第4話


 レイファは多趣味だが、乗馬も好きな趣味の一つだった。

 ヴェネツィアの街は馬が駆け回れるほど広くないのが難点だ。

 海外の別荘では、広い街道を優雅に駆けたり出来てとても楽しい。

 美しい馬の中から、気分に合わせて、一頭選び取る。

 ドレス姿のままでも颯爽と馬に跨がり、従者の手も借りず、レイファは馬を走らせ始めた。

 特権を与えたら、ネーリ・バルネチアが変わるのでは無いかとドラクマが心配していたことを思い出す。

 確かに過去の愛人達とも、そういうことがきっかけでダメになったことが何回もある。

 優れた画家の青年が、ドラクマへの愛情に溺れ、依存し、美しい絵を描けなくなったことがあった。

 いつでも情欲にまみれ、支配されることを望むようになった時、ドラクマは興味を失い、結局その画家の青年も自分で毒を煽って死んだ。

 ネーリには、確かにそういう情欲に塗れたような所がなく、何か現世に穢れていない、清潔感のあるような部分が、ドラクマの興味を引いていることは分かった。それでいて、恋を知らないような顔で、あそこまで色彩豊かな絵を描き上げてくることが、魅力に思えているのだろうと。


 ……ドラクマは自分と関係を持ち、堕落した愛人を、何度か殺したことがある。


 それは、必ずしも罵り合っての結果では無く「貴方の愛情や庇護を失うなら死ぬ」と自分の首にナイフを突きつけた愛人を、止めずに起こったようなこともあった。

 馬が大地を強く蹴る。

 このシャルタナ家の大地や、あの湿地帯にも、見放された魂が骸となって幾つも埋まっている。


 レイファは心は、あまり痛まなかった。


 愛とはそもそも、他人に隷属を求めるような行為だと思うからだ。

 愛し、愛された果てとして、死の骸がこの世に生まれる。

 悲しみだけを否定するなど、間違っている。

 愛するなら、傷つくことも、寄り添っていると彼女は思う。


 ――ネーリ・バルネチアは兄の愛に耐えうる器だろうか?


 心配というよりは、楽しむ思いの方が強い。

 もし耐えきれず壊れるようなら、その程度の魂なのだ。

 その時はアデライード・ラティヌーが泣こうが、ラファエル・イーシャがどうだろうが、レイファは自分の手であの美しい画家の青年の、美しい亡骸を、アドリア海にでも深く沈めてやろうと思っている。


 ドラクマは人を支配する男だったが、

 去る者は追わない主義だ。

 死なれたことはあるが、彼の手で殺したことは一度もない。


 だが、レイファはあった。

 ドラクマの元から去り、秘密の取引のことを話しそうな口の軽い男は、必ず始末させた。

 血腥いことは好きではないけれど、これは、幼い頃シャルタナ家の支配者だった、祖父母の厳しい鞭から、いつも妹を庇ってくれた兄への恩返しだと思っている。

 ドラクマは自分と違って温和な人間だったので、

 それならば兄に歯向かおうとする人間は自分が始末してやろうと考えた。

 レイファのその行動をドラクマは気づいているだろうが、叱責されたことは一度もない。

 だからこれでいいのだと思う。

 ドラクマが興味を失えば、レイファにはそれが分かる。

 表面上優しさは変わらなくとも、飽きたのだなと分かるのだ。


 兄を失望させるような相手には、彼女も興味は無い。


 人間はどこまでも自由になれるものだ。

 強さがあれば。

 美しい、春の陽射しが瑞々しい芝生を輝かせている。

 彼女は帽子を投げ捨て、楽しげに鞭を振るった。






【終】

 

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海に沈むジグラート 第76話【愛は死を】 七海ポルカ @reeeeeen13

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