第39話 透花【と遼君の愛の】育成プラン

第一章エピローグ 前編



 次の日、俺たちは見事に力尽きて、透花の家で横になっていた。


 体力的にというよりは、精神的にすごく疲れた。今日が休みで本当に助かった……。


「……透花、あのさ」

「どうしたの?」

「すごーく動きづらいんだけど」


 部屋の中央でぐでっと横になる俺たち。そこに透花がずっと俺の腰に手を回してくっついている。


「遼君、大好き」

「いや、それ今日で何回目だよ!」

「何回でも言っちゃうもん」


 透花は楽しそうに笑いながら、さらにぎゅっと俺の腰にしがみついてくる。正直、動きづらいけどそれ以上にこのぬくもりが心地良すぎる!


「にしても、この部屋、本当になにもなくなっちゃったなぁ……」

「お母さんが全部持ってちゃった」


 透花の芸能界復帰騒動は、彼女の引退という形で幕をおろした……はず。


 だが、その余波で、透花の家にはなにもなくなってしまった!


 なにやら透花のお母さんが強制的にどこかの業者に持っていかせたらしい。怖い、怖い、怖い。芸能界怖い。そこのスピード感が半端なさすぎるんだって。

 あるのは簡単な着替えのみ。というわけで、俺たちはいつものスウェット姿でゴロゴロ中である。はたから見たら相当なダメ人間になっていると思う。


「あっ、俺、トイレ行ってくる」

「うん」


 そう言って立ち上がると、何故か透花も一緒に立ち上がった。


「どうしたの?」

「一緒に行く」

「どこに?」

「トイレ」

「アホ?」

「離れてあげないって言ったじゃん」

「俺、その言葉にここまで物理的な意味があるとは思わなかったよ……」


 いや、今日はもうずーっとぴったりくっつきぱなしなんだよ。アヒルの赤ちゃんどころか、木に抱きついたコアラみたいになっちゃってるよ。


「ちょっと行ってくるだけだから」

「じゃあ待ってる……」

「言っておくけど、距離にしたら十メートルもないからな!」


 何故か透花が泣き出しそうになっている。これ、別な方向でおかしくなってない……?


「遼君、大好きだよ」

「嬉しいけど、それトイレに行く前のセリフじゃないんだよね……」


 あんなことがあった直後なのに、透花の目はキラキラと輝いている。とても楽しそうだから、これはこれで良かったのかなぁって思ってしまう。


 ……でも、まだまだ問題は多い。


 透花は、これで母親からも事務所からも更に縁が遠くなってしまった。透花が無条件で頼れる大人がいないっていうのは相当やばい状況だと思う。俺自身は、彼女のそばに、よりいてあげたいとは思っているけど……。


「ただいまー」

「遼君、おかえり!」


 トイレから帰ってくると、すぐに朝比奈が俺に抱きついてきた。反動だと思うけど、こんな状態の彼女を一人にはしておけないよ。こんななにもない部屋に一人だけだと尚更寂しいよね。どうにかしてあげたいとは思っているのだけど……。


「透花、家具どうしよっか」

「家具?」

「ベッドすらなくなってるからさ。昨日は俺が持ってきた寝袋では寝れたみたいだけど」

「しょうがない、買うかー」

「そ、そんな簡単に!? お金は!?」

「お金ならいっぱいあるもん」

「言ってみてぇ……」


 今更だけど、お金は透花が自由に使えるんだ。分からん、俺、あの母親の考えていることがさっぱり分からん。


「じゃあ、欲しい物リスト書きだしていこうか」

「おー」


 紙は……紙は……って、この部屋マジでなにもねぇ!


「仕方ない、じゃあこれに書いていこうか」


 俺はバッグから“透花再育成ノート”を取り出した。


「遼君、これいつも持ってるの?」

「うん、いつでも書けるように」

「えへへ~」

「なんで嬉しそうなの?」

「教えない」


 これ以上聞くのは野暮なような気がする。この話はそこそこにして、とりあえず家具の欲しいものを箇条書きで書き出していってしまおう。


「遼君、まずはテーブルは欲しいよね?」

「うん、勉強できないからテーブルは必須だと思う」

「あとはソファーでしょー」

「うんうん、あれば便利だよね」

「それにダブルベッドでしょうー」

「うん?」

「ペアのコップに、ペアの歯ブラシでしょうー」

「……」

「ペアの服も欲しいし、ペアのスリッパも欲しいよね」

「同棲かっ!」


 恥ずかしくなってパタンとノートを閉じてしまった。少しは思春期男子の情緒も考えてほしい。


「あっ、遼君が恥ずかしがってる。可愛い~」

「からかいやがってぇ……!」


 そして、透花がまた俺の腕に組みついてくる。これ、絶対に外でもやってくると思う。これじゃ、しばらく外は出歩けないよ。


「遼君、それ直しとこ」

「それって?」

「ノートの名前」


 ノートの表紙には“朝比奈透花、再育成(仮)プラン”もとい、マジックで修正された“透花、再育成プラン”の文字。それを更に透花が文字を付け加えて修正した。


“透花【と遼君の愛の】育成プラン”


 再の部分には手書きの二重線。文字と文字の間にはそんな一言が付け加えられた。


「恥っ! めちゃくちゃはっず! しかも更に表紙がぐちゃぐちゃになった!」

「これから一緒に育てていこうね」

「透花は自分で言ってて恥ずかしくならないの!?」

「実はかなり恥ずかしい」

「じゃあ言うな!」


 透花が照れながら笑っている。お互いに照れまくっている謎の空間ができあがってしまった。


「遼君、遼君」

「んー?」

「これからも私のこと育成してくれるんだよね?」

「もちろん。まだ達成してない項目もたくさんあるからね」

「やった! じゃあ早速お願いしようかな!」

「お願いってなにを?」

「む、胸の育成……」

「なに言ってんの?」

「私、ちっちゃいから……」

「だからなに言ってんの!?」

「私のことは全部育成してよっ!」


 透花が顔を真っ赤にしながら変なことを言い始めた。


 最近、色々なことがあったけど、やっと何気ない日常が戻ってきた気がするよ。










 ……これは、本当に余談。


 紫プロはこれから数日後、この前のことが原因でネットで大炎上することになる。それに加えて、朝比奈の母親も世間から相当な批判を受けることになる。


 きっと、あのやり取りを見ていた誰かが動画を撮影してネットに晒したのだろう。


 文化祭のときに久しぶりに姿を見せた朝比奈透花に、心を打たれた人は少なくなかったってことだと思う。そして、それを利用しようとする大人たちが許せない……というのは、彼女のファンなら当然の気持ちだったわけだ。

 育成失敗と罵る人もいれば、それと同じくらい……いや、それ以上に朝比奈透花の味方はいた。それは間違いなく、彼女が子役時代に積み上げてきた実績と人望の証だったのだと思う。


 イメージが商売の芸能事務所はこれが大打撃になり、相当な業務縮小を迫られることになる……というのはもう少し先の話。その結果、あの元マネージャーがどうなったか俺が知るすべはない。透花の後輩も事務所の異動をせざる得なくなったらしい。


 テレビも見ない、ネットもほとんど見ない透花はこのことは知らない。


 俺もわざわざ彼女に言う必要はないと思っている。

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