2-3


 仕方ないな、みたいな顔でルグレアが投げてきたものを、とっさに受け取る。いやすぐ出てくるってことは準備してたんじゃん。行動が読まれている、と思いながら、ジャフィーは手の中のものを掲げ見た。

 金の鎖だ。

 繊細に編まれた鎖の先に、赤い宝石を主とした精巧な細工がついている。鎖の方は新品だったが、細工の方は見るからに年代物だ。宝石の純度と大きさから見ても、相当に値が張る代物であることがひと目でわかった。

 その宝石が、何らかの魔術──後宮と同じ、古く得体の知れない魔術を帯びているということも。


「……なにこれ」

「証」

「証?」

「後宮の主人が持つもんだって、女官長が渡してきた。見覚えねえ?」

「あー……ある、かも……?」


 遠い昔、何かの式典で、かつての王妃の首元にじゃらじゃらと飾られていたもののひとつがこれ……だったかもしれないし、違うかもしれない。ジャフィーはそれを指先でつまみ上げ、思わずはっきり顔をしかめた。


「えー……これ、ずっとつけてろってこと?」

「おう。つけてりゃ外に出ていいぞ。貞操帯みたいな役割を果たすんだと」

「ヤバい魔術じゃん」


 王以外とヤろうとしたら、相手の性器を切り落としたりするってこと? ──この国のトチ狂った王家ならやりかねない、と、ジャフィーは即座に納得した。まあ、ルグレア以外と何かをする可能性なんてゼロなわけだし問題ないか? 思いながら改めて眺め、いやいやと内心で首を振った。


「やっぱ無理!」

「……ああ? 何だよ、……お前にそういう相手が居たとは聞いてねえぞ」

「いないからね。いや、そうじゃなくてさあ……これ、その『貞操帯』だけじゃない魔術かかってるよ絶対。何かはわかんないけど。最悪呪われるまであるって」


 呪いとは、遅効性の魔術の総称だ。ジャフィーが言うと、ルグレアが笑う。


「ああ、なるほど。……お前でも、流石に見ただけじゃわかんねえか?」

「うん。ここまで古いと無理。そもそも古代魔術は苦手なんだよ俺」

「ま、お前を呪えるような術なんて存在しねえだろ?」

「それはまあ、ないけどさ……ここにいる気持ち悪さと変わんないよ、こんなの付けてたら」


 効かなくたって、呪われて気持ちいいやつもいないでしょ? ぼやきながら、中央の石がよく見えるように持ち上げる。

 金細工はずしりと重たく、一際大きな宝石は赤く、目に刺さるぐらいに鮮烈な色をしている。綺麗は綺麗だけど、嫌だなあ……と素直に思っていると、ルグレアは「でも」と言いながら目を細めた。


「いいだろ、その赤」

「へ?」

「お前の色だ」


 ルグレアがジャフィーの髪を掬って、そのまま軽く唇を落とす。なるほどたしかに、ジャフィーの髪と瞳は赤色だが──と、ジャフィーは益々顔をしかめた。


「えー、こんな綺麗な色してないでしょ。もっと暗いよ俺の髪は」


 戦場で相対した相手などには『不吉な血の色だ』と称されることも多い、深い紅。適当なことを言うなと憤慨すると、ルグレアはきょとんと首を傾げた。赤なら全部一緒とでも思っていそうな顔だ。


「そうか?」

「そうだよ。大雑把すぎ。赤って言っても千差万別でしょ。……この石は、どっちかというと」


 石を持ち上げる。

 光を受けて、色が変わる。赤と橙の間の色だと思う。鮮やかな、炎のような色だ。

 炎の赤。ジャフィーを、一番安心させてくれる色──……


「……、……まあ、」


 ジャフィーはきゅっと石を握った。

 込められた魔術の煩わしさは消えないが、この石は悪くない、とジャフィーはあっさりと思い直した。悪くない色だ。だから。


「……あんたが言うなら、貰っておいてもいいけど」


 へ、と、ルグレアが、拍子抜けしたみたいな顔をする。どう言いくるめるかを考えていたのかもしれない。ジャフィーはつんと唇を尖らせた。


「これ付けてれば、出ていいんでしょ? 悪いけど、それ以上の決まりは守らないよ。外出届なんて出したりしないし。……夜はまあ、戻ってくるけど」

「お前にそれ以上を求めるのは無理だろうな……。……よし、じゃ、つけてやるから、外すなよ」

「ん」


 気が変わる前にとでも言いたげに、ルグレアが金の鎖を手にとって、ジャフィーの首へと回しかける。ジャフィーの赤く長い髪を左右にわけて、小さな金具をぱちんと留める。

 首に、少しだけ重さがかかる。

 身につけてしまえば、首飾りに込められた魔術への違和感は、不思議なぐらいにするりと失われていった。寝台の脇の巨大な姿見へと己の姿を映す。その首元に赤い石が光っているのを見て──まあ、悪くはないか、とジャフィーは思った。

 それからやっとジャフィーは思った。

 結局、ルグレアは、どうしてジャフィーを抱いたのだろう。愛していないのに?


「ルグレア、」

「ん?」


 ルグレアが、なんでもない顔でジャフィーを見る。いつもの顔だ。

 後朝らしい甘ったるさは欠片もない、どちらかといえば面倒事で寝ずに朝を迎えたときに近い空気のなかで、『愛』なんて、さすがのジャフィーにも口に出せない。──そもそも、理由なんて、よく考えなくてもひとつしかない。


「……いや、」

「なんだよ」


 王の子を孕んでいる可能性がある、と、ルグレアは言った。

 肚の中の卵は直ぐには育たない。育つ可能性が高い、という状態になるまで二週間。それまでは、ことの成否はわからないのだ。ジャフィーはなんとなし、まだ母体としての機能を維持する魔術が展開されているだけの自らの肚をゆるりと撫でた。

 ここに子どもがいる? 可能性がある?


「……俺と」

「うん?」


 遺伝はある、と、言われている。

 確実ではないけれど、魔術的な素養が引き継がれる可能性は高く、事実として『魔術師が多い家系』というのはある。その家系かつ当代の天才のジャフィーは、理想的な肚であると言える。

 王が魔術を使えなければならないという決まりは特にないが、王本人が魔術剣士なり魔術師なりであれば、ただ身を守るというだけでさえ、魔力持ちでない場合に比べて圧倒的に楽になる。つまり、王家の跡取りが魔術の素養を持つことには、ルグレアがジャフィーを抱くだけの価値が確かにある。ジャフィーは勝手に、ルグレアが庶民のように愛を欲して、『愛する人と』子どもを作り育てるところを想像していたが──王族は愛で結婚したりしないし、当たり前ながら、自分で子育てをしたりはしないのだ。

 ルグレアがただ、ジャフィーの諫言を受け入れて、『跡継ぎ』を成そうとしたのなら、相手を愛している必要はない。そして『跡継ぎ』が目的ならば、その性能は高いほうがいい。ジャフィーのよく知っている世界の理屈だ。ルグレアは王になり、王であることを受け入れて、その理屈を受け入れたのだ。

 その変化を悲しいと思うのは、今朝見た夢のせいだろうか。ジャフィーはぼんやりとルグレアを見て、なんでもない顔で小さく笑った。


「……俺とあんたの子なら、最強かもね、って」


 そう思っただけ。ジャフィーが言うと、どうやらルグレアは、少し笑ったようだった。



「そうだな」



 嬉しそうな声だった。

 なるほど、と、ジャフィーは自説への納得を深めた。やっぱり、答えはあまりに簡単だ。


 ルグレアは、強い子どもが欲しいのだ。



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