第11話 二人の名前
「部屋に来るかい?」
ジルベルト様の柔らかな声。そして差し伸べられた手を私は掴みました。寝室の扉を後ろ手に閉め、口唇や吐息。言葉を重ねます。
「ずっと……お慕いしていました、ジルベルト様」
ジルベルト様は柔らかく微笑みました。
「私も、愛しているよ。ずっと、君を」
「ジルベルトさ……」
「二人の時は『ジル』でいい。亡き母と父しか呼んだことはない。無論エリアラ様も知らない」
「ジル……?」
「ああ、イル………」
私は何度も『ジル』と呼びました。重ねる口唇に、呼吸が早まります。ジルベルト様が身体に触れ、指を絡めます。声も絡み、ジル様の長い黒髪も私の金色の髪に、身体に絡みつきます。
心は?絡みあって離れられなくなればいいのに。情事の後、微睡む私の頬をジルベルト様は、優しい顔をしてずっと撫でてくれました。
それから毎日、私は一生懸命料理を作りました。周りの先輩のシェフからはたくさんの料理を教えてもらいました。
「イルは、俺たちの妹分だからな。解らないことは何でも訊け。俺たちも、レモン料理長も、同じだから」
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いつの間にか時は過ぎ、私は副料理長になりました。先輩方は、独立してレストランを開く方もいました。料理の厳しいチェックはレモン料理長がします。一番緊張します。前菜やスープ、そしてスイーツなどは私が作ります。
周りの皆からは、称賛と『頑張れよ』の声。厨房のひと達は皆いいひとです。男気があって、優しい。私の部屋は厨房直結の休憩部屋です。狭くて落ち着きます。それにジルベルト様が食べたいものをすぐ作って差し上げられる。
料理を運んで、下げるのも役目です。ジルベルト様が一通り食べ終わり、食器を下げるときにジルベルト様は、私の耳元で、稀にそっと、
「今日はイルも食べたい」
そう仰います。夜も更けた頃、ジルベルト様に私は『食べられ』ます。
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そんなある日、緋の国が休戦調停を破り、国境付近の聖女エリアラ様の陣営になだれ込みました。ジルベルト様はエリアラ様を救出するため、救援軍を出しました。エリアラ様のお命は何とか間に合いジルベルト様はエリアラ様を救出し、転戦に長じエリアラ様と共に緋の国を攻略していきました。
そして緋の国の王都に迫る白百合峠の戦い。
聖女エリアラ様は賄賂で寝返った将校達の慰み者にされ、緋の国に捕らえられてしまいました。
ジルベルト様はエリアラ様を助けるため、敵や賄賂で自国を裏切った味方の将軍を捕らえました。そして蒼の国王に、人質の交換を提案要請をしました。しかし、薄情にも蒼の国王は無視し、蒼の国の旗印、聖女エリアラ様は緋の国で、罪人として刑場の露と消えました──。
この悲報を聴いた屋敷の者達は、悲しみにくれつつ荷物をまとめ出ていきました。聖女エリアラ様亡き今、ジルベルト様は自害をするだろうと言う噂が流れたからです。私は言いました。
「きっと帰ってくる。待っていてくれと将軍は言いました!」
出陣の前日、将軍は私をお召しになりました。けれど、翌日、部屋には誰もいませんでした。いつもなら、私の金の髪を梳きながら『おはよう。いい夢は見れたか?』などと甘い言葉を吹きかけて頬に口づけてくれるのに。ただ、テーブル走り書きの手紙がありました。
『敵の急襲で国境へ行く。エリアラ様の陣が危ない。次の戦は長くなる。誰にもお前を傷つけさせたりしない。一生、君を守り、愛することを誓う。いつか、きっと帰ってくる。だから待っていてくれ。愛している。イル、君だけだ。君の恋人──ジルより』
手紙を握りしめ、私は泣いて暮らしました。屋敷にただ独り残り、毎日少しのお菓子を作りました。レシピの研究です。ジルベルト様に新しく美味しいお菓子を食べてほしかった。あとはジルベルト様の使われる部屋の掃除。庭の手入れ。早く、帰ってきて欲しい。傷ついた心を少しでも癒すことが出来たなら。あの方の悲しみの受け皿になれたなら──ですが、今或るのは想いだけ。あの方に会いたいと想う気持ちと、この蒼い薔薇が見せる、かつての二人の眩しい影だけ。
──────────《続》
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