拝啓、諦めた君へ

夜凪奏

未来の君から僕へ送る手紙。

《過去のあなたへ手紙を送ります》

 出張帰りの田舎道、僕は変な看板を見た。

 誰かが胡散臭い商売をしている。それが僕から見たその店の第一印象だった。

 過去の自分へ手紙を送るなんて非現実的だ。

 そう思いながらも、僕はそこから目が離せなかった。


 立ち止まり、古びた店の中に入る。

 中には年老いた店主の女性が一人いるだけだった。

「あの、過去の自分へ手紙を送れるって本当ですか?」

 僕は店主にそう訊ねる。

「ええ、何か伝えたいことがありますか?」

「……はい」

 店主は微笑みながら続ける。

「五十円です」

「え?」

「五十円です」


「金取るのかよ!」と叫びそうになった口を慌てて塞ぐ。

 僕は驚きで顔が引き攣っているのに、店主の表情が変わることはない。

「じゃあ、一通だけ……」

 店主の笑顔に隠された圧に、僕は負けた。

 なんでこんな無駄なことをしているのだろうか。そう思いながらも僕は内心浮かれていた。


 差し出された便箋と一本の鉛筆。

「宛先は?」

「十年前の自分へ」

 僕には伝えたいことがあった。





──拝啓、諦めた君へ。


 初めまして、僕は十年後の君です。

 急にこんなことを言われても困ると思うけど、僕は君に伝えたいことがあるんだ。

 ゆっくりでいいから、読んでみてほしい。


 きっと君は今、辛い思いをしているだろう。

 それは僕にとっての辛い過去だから。


 君は追い続けた夢を諦めようとしている。

 自分には才能がないから。

 向いてないなんて、自分が一番よく知っているから。


 君は家族が嫌いだ。

 君は友達が嫌いだ。

 君は優しい人が嫌いだ。

 君はただ、人が嫌いだ。


 君はそんな自分が嫌いだ。

 人に優しくできない自分が大嫌いだ。


 君は何度も人に裏切られてきた。

 そのたびに後悔した。

 何度も何度も、間違えた自分を責めた。

 君が思っているほど君は間違っていないよ。

 

 君は何度も優しさに傷つけられてきた。

 傷つけられることが怖かったから、差し伸べられた手を拒んでしまった。

 臆病な自分が惨めになるから、大丈夫なふりを続けた。

 辛いときは辛いと言っていいんだよ。


 君の友達は、君にはないものを持っている。

 君にはない才能がある。

 夢を追い続ける力がある。

 だからって、君が君以上に優れた人になる必要はないんだよ。

 

 頑張っても、叶わない夢はある。

 努力したって、越えられない壁がある。

 優しい人の『頑張れ』なんていう言葉が突き刺さる。僕はあなたにはなれないんだ。

 皆が言う『大丈夫』になんてなれはしない。これは僕の痛みなんだ。


 死にたくなるよね。

 誰も僕を理解してくれないから。


 それでも死ねないのは、自分に優しくしてくれる誰かのため。

 それは君自身が優しい証拠だよ。


 君が人のことを嫌うのは、

 自分のことが嫌いだから。


 君が人に優しくできないのは、

 自分に優しくできないから。


 君が人を信じられないのは、

 自分を信じられないから。


 本当は人を好きになりたい。

 本当は人に優しくなりたい。

 本当は人を信じたい。


 どうすれば変われるのかな。


 本当は誰かに辛いと言いたい。

 本当は誰かに苦しいと伝えたい。

 

 どうしたら話せるのかな。


 今の僕にもわからない。

 後悔ばかりだよ。


 でも、十年後の君は上手くやってます。

 君が諦めてしまった夢を忘れることはできないけど、それは僕の今に繋がっている。

 

 世界から見た君は、決して目立つことのない脇役かもしれない。それでも、君の人生の主人公は君なんだ。


 何度だって言うよ。

 君はそのままの君でいい。

 自分自身を信じてほしい。

 その先で君は本当の優しさと出会えるから。


 君の痛みを知っているのは君だけだ。

 でも、君は一人じゃないんだよ。


 最後にどうしても言いたいことがあるんだ。

 生きていてくれて、ありがとう。


 十年後の君より、十年前の僕へ送る──





 僕は静かに筆を擱く。

「……伝えたいことは書けましたか?」

「はい、全て……」

 この痛みを忘れることはないけど、僕は前を向いて歩ける気がした。


 僕は鞄から財布を取り出す。

「お代は結構です」

「しかし……」

 店主は優しく微笑む。

「いいのですよ。あなたのその表情を見れただけで、私は嬉しいのですから」

 僕は店主に深く頭を下げ、店を後にした。


 帰りの駅で僕は時刻表を見る。

 次の電車が到着するまであと四十分。

 僕は電話をかける。


「……もしもし。今日は帰り遅くなる

 寄り道してたら電車に乗り遅れた。ごめん

 ……あのさ、言えなかったことがあるんだ

 いや、悪い話とかじゃなくて……

 大丈夫、変な物も食べてないよ

 待って! 一瞬だから、今言わせてほしい

 僕と出会ってくれて、ありがとう」

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