第8話 甘えたがりの透花ちゃん

 夕方――久賀家の様子が騒がしくなってきた。


「お父さん今日は残業だって! せっかく、朝比奈さんが来てるのに!」

「お父さん、透花ちゃんが来てるって知ったら腰抜かしちゃうよ……」


 柚葉と母さんがおたおたしている。二人とも、いよいよ朝比奈透花がうちに泊まることを実感してきたみたいだ。透花には、うちにいる間は忖度しないとは言ったが、迎え入れるほうが忖度しまくりだった。


「うぅー、まさかお兄ちゃんが彼女つれてくる日があるとは……。明日は絶対に雪か雷だよ」

「柚葉って俺のことちょっと馬鹿にしてるだろ!」

「だって、お兄ちゃんはお兄ちゃんだし」


 柚葉が当たり前のように言い切る。その様子をソファーにちょこんと座っている透花が微笑ましく見ていた。


「あ、あの!」


 緊張した様子で透花が口を開く!


「私、遼君の妹さんのこと柚ちゃんって呼んでいいですか?」

「わ、私ですか!?」

「う、うん! 私のことはお姉ちゃんって呼んでいいから!」

「お姉ちゃんーーー!?」


 透花が、自分から誰かと距離を縮めようとしているところを初めて見たかも。

 久賀柚葉――良くも悪くも普通の女の子。成績も普通だし、運動神経も多分普通。部活は吹奏楽部で、友達と毎日楽しくやっているらしい。片づけは苦手。料理はできない。そんなどこにでもいるような女の子が、芸能界のトップにいた女の子にそんなことを言われている。まぁ、その透花も実は普通の女の子なんだけどね。


「じゃ、じゃあお言葉に甘えて、透花お姉ちゃんって呼んでもいいでしょうか……?」

「もちろんだよ! 私、姉妹がいることにも憧れていたから柚ちゃんとはもっと仲良くなりたい!」

「うっ」


 柚葉の胸をずきゅーんと貫く音が聞こえた気がする。そりゃ、朝比奈透花にそんなこと言われたら誰だってそうなるわ! 今に見てろ、生活力のなさにびっくりするからな!


「あっ、お義母さん! 私も手伝います!


 透花が立ち上がって、夕食の準備をしようとしている母さんに話かける。今度は母さんと話したいみたいだ。っていうか、今、普通にお母さんって呼んだな。


「お、お義母さん!?」

「りょ、遼君のお母さんなので……。私もお義母さんって呼んでいいでしょうか……?」

「も、もぉー、透花ちゃんったら」


 またしても、胸を打ち貫く音が聞こえてきた気がする。

 さ、さすがは元は業界にいた人間だよ……。自分の苦手分野だろうが、やる気を出せばそつなくこなす。きっと、それくらいの経験が既にあるのだろう。何度も言うが、やっぱり透花のスペックは相当高い。


「今日は透花ちゃんの好きなやつにしちゃおうかな。透花ちゃん、苦手なものはある?」


 透花につられて、母さんの透花への呼び方も変わっていた。


「私、好き嫌いはないので大丈夫です!」

「本当ー? じゃあ奮発して焼き肉にしちゃおうかな」


 今、透花が盛大にフラグ立てた気がする。また、ピーマンが出てきても、俺知らないからな!


「柚ちゃん、ご飯食べ終わったらトランプやろうね!」

「と、トランプ!?」


 呼び方ってすごい。すごい早さで透花とみんなの距離が縮まっている気がする。午前中のぎくしゃくも少しずつ薄れて、透花もコミュニケーションに積極的になってきた。


(これも昔の朝比奈透花の実績なのかな)


 引退したとはいえ、今後も朝比奈透花の名前で損も得もするということはよく分かった。透花の彼氏として、ここのところはしっかり抑えておかないと……じゃないとコンビニの買い物一つで、透花に危害が加わるかもしれない。さっきみたいに買い物するのは本当に気をつけよう。


「それにしても透花ちゃん、本当に遼と同じ部屋で良いの? 私としてはすごく心配なんだけど……」

「はい! 私、遼君と一緒にいるのが一番落ち着くので! 遼君のこと大好きなんです!」

「う、うちの遼にどうしてそこまで……? 世界のどんな未解決事件よりも不思議なんだけど」


 母さんが実の息子に割とひどいことを言っている。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん」


 ソファーでくつろいでいた俺のところに柚葉がやってきた。


「どうして、透花ちゃんと付き合えたの?」

「はぁ……」


 俺、これ家族一人に一人に説明しないといけないの……? 父さんには悪いけど、今日残業で助かったよ……。


 ――そんなやり取り後、夕食の手伝いもそこそこに透花の荷物をまとめるために俺たちは自分の部屋に戻ってきた。


 俺の部屋の中央には透花の荷物がドカっと置かれている。少ないように見えても、俺の狭い部屋に置くとなると、かなりごちゃごちゃしているように見える。


「遼君、着替えはどこに置けばいい?」

「うーん……」


 制服と私服は俺と同じクローゼットでいいとして、他の着替えはどうしよう。っていうか、他の着替えって……。


「て、適当にベッドの下とかでいいんじゃない?」

「なんで気まずそうなの?」

「そりゃ、着替えって下に着るものもあるだろうし……」

「……今日は水色だよ?」

「はぁ!? な、なにが!?」


 俺の声が裏返る。透花は、そんな俺の動揺を楽しむかのように、ちょっとだけ得意げに笑っていた。


「下に着るやつでしょ? ピンクと、白と……あとは秘密ね」


 そんな情報、知りたくなかった……わけじゃないけど、今は聞きたくなかった。なにこの、妙に攻めてくる透花!? いつもの透花って、もっと奥手というか、恥ずかしがり屋だったはずじゃ――。


「……なあ、もしかして今日、テンション高くなってる?」

「そう見える?」


 小首をかしげる仕草が、妙に小悪魔的でドキッとする。やばい、本当に可愛い。


「今日は付き合ってから初めて一緒に過ごせる夜だからかな? 夜はいっぱい甘えさせてね」

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