午前9時25分、サイコな彼と会う

藤原ライカ

1 元カレ


 運命の日とは、何をもってそう呼ばれるのか。


 誰が見ても偶然な一幕を、運命だといわれても「こじつけでは?」となる。


 これは、わたしと狂人の出会いの話。


「運命だ」とこじつけてくる狂人と、否定しても否定しても、執拗に運命論を振りかざしてくる相手に辟易して、「ためしに受けいれてみるか」と安易な選択をしてしまった女の物語にして、その序章。



 ◇  ◇  ◇  



 4月某日のキャンパスには、今年も儚く散りはじめた桜の花びらが舞っていた。


 4月といえば、おおむね新たな出会いのある季節なんだけどな。


 昼休み。大学のシンボルになっている大銀杏の下で、わたしは新たな出会いとは真逆の申し出を受けていた。


「俺が悪かった。本当にゴメン! 頼む、もう一度やり直したい」


 経済学部3年の元彼、倉本くらもと太一たいちとは2か月前に別れたばかりだ。


 そういえば、と大銀杏を見上げた。太一から別れを告げられたのも、同じ場所、同じような時間だった。ありきたりな別れの言葉を、今も覚えている。


 ——ごめん、真歩まほ。マリンちゃんと付き合うことにしたから別れて欲しい。


 悲しいけれど、心変わりは仕方がないと思った。でも、順番がちがうんじゃないの、とも思った。マリンちゃんと付き合う前に、わたしに「別れよう」じゃないの、かと。


 でも、二か月前の別れの日。


 それを追求したところで、すでに新しい恋がはじまっている太一からは、意味のない「ごめん」が返ってくるだけだろうと、「いいよ、別れよう」わたしは潔さを選んだ。


 潔さを選んだ理由はもうひとつあって、少し離れた場所。この別れを固唾をのんでガン見している「マリンちゃん」こと香坂こうさかマリンに気づいたからだ。


 その顔には、男を奪ってやったという達成感と、選ばれたのは自分だという優越感に満たされすぎていて、奇妙に歪んでいた。


 半ば舞台女優のようなバッチリメイクは、遠目からもはっきりと表情がわかり、その笑顔が陽気なピエロにみえなくもなかった。


 陽気だけれども意地の悪そうなピエロの目が、あとは捨てられた女が「別れたくない」と泣いて縋りつく様を見られたら完璧だ、と言っている。


 自分が標的にされてわかったことは——マリンちゃんはとても綺麗だけど、噂以上に性格が悪い、ということ。のぞき見されている以上、マリンちゃんの楽しみを長引かせてやる気は毛の先ほどもなかった。


 そういう理由からあの日。


 一年半つづいた恋人関係に、潔く終止符を打ったのだけど……


「真歩と別れたいなんて、俺はどうかしていたんだ」という、季節の移ろいよりも早いのでは? と感じる元彼の心変わりに、なんだかなあ、となっている。


「やっぱり真歩が好きだ。真歩じゃないとダメなんだ」


 別れた日と同じように頭を下げる元彼の旋毛つむじを見ながら思う。


 マリンちゃんはどうした、マリンちゃんは?


 おおかた、新しい物好きのマリンちゃんに飽きられて捨てられたか。もしくは、彼女の要求と欲求に、太一の方が音を上げたか。おそらく両方だと、推測した。


 容姿端麗なマリンちゃんは、どういうわけが他人の男が欲しくなるという困った性格の持ち主で、通称『略奪マリン』としてキャンパス内外で大活躍しているのだが、彼女にはもう一つ、性癖にまつわる通り名がある。


 奪うのも早いが別れるのも早いマリンちゃんと関係をもった歴代の男たちは「あの子は性欲モンスター」だと、口を揃えて称した。


 ちょうど去年の今ごろだろうか。友人たちと食堂にいたときのこと。すぐ近くのテーブルでは、噂好きのグループがこんな話をしていた。


「ガチでS級モンスターなんだって。週5で1回につき最低ノルマ3発。朝、昼、晩と、それぞれ3セットこなした猛者がいたらしいけど、一か月で腰と背中を痛めて捨てられたって」


 使い捨てもはなはだしいマリンちゃんの武勇伝は、多少の尾ヒレがついているのだろうと思っていたら、


「ちがうわよ。週6回よ。それに彼、鎮痛剤を飲みながら一か月半は痛みに耐えてがんばってくれたから」


 グループのテーブルに突撃したマリンちゃん本人が、上方修正をして周囲を驚かせた。


 そんなS級を相手に、大学に入ってから「体力ガタ落ち~」と嘆いていた元彼が、日々のセットをこなせるはずもない。


 おそらく「全然ダメね」「期待ハズレ」など。男の自尊心を深く傷つけられてから、ふと我に返ったのだろう。


 ──こんなはずじゃなかった。


 俺、なんで真歩と別れたんだろう。


 急に後悔が押し寄せ、ついでに未練まで押し寄せてきたのだろう。


 そうして今日の「やり直したい」につながったということは、容易に想像がついた。


 精気を搾り取られ、すっかりしょぼくれた太一が懇願してくる。


「本当にゴメン。やり直してくれるなら、俺、今度こそ絶対に真歩のことを大切にする」


 舐められたものだと思う。


「そんなこといわれても、無理だから」


「どうして? 真歩、もう俺のことが嫌いになった?」


 信じられないといった表情をする太一に、逆にこっちが訊きたい。


 どうして、すぐにやり直せると思ったのか。


 なぜ、嫌われていないと思えるのか。


 太一のなかで元彼女は、いまだに自分のことが大好きで、必死になって謝れば元に戻れる存在、という認識なのだろう。


 別れたときよりも、むしろ今日の方が傷ついた。ずいぶんとハードルの低い女扱いされている。


 別れた男が自分の元に戻ってくるのを、じっと待っている女なんて……まあ、なかにはいるかもしれないけれど。


 男にとってこれほど都合の良いことはない。




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