輝く風~英雄になりたい領主閣下は幼馴染みの少女を奪い、婚約と試練を押しつけます……が~

イチモンジ・ルル(「書き出し大切」企画)

「10」

 冷たい霧が足元を這う魔獣討伐の地。その中心に、羽命うめい令菜れいなは並び立っていた。

 

 彼らの周囲には、よだれを垂らして牙を剥き出しにした魔獣たちが押し寄せている。

 飛び交う魔獣たちの漆黒の羽は月光をかすかに反射し、不気味な輝きを放っている。

 地上では、鋭い爪を持つ巨大な影が腹を這わせながら狙いを定めていた。

 咆哮が大地を震わせ、腐敗した禍々しい何かの匂いが霧に混じって漂ってくる。


「羽命、来てくれたのね」

「令菜、結界はまだ大丈夫か?」

「持たせるわ。でも、あなたの風魔法で奴らの動きを封じてよ!」


 令菜の声は震えながらも、決して怖じ気づかない強さを持っていた。


 孤児として育ったふたりは幼い頃から互いを支え合い、兄妹のように育った。

 10歳の頃、初めて魔獣と戦った夜。令菜が見た羽命の姿は、彼の肩越しにどんな壁よりも頼もしく映った、と後に語った。だが同時に、彼女自身もこう振り返っていた。


「自分が結界を張らなければ、誰も守れない……あの夜、私は初めてそう思ったの」


 令菜は恐怖に抗いながら、必死に結界を維持し続けたという。そして気づいたのだ。


「だから私は後衛なんかじゃない。戦況を読んで、羽命と共に動かす。これが、私の戦い方なのよ」


 そう言って、令菜は笑った。


 今、羽命の目には、令菜がまさにその言葉通りの姿で映っていた。

 令菜は現場を見据え、敵の動きを読み切っている。その視線は鋭く、魔獣たちそれぞれを冷静に見極めていた。


 令菜が結界を展開することで、羽命は無心で前に突き進める。敵の動きを誘導し、羽命が最大限に力を発揮できる状況を整える。

 それは単なる「守り」ではない。現場を制する力だ。

 羽命にとって、令菜の存在は絶対だった。彼女が熱い結界を張り巡らし、必要な魔力のバランスを計算しつつ、魔獣の一撃を防ぎ、熱で痛手を与えながら、瞬時に次の指示を出す。

 令菜の「守り」は、同時に全てを見通して戦いを支配する「攻め」でもある。羽命はそれに応え、最前線で全力を尽くせた。


「俺たちが並び立てば、どんな敵も超えられる」


 それはふたりが子どもの頃から信じている不変の真理だった。

 だがその関係に、暗い影が差していた。


 孤児でありながら抜群の容姿と魔法の才能を持つ令菜を、領主の亜留あるが見初めたのだ。

 その日を境に、羽命と令菜は引き離された。


 亜留は代々続く地方領主の家に生まれた。だが、与えられた地位に甘んじるつもりはなかった。彼の望みはさらなる権力。中央の貴族どもをも凌ぐ存在となること。


「中央の貴族どもが、この地の何を知る? 血を流すこともなく、口先だけで国を動かす無能どもに、何ができる?」


 亜留はニヤリと笑い、静かに拳を握る。


「未来を築くのは、自ら現場に赴き、領地を治めるこの私だ。私こそが、この時代の礎となる」


 そんな歪んだ信念のために、彼には確固たる力が必要だった。

 魔獣の脅威を抑え、領地を守る「絶対の力」

 それこそが、令菜の結界。

 彼女の才覚は、亜留が覇道を歩むため見出した最良の駒だった。


「お前の力は見事。だが、まだ足りない。この亜留の下で極限まで磨き上げてやる」

 

 亜留の声には冷たさが滲み、令菜をただの道具としか見ていないことを露骨に示していた。

 亜留は令菜に、限界を超えるまで過酷な訓練を課した。

 

 「魔獣の群れを単独で食い止めろ」


 それは、令菜を死地に追いやる無謀な命令だった。


 ***


 羽命は会合の席で領主を見かけたことがある。

 亜留は「限界を超えた先に新たな力が生まれる」と薄笑いを浮かべて語っていたが、羽命には見えていた。

 ――そんなものは、ただの言い訳だ。こいつは、令菜がどこまで耐えられるかを試し、使い物にならなくなれば捨てるつもりなのだ。


 羽命は怒りを押し殺すように歯を食いしばった。


 ――奴は、令菜を追い詰めて服従させたいのだ。


 ***


 だが今は、その怒りを抑え込まねばならない。


 羽命ひとりでの見回りの途中、ただならぬ気配に気づいた。

 そこには魔獣の群れと、令菜がいた。


 ***


 いつも遠くから過酷な訓練をしているのを見ていたが、羽命は手を出すことはできなかった。

 

 逃げようとしても「故郷を守る気概はどうした!」と亜留に叱責され、再び立ち上がる令菜。

 その姿に、羽命は何度も拳を握りしめた。


 ――助けたい。でも、今ここで動けば、令菜がもっと追い詰められる。


 ***


 しかし、今日は明らかに異常だった。


 令菜が懸命に張り巡らせた結界の緋色の光が脈打ち、魔獣たちの猛攻を跳ね返す。何頭かはそのまま動かなくなった。

 だが、そのたびに彼女の魔力は目に見えて削られていく。咆哮が耳を劈き、地を裂く音が絶え間なく響く中で、羽命はただ前を向いた。


 ――今は怒りに飲まれている場合ではない。令菜を守り抜く。それだけだ。


「令菜、お前の力を示せ! 羽命、邪魔をするな」


 安全な場所に陣取った亜留の冷たい声が響いた。彼は領主のたしなみとして、自衛の力と領民を罰する攻撃には長けている。


「独力で結界を張れ。それができなければ、お前など我が妻として相応しくない!」


 亜留は「力尽きるまでひとりで戦え」という無謀な指示を再び令菜に押し付け続けていた。

 いまのところ、それは上手くいっていて、彼をさらにつけあがらせていた。


「令菜、そんな無理をするな!  お前が倒れたら、全て終わりだ!」

「でも、命令から逃げるのは悔しい。領主の妻になるのはごめんだけど、村を守れるのは、私しかいないのだから」


 令菜の声が震える。しかし、その瞳には諦めの色など微塵もなかった。


 ――そうだ、令菜はもう知っている。「逃げる」ことは許されないのだと。


 ***


 かつて令菜は、一度だけ亜留の命令に逆らったことがあったと、羽命は噂で聞いた。

 魔獣討伐のため、領地北部地域の村の防衛を命じられた令菜は、「結界を張るよりも、村人を安全な場所に避難させるべきだ」と進言した。


 しかし、その結果……。


 「令菜、貴様が避難させたせいで、避難途中の村人が犠牲になったのだぞ?」


 亜留は冷たく言い放った。そして、彼は令菜をさらに責め立てた。


「お前のせいで村人は死んだ」

「お前が結界を張らなかったから」

「お前の判断ミスで」


 それは、亜留の策略だった。

 本当は、避難指示を遅らせたのは亜留自身だったのに、彼は令菜に全ての責任を押しつけたのだ。


 その日から、令菜は「故郷を守る」ことにますます執着するようになった。

 逃げることは許されない。失敗することも許されない。

 もしまた誰かが死ねば、それは自分のせいなのだから。


 ***


 ――だから、もう二度と、守るべきものを失いたくない。


 羽命は、その執念を瞳に宿す令菜を見つめた。

 そして、令菜の気持ちを察し、微笑んだ。


「分かった。俺たちは負けない!」

「そのとおりよ」


 結界がさらに鮮やかな緋色に輝き、魔獣たちの猛攻を押し返した。しかし、結界の強化は多くの魔力を消費する。令菜の魔力はすでに限界に近づいていた。


 猛攻を仕掛ける魔獣たちは、結界の外側を引き裂くようにして牙を立て、地面を砕く爪音が響いていた。

 その重圧の中で、羽命は強く地を蹴った。風が唸りを上げ、地を這う雷のように魔獣の群れを裂いた。風の魔力を全力で解き放つと、空気が激しく震え、魔獣たちの群れを包むように渦が広がっていった。

 それでも、終わりは見えなかった。


「領主閣下! 助っ人はいないのか!」


 羽命が怒りを込めて叫んだ。だが、亜留は冷たい笑みを浮かべるだけだった。


「そんな者はおらぬ。肝心なのは令菜の実力だ。私の命令に背き、力尽きるようでは話にならぬ。その程度なら、所詮、道具としても失格だ。それとも、幼馴染みの助けがなければ何もできぬのか?」


 その挑発的な言葉に、羽命のはらわたが煮えくり返る。

 唇を噛み締めすぎて、鉄の味が口に広がる。亜留の冷酷な視線が、嘲笑を浮かべながらこちらを見下ろしていた。

 ――俺たち領民は、ただの捨て駒にすぎないのか。


 しかし今は、令菜を守ることが最優先だった。

 さきほどから亜留は忌ま忌ましそうに攻撃魔法を放ってきていた。羽命を排除しようとしてのことだ。しかし、ことごとく令菜の結界に阻まれている。


 令菜の結界の中に入れるのは、羽命だけだった。


「令菜、俺が奴らを引きつける!  お前は少しでも魔力を温存しろ!」

「でも、あなたの魔力だってもう……」


 令菜の言葉を遮るように、羽命は微笑んだ。


「俺たちなら、乗り越えられる。そう信じて、どれだけの討伐を成し遂げてきたか、覚えているだろう? 令菜と一緒なら、何度だって立ち上がれる」


 羽命は大地を蹴った。渦巻く風が稲妻のような音を立て、現場を駆け巡る。空を覆う魔獣たちの影が一気に吹き飛ばされ、地を這う群れは風の渦に飲み込まれていった。


 魔獣たちは動かなくなり、現場に一瞬の静寂が訪れた。

 しかし、その代償は大きかった。


 羽命の胸には冷たい恐怖が広がる。視界が揺らぎ、全身が重く、鈍く軋んだ。

 ――これで、終わりか。


 死んでもいいと思っていた。戦う令菜を守るためなら、それでいいと。

 ――だが、それでも……本当にここで終わるのか?


 令菜はまだ立っている。傷だらけの体で、これからも生きていく。

 ――俺は、令菜を守るためなら死ねる。

 羽命の目から一筋の涙が流れた。

 ――まだ、俺にはやるべきことがあるはずだ! 令菜が俺を必要としているなら、彼女の未来のために、生きなければならない。


 尽き果てたはずの最後の力を探る。

 胃の奥が痙攣し、膝がむなしく軋む。

 もはや何も残っていない……そう思った、その時だった。


 令菜が、羽命のそんな最期を許すはずがなかった。

  「お願い、立って……羽命!」


 かすれた声だった。

 だが、その叫びは絶望ではなく、必死な願いだった。


「私には、あなたが必要なの!」


 鮮やかな緋色の光が令菜の全身からあふれ出し、羽命を包み込む。

 温かく、それでいて強い。まるで彼女自身の意志がそのまま魔力となったようだった。

 薄れかけた羽命の意識が、ゆっくりと鮮明になっていく。


「令菜……!」

「負けない! 羽命と一緒なら、私は絶対に!」


 令菜の声が響くとともに、結界の輝きがさらに増していく。

 それはただの防御ではない。

 彼女が「真に大切な存在を守る」と改めて決意した証しだった。


 結界の光に包まれながら、羽命は自分の指先に確かな力が戻っていることに気づく。

 令菜が彼の魔力を引き出していることに気づく。

  ふたりの魔力が重なり、絡み合い、次第にひとつの流れとなる。

  ――まるで、聖女の奇跡のようだ。


「おお……我が妻よ。ついにその域まで達したか」


 亜留の唇がにやりと歪む。その顔は、歓喜よりも打算を滲ませていた。

 揉み手をしながら、彼は一歩、また一歩と近づいてくる。

 その足音は、湿った土の上でいやに重々しく響いた。

 だが、令菜の目には微塵の揺らぎもなかった。その瞳には、これまで幾度も襲いかかってきた試練を乗り越えてきた強さが宿っている。

 彼女は亜留を真正面から見据え、毅然とした声で言い放った。


「領主閣下に従えば、この地を守れる……そう思っていた。でも違う。閣下は私の力を利用することしか考えていない」


 令菜は亜留から目をそらし、あたりを見回す。そして、静かに言い放つ。


「私たちの力は、支配者の私欲を満たすためのものじゃない。私が守るのは、この地に生きる人々よ!」


 その声は、氷の刃のように鋭く亜留を貫いた。

 亜留は一瞬たじろいだが、すぐに怒りの形相で睨みつける。


「生き抜くためだと? 領主である私への尊敬と服従のためだろう!」


 令菜はその言葉など聞こえなかったかのように、羽命に目を向ける。

 互いに深くうなずき合うその姿は、どんなに荒れ狂う風の中でもしなやかさを保ち、折れることのない2本の大樹のように見えた。


 羽命が指先を動かすと、彼の周囲に小さな風が巻き起こる。

 それは瞬く間に勢いを増し、大地を震わせるような強風となった。


 亜留が「馬鹿な……どこに行った!」と叫ぶ。


 風が激しく吹き荒れる中、令菜と羽命の姿はもはやそこにはなかった。

 亜留の叫びは、風の渦に飲み込まれて、誰にも届かなかった。


 その後、亜留はあらゆる手を尽くし、婚約者であった令菜とその幼馴染みを探し続けた。

 だが、ふたりが再び亜留の前に現れることはなかった。


 ***


 令菜は、後に羽命へと語った。

 故郷を守るとは、ただ戦い続けることではない。

 己の欲に溺れ、大局を見失った支配者のもとでは、この地も民も滅びる。


 ならば、この婚約を断ち切ろう。

 自由の風をまとい、本当の守り手となるために、広い世界へ旅立とう。


 これからも戦う。だけど、誰かの命令ではなく、自分の意志で。

 この地を守ることは、ここに縛られることじゃない。


 「私たちは、故郷だけがすべてだと思っていた。でも違う。この世界には、まだ知らない大切なものがある。守るべきものが……きっと」


 令菜はそう呟きながら、遠くを見つめた。


 羽命はその言葉を静かに噛み締めた。

 令菜は成長した。昔とは違う。

 でも、それは彼女が本当の自分を見つけた証だ。


 「お前は変わったな。でも、変わらないものもある。俺たちは、どこにいても一緒だ」


 羽命は微笑みながら、彼女の隣に並ぶ。


 令菜もまた、微かに笑った。


 「どこに行こうが、羽命の隣に立つわ」

「そうだ。俺も、お前と寄り添って同じ想いで戦う」


 そしてふたりは、未来へと歩み出した。


 その道の先に、どんな戦いが待っていようとも、彼らは、もう決して理不尽に他人の手で縛られることはない。


 光と風をまとい、自ら選んだ道を進むために……。



 ***


 やがて、圧政に苦しんだ領民は、その元凶たる亜留の名を呪った。

 蜂起の叫びとともに、その名は、憎悪とともに叫ばれた。


 王家は亜留の暴政を断じ、新たな領主を派遣した。


 新たな領主は、最後まで足掻いた亜留を討ち、領館は炎に包まれた。

 亜留は領民を呪い、王家を呪い、なおも「この私を討てるはずがない!」「私は英雄だ!」と叫びながら、必死で自衛の力を行使した。


 だが、その力はすぐに枯れ果て、彼が誇った魔法も剣も、何の役にも立たなかった。


 やがて、彼は燃え落ちる領館の奥に立てこもったまま、灰と化した。

 彼の最期を見届けた者たちの中に、涙を流す者は誰一人としていなかった。


 長きに渡り続いた領主の名残は、ただ忌むべき名を刻んだ瓦礫のみとなった。


 こういう末路をたどった支配者には、しばしば「祟り」なる噂がささやかれるものだ。例えば「夜中に領館跡から嘆き声が聞こえる」とか、「彼の亡霊が未練がましく彷徨っている」とか……。


 しかし、亜留の場合は違った。


 彼の名を噂する者すら、すぐにいなくなった。

 その存在は、恐怖としても、哀れみとしても、記憶に残ることはなかった。

 まるで最初から、この世に存在しなかったかのように。

 それほど、取るに足らない存在だったのだ。


 ***


 新たな領主が羽命たちの故郷を治めはじめたころ、新たな英雄の名が語られ始めた。


 ――光の聖女と風の勇者――

 彼らが各地で魔獣の侵攻を幾度も退け、荒廃した村や町を次々と復興させたという話が、熱を持って流れ始める。

 ふたりの子どもたちもまた、この国の未来を築いた。


 優しい陽光が降り注ぎ、爽やかな風が吹き渡る日。

 光の聖女と風の勇者を讃える祭りは、この平和な国の象徴として、今もなお受け継がれている。


「聖女と勇者は英雄になることを望んでいませんでした。望んだのは、彼女たちの信念と行動を称えた民衆です」


 祭りの始まりには、王が必ずこの言葉を述べることが、長年の慣例となっている。

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