第10話 遼君の触ってないところいっぱいあるよ?

 その一言にドキリとしながら、俺はドライヤーのスイッチを押した。


「一緒に寝ちゃったら……その、なにが起きるか分からないだろ」


 透花の髪を優しく撫でながら、ドライヤーで乾かしていく。自分が思ったよりも、声がからからになっていた。


「なにが起きてもいいって言ったら?」


 ドライヤーの風の音が目の前で、轟々と鳴っているはずなのに、透花の声ははっきりと俺に届く。心臓がうるさいくらいドキドキしている。


「それは反則だって!」


 俺はかろうじて笑いながら、ドライヤーを机に置いた。指先が緊張で少し震えているのを、透花に気づかれたくなかった。


「あっ、今度は私が髪乾かしてあげるね」

「う、うん……」


 ぎこちなく返事をしながら、俺はその場に座り直した。


「じゃあ、いくよね」


 ドライヤーのスイッチが入る。温かな風が後頭部に当たり、くすぐったいような、心地よい感覚が広がる。その風の向こうから、透花の柔らかな指先がそっと俺の髪に触れている。


「遼君……」


 透花の腕がそっと俺の腰に回ってきた。


「遼君、あのね……」

「あちちち! 抱きついてくるならせめてドライヤーのスイッチは切ってからにしろって!」

「あ」


 俺の腹が、ドライヤーの熱風に焼かれるところだった!







 夜の十時――。


 電気を消して、俺は床に敷いた布団に寝転ぶ。今日は疲れた……。まさか、たったの一日でこんなに自分を取り巻く環境が変わるとは思わなかったよ。


「遼くーん、お話しようよ~」


 一方、まだまだ元気な透花。枕に顔をうずめて、ベッドの上から俺のことを見ている。おかしいな、精神的な負担は俺なんかとは比べ物にならないはずなのに。


「話って、もう布団に入っちゃってるじゃん」

「だって、眠れないんだもん。遼くんが隣にいると落ち着かなくて」


 そう言いながら、透花は布団の端をちょいちょいとつまんで引っ張っている。


「こっち、来て?」

「俺が隣にいると落ち着かないって言ったくせに!」

「出た。ああ言えばこう言う」

「同じ言葉、そのまま返してやる!」

「じゃあ私から行くもん」


 透花がスルりとベッドから落ちて、俺の布団に侵入してきた。


「これでいい?」

「正直、やりそうだとは思ってた……」

「えへへ、バレてた?」


 俺が肩をすくめると、透花は枕を半分こするように顔を寄せてくる。髪からふわっと、俺と同じシャンプーの匂いがして、ダメだって思ってるのに、心臓はさっきよりもうるさくなっていた。透花の素足が俺の足先をちょんちょんとつついてきた。


「遼君~」

「今日はもう寝よ。明日から学校に行かないとだよ」

「やだやだ! 寝ない! 寝たら学校がやってくる!」

「子供がいる」


 笑いながら、透花のつついてくる足に軽くやり返す。そうすると、また透花が俺の足に反撃してくる。しばらくそんな攻防を続けていると、今度は透花が俺の足をふとももで挟んできた。


「それ卑怯じゃない!?」

「捕まえた~」


 必死に抜け出そうと足を動かすけど、透花の締め付けは優しくも確かで、まったく逃げられない! というか動かすと、透花の太ももの感触がしてかなりやばい!


「もー、なにやってるんだよ俺たち」

「透花に寄生された遼君の図」

「あんまり笑えない!」


 布団の中で動いていたから、少し汗ばんできてしまった。密着しすぎて、お互いの肌がしっとりしてきているような気がする。


「俺、母さんに言われてるんだけど」

「なんて?」

「透花ちゃんに変なことするなって。朝比奈さんちから大切なお子様預かってるんだからって」

「本人が別に良いって言ってるのに?」

「え?」


 透花の声は囁くようにそんなことを言ってきた。なにか言わなきゃいけない気がするのに、口がうまく動かない。心臓はもう、自分の意志じゃ止められないくらい騒がしい。


「私の身体、遼君が触ってないところいっぱいあるよ……?」

「え――」


 透花はそう言って、ゆっくりと俺の手をとって、自分の胸のあたりへと導いた。


「遼君の手、あったかいね……」


 スッポリ手におさまる温もりに、俺は完全に言葉を失ってしまった。透花の手に導かれて触れた感触は、驚くほど柔らかくて、怖いくらいに熱かった。息を呑むと、透花の鼓動までもが、肌越しに伝わってきそうだ。


 俺は思わず手を引こうとしたが、透花の手がそれを包み込んで離してくれない。理性が音を立てて崩壊しそうになっている中、透花の体がほんの少しだけ震えているのに気がついた。


「透花、もしかして焦ってる……?」

「えっ?」

「ごめん、上手くいえないけどそんな気がして……」


 透花は、俺の手を包んだまま、小さく息を吐いた。


「なんで、そう思ったの?」

「いや、ただなんとなくだけど……」

「私、そんなに分かりやすいかな……」


 熱を含んだ瞳のまま、透花が口を開いた。


「私、朝も言ったけど、遼君に捨てられたらもう生きていけないもん……」

「大袈裟だって」

「大袈裟じゃないもん! 私、遼君のことが好きになりすぎて怖い。毎日、毎日、どんどん好きになっていく……だから、遼君にはもっと私に、はまってもらわないと困る!」

「はまるって……」


 透花はそう囁くと、俺の胸にそっと額をあずけてきた。透花の不安を聞いて、ほんの少しだけ、自分の中に冷静さが戻ってきた。俺は、透花に包まれていた手を、そのまま頭に持ってきて、髪をそっと撫でてあげた。


「……透花、焦らないでゆっくりやろう」

「……」

「あ、愛の育成プランも、他の育成プランもさ。俺たちのペースでじっくりやっていこう」

「私のこと捨てたりしない?」

「なんで、そんなに怖がるかなぁ。俺、そんなに信用ない?」

「してるけど、どうしても最悪のときのこと考えちゃう……」


 一度、全てを失った透花は、今度は人一倍なにかを失うことを怖がるようになった。付き合い始めてから、過剰なスキンシップはそれの表れだったのかな……。だから、俺のことを深く繋ぎ止めようとして――。


「約束するって。これからもずっと一緒にいるから」


 その言葉に、透花の小さな震えが少しだけ和らぐのを感じた。


「遼君、大好き」


 俺は、透花の息が、規則正しいものなっていくまで、ずっと彼女の髪を撫でていた。



 ――深夜。透花が寝静まった頃、俺は一階の冷蔵庫前にやってきた。


「ぜぇ……ぜぇ……」


 コップに麦茶を入れて、一気に飲み干す! よく耐えた! よく頑張ったぞ、俺!


「健全な男子高校生にはつらすぎるって……」


 キッチンの壁に背中を預けながら、そんな言葉を吐いてしまった。俺が迂闊な行動をすれば、透花の住む場所がなくなってしまうかもしれない。でも、その透花は恋人としての距離をどんどん詰めたがっている。この同棲、思ったよりも過酷かもしれない……。


 結局、この日、俺は一睡もすることができなかった。

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