼女は書類を確認していたが、二人の気配に気づき顔を上げた。


吉田美緒ロジスティクス・マネージャー。


彼女は小柄だったが、周囲を圧倒するような堂々とした雰囲気を持っていた。


「吉田さん、君の新しいロジスティクス・コーディネーターを紹介しよう。」田中が言った。


美緒はアキラを見て、片眉を上げた。そして、くすりと笑った。「へぇ、ピアス多いね?」からかうように言った。「私より多いかも。」


アキラは反射的に耳に触れた。何ヶ月もピアスをつけていなかったのに——。「ええ…」と、ぼそりと答えた。


美緒は笑った。「私は吉田美緒。でも ‘美緒’ でいいよ。よろしくね。」


「初めまして…澪ちゃん」アキラは軽く言った。


美緒の目が輝いた。「あら、いきなり下の名前?大胆だね。」


「すみません、そんなつもりじゃ」


「いやいや、冗談だよ。」彼女は笑って言った。「ここの人たち、ちょっと堅苦しいからさ。そのままでいいよ。」


田中は笑った。「美緒、彼を頼むよ。アキラ、ようこそ——カイホウ・ロジスティクスへ。」


アキラは深々とお辞儀をした。自分でも驚くほど、自然に出た動作だった。「ありがとうございます。」


田中が去ると、美緒は「こっち」と手招きし、アキラをチームの女性たちに紹介した。


彼女たちは興味津々といった様子で、新しい同僚を観察していた。


彼らはすぐに、自分たちのチームにこんなにハンサムな男性がいるなんて「幸運」だと冗談を言ったが、アキラは気まずい笑い声でそのコメントを否定した。


職場は活気にあふれていたが、同時にカオスでもあった。デスクはバインダーや配送リスト、付箋で散らかり、電話のベルが鳴り響き、プリンターの低いうなり声が空気を満たしていた。


しかし、美緒は若い見た目とは裏腹に、その混沌とした環境を軽やかにさばいていた。


「この仕事、大変だよ。」美緒は案内しながら言った。「最初は失敗ばかりすると思う。でも、それは普通のこと。だから…途中で逃げ出さないでよ?」


「はい。辞めません。」アキラははっきりと答えた。


最初のうち、アキラは苦戦した。ミスを連発し、注文を間違え、何度も混乱した。


だが、美緒は決して怒らなかった。時には冗談を交えながら、根気強く彼を指導した。


やがて、アキラのミスは減っていった。彼の粘り強さと、美緒の支えが、適応を助けてくれた。


時々まだ居心地が悪く感じることもあったが、チームの仲間意識と美緒の変わらぬサポートが、その移行を楽にしてくれた。


やがて同僚たちは、単なる「イケメンの新入社員」としてではなく、「静かで芯のある男」としてアキラを受け入れ始めた。


そしてアキラもまた、今までとは違う視点で——女性という存在を見つめ直し始めていた。


ある晩、ミオが宣言した。

「よし、みんな!今夜は飲みに行くわよ。言い訳はなし。アキラ、もちろんあなたもね。」


「えっと、俺は遠慮しとくよ」アキラが言いかけたが、ミオが鋭い視線で遮った。


「いいえ。チームの義務。チームの楽しみ。それらは譲れないものよ」とミオは偽りの権威でアキラを指差しながら言った。「それに、最初の一杯は私がおごってあげるわ」


こうしてアキラは、賑やかな居酒屋の席に座ることになった。ミオとチームのみんなに囲まれ、店内はグラスのぶつかる音や笑い声で満ちていた。


最初、アキラは水のグラスを手にし、周りの同僚たちがくつろいで楽しむ様子を眺めていた。


しかし、ミオはそれを許さなかった。


「アキラ?」彼女はいたずらっぽく微笑みながら身を乗り出した。「チームの一員なのに、一緒に飲まないなんて裏切りじゃない?」


「俺、あまり飲まないんだよ。」アキラはかわそうとした。


「選択肢はないわ。」ミオはきっぱりと言い、店員に手を振った。「この真面目でつまらない同僚にビールを一杯。」


アキラは彼女の強い圧力に屈し、しぶしぶ一口飲んだ。そして少女たちは彼が何か偉業を成し遂げたかのように歓声をあげた。


酒が進むにつれ、女性たちは酒の勢いでアキラにちょっかいを出し始めた。彼のそばに寄り、くすくす笑いながら褒め言葉を浴びせる。


しかし、アキラは動じることなく、彼女たちを気まずくさせずにやんわりと受け流した。


「へぇ…」ミオはその様子を見て、感心したように言った。「上手いわね。」


「何が?」アキラは気づかないふりをした。


「酔った女の扱いよ。」ミオはニヤリと笑った。「大抵の男は焦るか、逆に調子に乗る。でも、あんたは違うのね…」彼女はそう言って、感心したように首を振った。


アキラは何も答えなかったが、その言葉は彼の心に残った。


夜が更けるにつれ、酔った女性たちは次第に心の内を語り始めた。


失敗した恋愛、家族の問題、叶わなかった夢、まるで酒が彼女たちの鎖を解いたかのように、彼女たちは思いの丈を吐き出していった。


かつてのアキラは、女性の悩みなど浅はかで取るに足らないものだと思っていた。


しかし、毎日彼女たちと働き、会話を聞き、彼女たちの人生を知るうちに、その苦しみや夢、逃げ場を求める気持ちを理解し始めた。


ホストだった頃、彼にとって女性はただの「歩く現金自動預け払い機」だった。


彼女たちは彼の笑顔と話術、作り上げた幻想に金を払う存在でしかなかった。彼は決してその奥を覗こうとはしなかった。


しかし、彼女たちの話を聞いているうちに、ホスト時代の記憶が蘇る。


ホスト業界は孤独な女性の弱みを搾取する搾取ビジネスだと考えていたが、次第に疑問を抱くようになった。


浪費と借金を除けば、他にも何かがあった。それは、ある種の慰めだった。


ホストは女性たちに幻想を与え、痛みから一時的に逃れられるようにしました。


数時間の間、彼女たちは気遣われ、世話され、愛されていると感じることができました。そして時には、それが彼女たちが現実の厳しさに耐えるのに十分でした。





ある日、アキラは階下で誰かが待っていると聞かされた。


彼は驚いた。


彼がそこで働いていることを誰も知らなかった。しかし、その名前を聞いた瞬間、彼の背筋は凍りついた。


ケン。


ケンは彼がホストをしていた頃の同僚の一人だったが、ただの同僚ではなかった。


ケンはトップクラスの稼ぎ手で、カリスマ性があり、支配的で、王族のように振る舞っていた。


アキラは彼が業界を去って以来彼に会っていなかったが、今彼と顔を合わせると思うと不安でいっぱいだった。


アキラがロビーに着いたとき、すでに有名人が建物内にいるという噂が広まっていた。


ケンは完璧に「それ」を演じていた。


仕立ての良いスーツ、完璧にセットされた髪、そして全身から漂う圧倒的なオーラ。


その場にいる誰もが彼の存在感に圧倒されていた。


女性たちは用事があるふりをしてロビーに留まり、彼を一目見ようと視線を送る。


男性たちは、羨望と嫉妬が入り混じった目で彼を眺めていた。


ケンは周囲の視線をよく理解していた。


彼はロビーの中央にある大きなソファに座り、王座に座る王様のように、背もたれに腕をかけて後ろにもたれていた。


その鋭い眼差しと自信に満ちた薄笑いは、彼が放つ近寄りがたい圧倒的な存在感をさらに際立たせていた。


ケンはアキラを見つけると、笑みを深めて小さく笑った。

「お前、一体どうしたんだ?」


彼は頭からつま先まで彼をじっと見つめたが、その視線は明らかに嘲笑に満ちていた。

「見ろよ、その服。その髪。その顔。その自信はどこにいったのですか?かつて持っていたあの神のような魅力は?」


「外で話しましょう」アキラはきっぱりと言ったが、その声には明らかに力強さがあった。


ケンは眉を上げたが、頷いた。「ちょうど昼飯に誘おうと思ってたところだ。」


二人が近くのファミリーレストランへ向かう道中、ケンはアキラをからかい続けた。


「なぜ俺がお前じゃなくてトップになったか、分かるか?」ケンは流れるような、それでいて鋭い声で言った。「お前はルールを守らなかったからさ。いつだって客に深入りしすぎた。自覚がなくてもな。お前は確かに目玉商品だった。だけど、本当の金を稼いでたのは俺だ。」彼は不敵に笑った。「感傷的なお前のおかげで、俺は楽にトップに上り詰められたってわけだ。」


アキラは黙って歩き続けた。


「もし俺がボスだったら、お前みたいな才能の無駄遣いは絶対に許さなかったな。そして今のお前を見ろよ、物流会社勤めだなんて。」ケンは鼻で笑い、首を振った。「地に堕ちたもんだな。」


レストランに到着すると、二人は隅の席に座った。ケンの皮肉交じりの言葉は続いたが、アキラはほとんど反応せず、別のことを考えているようだった。


そして、飲み物を注文したときだった。アキラのかつてのボスが店に入ってきて、何の躊躇もなくケンの隣の席に座った。アキラの正面に向かい合うようにして。


「偶然ですね、ボス。」ケンは薄笑いを浮かべた。「ちょうどあなたの話をしていたところです。」


アキラの体が固まった。


目を細める。


偶然なんかじゃない。


これは仕組まれていた。


最初から。


ボスはゆっくりと前傾し、肘をテーブルに乗せた。

「アキラ。」彼は滑らかな声で言った。「そろそろ戻ってこい。あの女を悼む時間は十分にくれてやった。だが、もう終わりだ。お前の居場所はここじゃない。我々のもとだ。」


アキラの顎がわずかに強張る。「戻るつもりはない。」


ボスの笑みは崩れなかったが、その声には鋭さが増した。

「自分の本質から逃げ続けることはできないぞ。カイホー物流?本気でそんな仕事がお前にふさわしいとでも思ってるのか?そんなところでくすぶってるのは時間の無駄だ。」


彼はさらに身を乗り出し、低い声で囁く。

「それに……世の中の仕組みは知っているだろう?お前の望みだけで全てが決まるわけじゃない。俺に借りがあるはずだ。」


ケンはニヤリと笑い、余興を楽しむように椅子の背にもたれた。


アキラの目が暗くなる。彼はテーブルに視線を落とし、そこに置かれたナイフの光沢を見つめた。ゆっくりと手に取り、指でその冷たい金属を感じる。


「俺は戻らない。」アキラは静かに、しかし氷のような声で言った。「それを受け入れられないなら……今ここで決着をつけるまでだ。」


アキラはナイフを持ち上げ、自分の顔に向けた。一生消えない傷をつける覚悟だった。


「やめろ!」

ボスが吠え、素早く手を伸ばしてアキラの手首を掴んだ。


テーブルの空気が張り詰める。ケンの薄笑いが初めて揺らぎ、警戒の色が浮かんだ。


「そんな芝居がかったことをする必要はない。」

ボスの手の力が強まる。声は落ち着いていたが、その奥にある威圧は明らかだった。

「騒ぎにするな。」


アキラはゆっくりとナイフを下ろし、表情を変えなかった。


ボスは手首を放し、余裕を取り戻しながら立ち上がった。


男たちが去ったあと、アキラは席に座ったまま、目の前のナイフを見つめ続けた。


カイホウ・ロジスティクスへ戻る道すがら、彼はこの出来事の重みを振り払えなかった。


しかし彼が感じたのは恐怖ではなく、予期せぬ感情だった。


安堵。


彼は正しい選択をした。


ホストの世界を捨て、カイホウ・ロジスティクスで普通の仕事を選んだことで、自分を尊敬できる人間へと成長できた。


それでハナが戻るわけではない。何をしても、それは決して叶わない。


だが、少なくとも、もう誰かの死を招くことはない。


カイホウロジスティクスの同僚たちのことを思いました。


彼らの正直さ、仲間意識、そして共に乗り越えてきた苦労。


どれほど温かく迎え入れられ、支えられ、そして知らぬ間に自分をより良い人間へと導いてくれたか。


アキラは思った。


この仕事に巡り会えたことは幸運だった。


この人たちに出会えたことは、もっと幸運だった。


彼らはただ、彼を前に進ませてくれただけではない。


彼を、一から作り直してくれたのだ。

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