第29話 突撃訪問
「平和だ……」
気持ちの良い朝日を浴び、雀のさえずりを聞いているこの時間は、とても静かで穏やかだった。
本日は休日の土曜日。
体育祭、中間テスト、打ち上げとここのところ何かとイベント続きで忙しかったから、久しぶりにゆっくりできる。
ゆっくりできると考えて、ふとおかしなことに気が付いた。
僕の目的はこの平和に過ごす時を維持するためこれまでモブとして生きてきたっていうのに、忙しいとはどういうことだろうか。
本来、忙しいことなんてあってはならないはずなのにね。
(それもこれも全部あの女のせいだ)
蘇芳アカネと会ってから、目をつけられてしまってから、僕の平穏平凡な生活は崩壊した。
教室での蘇芳のダル絡みに始まり、日和小春からの恋愛相談、体育祭での借り物競争で全校生徒に注目され、打ち上げのボウリングではカーストトップの王道正隆に釘を刺され、終いには元女王の北条結愛からの不可解なコンタクト。
今まで誰にも見向きもされず、教室の隅で存在感を消していた背景のようなモブだったのに、たった一か月で随分と注目されてしまったもんだよ。蘇芳アカネのせいでね。
「もう……認めるしかないな」
残念ながら、モブとして生きようという僕の計画は根底から崩れ落ちた。
八神や王道からは恋敵認定され――なんなら「八神陽翔の物語」にも引きずり込まれた――、北条も謎に絡んでくるし、山田や野口から「モテ期じゃね?」と思われた。思われてしまった。
友人である彼等にそう思われているということは、他のクラスメイトからも少なからず思われているだろう。借り物競争でも、不特定多数の人間に顔を覚えられたかもしれない。
ここまで多くの人間に認知されてしまったら、もう背景に溶け込んでいるような顔も名も無く目立たない存在には成り得ない。
笑っちゃうよね。
僕が編み出したモブの流儀を用いて今まで完璧なモブを演じてきた。何もかも上手くいっていたというのに、たった一人の女の子によって台無しにされてしまったんだから。
もう諦めたよ。
蘇芳アカネがいる限り、佐藤太一はモブではいられない。いや、既にモブではなくなってしまったんだ。
「モブではなくなったけど、まだ完全に諦めた訳ではない」
というのも、僕は蘇芳と契約している。
三年生に上がるまで蘇芳が僕を惚れさせることができなかったら、それ以降は僕と一切関わらないようにするってね。
三年生に上がればクラスメイトも変わる。
厄介な八神や王道、北条などが共通しているのは蘇芳だ。蘇芳さえ僕に関わって来なければ、クラス変えした時に僕に関わってこないだろう。彼等が興味あるのは蘇芳であって僕ではないのながらね。
だから僕がすべき事は、今まで通りモブのムーブをしてこの一年を波風立てず乗り切ることだ。
「難しいけれど、やるしかない」
平穏平凡な生活を過ごすために、なんとしてでも乗り切ってやろう。
と、改めて決意した時だった。
ブーッとスマホが振動する。恐らくメッセージの着信で、確認してみると、
「げっ」
着信相手は蘇芳アカネだった。
僕は彼女と連絡先を交換している。本当はしたくなかったんだけど、僕を惚れさせるという勝負を受けてしまったため、蘇芳から脅されるように求められては断ることができなかった。
メッセージの内容は『今日、私に付き合って』という内容だった。
「ふん、折角の平和な時間を邪魔されてたまるか」
休日まで蘇芳と一緒にいたくない僕は『用事で出かけている』とメッセージを返す。ここでミソなのが、「用事がある」だけではなく「出かけている」と付け足すことだ。
前者だけだと、あの女の場合「用事をキャンセルしなさい」と横暴なことを言ってくることは目に見えているからね。
既に出かけていると言っておけば、流石に戻って来いとは言わないだろう。いや……それすらも言いそうだな、あの女の場合。
もう用はないのでスマホを置こうとすると、再びメッセージが来る。
「『アナタがそのつもりなら、私にも考えがあるわ』……どういうことだ?」
嫌な予感が脳裏を過ると、ピンポンと家のチャイムが鳴り響く。「まさか……」と驚いていると、ドタドタと慌てて階段を駆け上がる音が聞こえきて、バンッと力強く僕の部屋の扉が開かれた。
すると妹の
「大変大変! 大変だよお兄!」
「何が?」
「蘇芳さんがウチに来たんだよ!」
(だよね~~)
まさか蘇芳がウチに突撃してくるなんて……嫌な予感は的中してしまったようだ。というかあいつ、どうして僕の家を知ってるんだよ。最早ストーカーの領域だろこれ。
「柚希」
「なに?」
「いや、何でもないよ」
言いかけてやめた。
柚希に、僕は留守だと言って欲しいと頼んでも無駄だろう。
恐らく「お兄ちゃんなら家に居ますよ」って柚希は言ってしまっているだろうし、もう逃げ場はない。
「早く行きなよ。蘇芳さん待ってるよ」
「うん……」
「ってか、お兄と蘇芳さんってどういう関係なの? まさか付き合ってるの?」
「そんな訳ないだろう」
「だ、だよね。流石にお兄と蘇芳さんじゃ釣り合わないよね」
よく分かってるじゃないか、妹よ。
そうだ、僕と蘇芳はどう見ても釣り合わない。だから厄介なんだ。
「あらあら、太一にこんな綺麗な女の子の友達がいるなんて思わなかったわ!」
「私なんて大したことありません。お母様の方がずっとお綺麗ですよ」
「あらやだ、あなたお世辞も上手いんだから!」
階段を降りて玄関に向かっていると、蘇芳と母さんの会話が聞こえてくる。蘇芳め、外面を良くしているな。母さんも母さんではしゃぎ過ぎだよ、こっちが恥ずかしいからやめてくれないかな。
「こんにちは、蘇芳さん」
「こんにちは、佐藤君」
僕から挨拶すると、蘇芳も明るい笑顔で返してくる。表は明るい笑顔だけど、裏では困っている僕を見て悪魔の笑みを浮かべているんだろうね。
「もう太一ったら、こんなに可愛い子がいるならお母さんに言いなさいよ」
「勘違いしないでよ母さん、僕と蘇芳さんはそういう仲じゃないから」
「あらやだ……私てっきりそうかと、ごめんなさい」
しっかり否定すると、母さんは僕と蘇芳は交互に見て謝ってくる。よし、さらにダメ押しもしておくか。
「それに、僕なんかとそういう仲だと思われたら蘇芳さんに失礼じゃないか」
「そうねぇ……太一には申し訳ないけどもったいないわ」
「そんなことありませんよ。佐藤君も素敵だと思います」
「そ、そうかしら」
(こいつ……)
母さんにお世辞を言ったりと、いったい何が目的なんだ。そもそも何でウチに来たんだ。
まぁいい、これ以上深入りされる前に退場してもらおう。
「それで蘇芳さんは、どうして?」
何の用だとやんわりと尋ねると、蘇芳は手荷物を掲げて、
「仕事でスイーツを貰ったのだけれど、私一人じゃ食べきれなくてね。捨てるのももったいないから“友達の佐藤君”に食べてもらおうと持ってきたのよ」
「へぇ……それは嬉しいな」
「それでね、“今日は用事ででかけている”って聞いたから、厚かましいと思ったのだけれどご家族に受け取ってもらおうと訪ねたのよ。でも、“本人がいるなら良かったわ”」
(こいつ……)
僕が嘘吐いたことを根に持ってるな。顔は穏やかだけど、圧が凄いんだよね。本人が気が付いているかどうか分からないけど。
「そうだったんだ。わざわざありがとう、頂くよ」
「それならあなたも一緒に食べましょうよ! わざわざ来てもらったのに帰すなんて申し訳ないわ」
「ちょ、母さん」
「ご一緒してもいいんですか?」
「勿論よ! ほら、あがってあがって!」
「お邪魔します、お母様」
電光石火の早業だった。
まるでそうなるよう母さんを誘導した蘇芳の手腕に脱帽せざるを得ない。僕の横を通り過ぎる時の勝ち誇った顔を窺うに、ここまで全て計算し尽くしたことなんだろう。
「蘇芳め、何を企んでいるんだ?」
蘇芳の行動が読めない僕は、ただただ警戒するしかなかった。
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