4-2

 助かりました、と、余所行きの顔でジャフィーは微笑んだ。


「頂いた茶で目が覚めました。……あれは、どういった?」

「後宮に魔術がかかっていることは、古い貴族の間では有名な話でしてね」


 アリがジャフィーを連れて向かったのは、王都から少し離れた都市の領主の館だった。

 領主ヴィエトは、古い貴族でありながら、はやくからルグレアの才覚を信じ、クーデターの際も大いに活躍してくれた壮年の男である。ヴィエトはジャフィーとの再会を喜び、同志として集った数人を紹介した後、ジャフィーも知らなかった事実を話してくれた。


「……かつて、王が、執拗に魔術師の子を望んだ時代がありましてね。逃さぬようにと、魔術妨害のための術を幾重にもかけた。私どもが差し入れた薬は、当時開発された、魔術に寄るものではない──故に、警戒されず後宮に持ち込める気付けの薬です」

「なるほど」


 後宮は、並大抵の牢よりずっと、『魔術師』を囚えるにふさわしい檻だったということだ。ルグレアはいつそれを知ったのだろう、とふと思った。後宮に、誰かを迎えようと思って調べたのだろうか? 一瞬鋭く走った痛みを無視して、ジャフィーは大げさに嘆いてみせる。


「王が、私をそれほど警戒されていたとは……全く、嘆かわしいことです。私こそ、誰よりも王に尽くしてきたというのに」

「そのとおりですとも。ジャフィー殿のみならず、ここにいる同志一同、王の悲願のために尽力して参った者に他なりません。……けれど、王は我々の忠誠をご理解くださらない」


 ヴィエトは、ひどく悲しんでいる様子だった。気持ちはわかるとジャフィーは頷く。その頷きに力を得たように、「ですから」とヴィエトが語勢を強めた。


「故に我らは、王がその意志を貫けるよう──王が本来の望みを叶えられるよう、手助けをすることにしたのです。王がまさしく王となり、国のため、国民のためを思われる姿は尊いものです。しかし我々は、王の志──大いなる野望にこそ心打たれた。王の真の望みは、我々と同じはずなのです」

「……ええ。ええ。わかりますとも」


 ジャフィーは深く頷いた。そして尋ねた。


「して、……手助けとは?」

「簡単なことです。ジャフィー殿がやろうとしたことと同じ──王が国内を慮って戦を起こせないでいるのなら、我々がきっかけを作ればいい」

「……というと」


 ただ国内を慮って──ではないことが今のジャフィーは思うけれど、それだけの理由だと思いたい気持ちもわかった。大陸統一。強気な王を戴きたいという純粋すぎる願い。夢を見続けていたい子どもの我儘。ジャフィーはそんなヴィエトの話を聞きながら、集った面子を確認する。

 烏合の衆だ。かつて共に戦ったことのあるものも、新政権になってから姿を見るようになったものも、記憶にない姿もある。ただ、共通しているのは、少なくとも近年の王宮においては、ジャフィーが彼らの姿を見ていないということだった。

 それはつまり、ルグレアが、ジャフィーが思うよりはやくから内政重視への方針転換を決めていたし、そのための根回しを怠っていなかったのだということだった。


「確かに、二国の同盟は脅威です。……ですが、我々は、だからこそ、彼ら相手に妥協してはならないと考えた。ジャフィー殿にはご理解いただけると思いますが……」


 ヴィエトの話は続いている。矛先を向けられ、ジャフィーは「ええ」と頷いた。


「私も、そう思います。我らを相手取るために彼らは手を組んだ……『だからこそ』、我が君は、彼らを屈服させるべきなのです。今、こちらが融和を望んだら、それは、我々が『下手に出る』ということになる」


 ジャフィーの(彼にとっては)完璧な回答に、ヴィエトは満足げにうなずいた。


「その通りです。そして我が君は最強だ。戦になれば決して負けない──ならば、戦を起こしてしまえばいいのです。つまり、ログーナからの使者を襲います」

「……!」

「そして、筆頭魔術師たる貴方の名において、その首をログーナに送り返して頂く。……残念ながら、我々の名前では弱いのです。その点、貴方であれば、国家の代表であると間違いなく言える。何より」


 ヴィエトはジャフィーをまっすぐに見て、一つの疑いもない顔で微笑んだ。


「王は、絶対に貴方を見捨てない」


 それは──……と、考えながら、考えていることなどおくびにも出さず、ジャフィーは「なるほど」と頷いた。


「悪くない計画です。……しかし、当然、ログーナからの使者には、ログーナからも我が国からも護衛がつきます。使者を奪うには、それなりの戦力が必要だ。しかし、手勢を動かせばルグレアに察知されてしまう。……無論、私がいれば、と言いたいところなのですが……」


 ジャフィーは胸元の鎖を引っ張り、例の赤い石をヴィエトに示した。


「見ての通り、──これは、強烈な魔術がかかっている首飾りでしてね。自分では外せない、どころか、これをつけている限り、魔術もろくに展開できない。そのうえ、私に手を出そうとするものを問答無用で殺す……もはや呪いと言っていい代物です。助けていただいたのに申し訳ないのですが、戦力としてはお力になれそうにない」

「それは……いやはや、その首飾りも、存在は知っていましたが、そこまでの代物だったとは……」

「代々、最も寵愛された妃が賜るものと聞いています。故に、後宮で何かが起きるたびに魔術が重ねがけされたのではないか、と……正直、私も全ては解析できていないのです」

「なるほど、いや、あの偏執的な王宮を思えば有り得る話だ……私のようなものでも、強い魔術の気配だけは感じ取れますからな。ご気分などは」

「大丈夫です。こちらについても、頂いた茶が気休め程度にはなるようで」

「ああ、それはよかった。……いえ、貴方が、何らかの理由で本調子でない可能性については、当然こちらも想定していました。──故に、戦力面については、無論、対策しています」


 ヴィエトはそこで初めて、背後に立つ男を思い出したように振り返り、彼を示すように手を掲げた。


「そうだ。ジャフィー殿に紹介せねばならない男がいるのを忘れていました。──シュバ」


 呼ばれた男が、一歩、前に歩み出る。

 男の顔は包帯で覆われており、ゆるりとそれが解かれるにつれ、ジャフィーは流石に、本心から驚愕して目を見開いた。

 まさか。

 まさかだ。


 その、特徴的な銀の瞳は。


「……ここでは」


 シュバと呼ばれた男──顔の半面に火傷痕を残した、一部の民族に特有の金属めいた色の瞳を持つ男は、ジャフィーを見て唇を歪めた。

 笑ったつもりらしいと気づくのに、少しかかった。


「過去のことは、お互い、忘れましょう」


 ルグレアが、全て焼き尽くしたはずなのに。


「……『死者蘇生』の秘術は」


 ジャフィーが、みんな、殺したはずなのに。


「唯一、ここに……私の頭の中にある」


 シュバが、火傷痕のある指先で、己の頭を指し示す。


「…………なるほど」


 かつて、デルゲと呼ばれていた地方にのみ伝わっていた、『死者蘇生』の魔術。

 ルグレアが『デルゲの虐殺』で全てを焼き払い、研究すら許されない『禁術』として指定し、葬り去ったはずのそれが──恐らくかの戦闘をどうやってか生き延びた魔術師によって、再び日の目を見ようとしている。

 口の中がからからに乾く。そんなジャフィーに気づかずに、寧ろ得意げにヴィエトが語る。


「この男は、かの『デルゲ』の生き残り──僅かに残る同胞の立場を回復させるため、我々に与すると言ってきたのです」

「……生き残り」

「ええ。魔術師はこの男だけですが、非戦闘民などには、当然生き延びたものもおりますからね。彼らは故郷を追われ、出自を隠して生きている。彼の地に戻ることは難しくとも、せめてまとまって暮らせる場所が欲しい、と、彼らはそう願っているのです。……我々の策が成功し、北の二国を掌中に収めた暁には、相応しい土地もまた手に入ることでしょう」


 略奪した地を、功労者に与える。その空手形も戦争においては珍しいことではなくて、ジャフィーの冷静な部分は『万が一成功したとしても果たされない約束だ』と言っている。顔が歪みそうになるのをこらえて──なんでだ? 彼らの苦境は回り回れば彼ら自身のせいで、ジャフィーが心を痛める理由などどこにもないが? ──ジャフィーは微笑んだまま「そうでしょうとも」と頷く。


「幸い、というべきか」


 その頷きに満足して、ヴィエトは、自分がどれほど悍ましいことを言っているのかわからない顔で言う。


「国内が落ち着いたのは『デルゲ』以降ですからね。それまでは各地で反乱が相次いでいた……戦力になるような若い男の死体は、どこにでもあるということです」


 吐き気がする。

 その意味が──戦で死んだ若者の身体を戦力として使う、その非道さが、この男には理解できないのだろうか? 出来ないのだろうな、と思い、同時に、どうして自分には理解できるのだろう、とふと不思議に思った。


 『死者蘇生』の魔術は、魂までは呼び戻せない。あくまで肉体を復元し、ある程度の自立思考──に見える、よくわからないものに基づいた動きをさせることができるだけだ。復活した死者は食事も排泄もしない。その肉体を維持するのは術者の魔力だ──熟練した使い手であれば、さほどの負担とは思えない程度の。

 必要な戦力は、シュバひとりで賄う。

 なるほど、それが出来るからこそ、『死者蘇生』は禁術と言えるのだった。魔術師ひとりが、無限の戦力を生み出す仕組み。




 ともあれ、準備は整った。計画は、二週間後──雪解けを待ち、三国間の協定が結ばれるその日を狙って行われるとのことだった。

 協定が結ばれてしまえば、もはや、強硬派の訴えが人々に届くことはない。三国間もまた雪解けムードとなって、ルグレアがかつて『大陸統一』を掲げていたことは、都合の悪い話として忘れ去られていくだろう。

 だから、今が、最後のチャンスだ。

 誰も彼もが、これを、『王のため』だと思っている。ジャフィーは僅かに眉を歪めた。


「……ルグレア」


 胸に下がる赤い石を軽く握る。捨てられなかった呪い。ルグレアの灯す炎の色だ。



「すぐだよ。すぐに。……俺が、あんたの願いを叶えてあげる」



 ルグレアが、そんなものはもうないと言いはったとしても。

 ジャフィーには、ジャフィーにこそ、ルグレアにすべてを与えられる。ジャフィーはそれを、ルグレアに、思い出させてやらなければならなかった。


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