10番出口の続き

神崎諒

第1話 被害者

 都内某所、二月十四日、金曜日、PM : 六時二十分。


 矢羽航大はスーパーにいた。帰宅帰りの会社員でごった返すスーパーで、手に取る品を買うと決めるわけでもなく、持っては戻し、持っては戻しをくり返していた。

 同時に矢羽は棚の隙間から遠くにいる女の様子をうかがいつつ気づかれないように手もとへ視線を戻していた。

 女がかごを片手に人参の袋を持ち上げて品定めをする様子まで、舐めまわすような視線で見つめていた。やがて女はお菓子売り場の細い路地に入っていき、矢羽も物陰に隠れてその路地の手前で女を見ていた。

 女はかごにいくつかの駄菓子、ガムやらチョコやらを入れてレジへ向かった。女は反対側から通路を出て、そのままレジを通り、持参したエコバックに購入したばかりの商品を詰めていた。


 矢羽は襟付きコートの内側につけた無線に口を近づけてささやいた。

だ。店を出たら、押さえる」


 女が店を出た瞬間を見計らって、矢羽は女に近づいていった。

「すみません、ちょっといいですか」

 女の返答はなかった。

「おねえさん、レジ通してない商品あるよね? そこの裏で、お話聞いてもいいかな」

 女は無表情のまま、矢羽に視線を合わせようとしない。


 矢羽は刑事だった。最近窃盗の被害が多いと噂のスーパーで張り込みをしていた。女は防犯カメラに挙動不審な動きが映っており、窃盗の容疑がかけられていた。そこを矢羽がマークし、現行犯で捕らえる機会をうかがっていたのだ。


 矢羽は女の腕に手をかけた。

「あの、ごめんね。とりあえず、そっち行って……」

 次の瞬間、女は矢羽の手を払い、バックを捨て置いて駆け出した。

「あ! おい」

 予想外の出来事に反応が遅れた矢羽は、慌てて女の後を追った。


 女はすぐ近くの地下通路に駆け込み、矢羽もその後を追いかけた。

「女が逃走した。すぐに捕らえる」

 無線に知らせを入れて、矢羽は地下通路に駆け込んだ。吹き抜ける夜風が、ヤニ臭さの染みついたコートをはためかせた。長い階段を下り、薄暗い地下通路の一本道を左に曲がった。だが、そこに女の姿はなかった。

 矢羽はさらにその先の通路を左に曲がったが、やはり女の姿はなかった。

 呼吸を整えながら、早歩きでもう一度その先の通路を曲がった。こうした不測の事態では、まず気を落ち着かせることが肝要だ、と駆け出しの頃に先輩刑事から習ったことを、矢羽は思い出していた。女はいなかった。

 矢羽は無線にいった。

「すまん、取り逃がした。一旦、戻って立て直す」

 無線からの返答がない。

 いつからか、無線には電源が入っていなかった。

 スイッチを色々といじってみたが、どうやら壊れたらしかった。矢羽は舌打ちをした。

 ひとまず、戻って立て直そう。自分の言葉を反芻はんすうして、矢羽はもと来た道を戻った。かどを二回曲がってさっきの出口に着く、はずだった。だが、そこは通路だった。いくら進んで曲がっても、同じ景色の繰り返しになる。矢羽は引き返してさっきの通路に戻ったが、これがさっきの通路なのか、今はじめて来た道なのかさえも、もはや見当けんとうがつかない。なにか目印になるものを探したが、壁にあるのは歯医者やマッサージ店の張り紙、消火栓の押しボタン、さっき通った通路と同じものばかり。通路は狭く、他に通行人はいなかった。

「おい、なんだ。どうなってる」

 矢羽は思わず独りごちた。そしてすぐ後ろまで迫っていた存在に気づいたのは、その直後だった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る