第10話 恋に堕ちたとき

 私は早朝、静かにベッドを抜け出し、

『さようなら 夢をありがとうございました』

 と羽ペンで走り書き、使用人の服に着替え、私は厨房に急ぎました。更衣室で使用人の服に重ねられておかれていたコックの制服に着替え、髪を束ねキャップを被ります。

「すみません!ラム肉の仕込み、遅れました!」

 厨房のドアを開けた瞬間、コックの皆さんがワイワイと私を囃し立て、シャンパンを皆で開けて飲み始めます。私は何が起こっているか解りません。

「まさか、ジルベルト様の気持ちを料理で射止めるとは、イルの料理は宮廷ものだな!」

「レモン料理長が訓練しただけある!」

 え………?私の料理はまかないだけで、あの方にお出ししているものはアップルパイや、マカロン、季節のフルーツのソルベ、などです。しかもレモン料理長が合格をくれたものしか従者様がお運びすることはないはずです。

 それに、訓練──は『皆より早く見習いは来なさい』とレモン料理長が仰って、その日ジルベルト様にお出しするスイーツ以外のメニューを作っていました。

『お前ならもう解っているだろう。第一シェフのルイスは肉料理の天才。第ニシェフのリリーグは魚料理をさせて右にでるものはおらん。皆、己の向くもの強みを解っている。お前はスイーツだ。これは真似しにくく盛り付けは才が問われる』

──以前レモン料理長が『先輩が料理を作るときは目を離すな』とレモン料理長が仰っていた。そして『技術は見て盗むものだ』と。

 毎日の訓練。『まかないに使う』と、レモン料理長は私のジルベルト様にお出しするメニューを皆に試食させ、ルイス先輩とリリーグ先輩が頷いた皿だけが何処かに消えていきました。意味が繋がりました。私の料理を、ジルベルト様は食べて、いた。

「イル、頑張ったな。毎日特訓していたもんな。イル、綺麗になったな。ジルベルト様もお前を愛しているんだな、じゃなきゃ、そんな綺麗な刺繍がついた制服を何も言わずに、くれたりしないよ」

「イルは、実力共々ジルベルト様専任の料理人だな。ついでにイルも食われてこい!なんてな」

 楽しげに私を囃し立て、身内の婚約が決まったように喜んでくれる先輩たち。

 裾の蒼薔薇の刺繍。キャップの刺繍。私は逃げたのに、それでもいいと?愛していると?そう思ってもいいのですか?

 ポロポロと私が涙を流すと『ジルベルト様がホの字の女性を泣かせたな!』とまた皆は酒盛りです。私はお酒は飲まないと決めたので、少し外し、イデアの様子を見に生きました。

 蒼薔薇の庭の近くのイデアの小屋。

「イデア!お腹空いた?ほら、茹でたラム肉の端っこ。美味しい?」

「私はラム肉より君の方が美味しそうに見えるが」

 私はジルベルト様を見ただけで、顔が赤くなる音が聴こえるようでした。あんな、あんな……。私は生娘でした。私はイデアをぎゅっと抱きしめ、ジルベルト様を見つめました。ジルベルト様は表情を柔らかくし、私の頬に口づけました。

「庭を散歩しないか?」

 私は、料理の話をしました。ジルベルト様は私の味を解っていたのか、お世辞で『美味しい』と言っていたのか──ジルベルト様は全てご存じでした。料理人ごとのハーブやスパイスの癖、盛り付け。そんな中、レモン料理長が『まだ未熟ですが。私が目をかけているものです』とラム肉の香草焼きをジルベルト様に勧めたところ、一番ジルベルト様好みの味は私だったと言うことです。レモン料理長が『まだ見習いですが』というと、ジルベルト様は私の事が頭をよぎったと仰っていました。そして、私の料理を食べてみたいと言うことになり、料理の特訓が始まり、今思えば試験のようになっていきました。

「イルの手は、暖かい手だ。与える手だ。イザベル。休息と、愛しさと、やさしさを、私に与えてくれないか?勿論、君から料理を奪ったりしない。約束する」

 ジルベルト様の声に答えるように私に声が聴こえました。『引き返せ』と。身分が違う愛がいい結末を迎えたことはない。

 ですが私はもう、ジルベルト様から瞳をそらせません。頷いた私は恋に堕ちた、ただの見習いコック兼、愛妾になりました。




────────《続》

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