第9話 それってプロポーズ?

 週明け、今日も今日とて俺は朝比奈を起こしに家にやってきた。三回目になるとさすがにピンポンを押すくらいじゃ緊張しなくなってくる。


「はいはーい」


 そして朝比奈も普通に出てくる。

 なんだよ、もう普通に起きれるじゃんか。でも……。


「……朝比奈、髪とネクタイは?」

「うん、準備しておいたよ」


 さも当然のようにクシとネクタイを渡された。


「中に入ったら? まだ綺麗だよ」

「まだってなんだ! 片付けしてから、たったの一日しか経ってないだろ!」


 クシを片手にわなわなと震えてしまった。準備しておいたじゃねぇよ……! こいつ、毎日俺に髪をとかさせる気でいるな……!


「あのさ、俺も一応男子なんだけど! 女子の髪をとかすのって割と抵抗あるんだけど!」

「じゃあ私で慣れたらいいじゃん」


 アホかッ! 朝比奈透花で慣れたら、向かうところ敵なしになるわ! 心の中で、そんなツッコミを飛ばしている間にも、朝比奈は机の前にちょこんと座り、髪を後ろに流して待機している。首を少し傾けて、俺のほうをちらちら見てくるのが妙に小動物っぽい。


「くそぅ……」

「なんで悔しそうなの?」

「負けた気がするから」

「誰と戦ってたの?」

「俺も分かんない」

「なにそれ」


 ピンポンは慣れたけど、朝比奈の髪をとかすのは慣れるわけないよ。


 震える手でゆっくりと髪に触れる。ふわっとした髪の感触に、指先が一瞬ビクッと震えた。朝比奈の髪から、いつもの甘いシャンプーの香りがする。柔らかくて、とても触り心地が良い。


「……ふふ」


 突然、くすくすと笑う声がした。


「な、なんだよ?」

「久賀君の手、めちゃくちゃ緊張してる。この前は全然だったくせに」

「朝比奈が平然と髪いじらせるからだろ! この前は急いでたから気にならなかったの!」

「あはは、久賀君って結構はっきり言うよね」


 そう言う朝比奈自身もこの前は顔を赤くして緊張した様子だったけど、今日は目をつむって気持ち良さそうにしている。多分、気を許してくれているのかな? 先日の片付け騒動から、朝比奈の俺への態度がかなり柔らかくなった気がする。


「……久賀君の手、安心するなぁ。こういうのってなんかいいね」

「こういうの?」

「毎朝起こしてもらって、髪とかしてもらって、ネクタイも付けてもらって、元気出して、学校行くの」

「ネクタイも俺にやらせる気なんかーい」


 気恥しくなって、少しふざけてしまった。そっか、こんなやり取りが朝比奈は元気出るんだ。


「私、久賀君になにも返せなくてごめんね」

「気にしないで。それにこの前チョコもらったでしょ! 美味しかったよ」

「……」


 ポンっと朝比奈の頭を叩いて完成。うん、やっぱり髪を整えるだけで朝比奈の輝きは見違えるようだ。


「あっ、朝比奈!」

「どうしたの?」

「これ、朝比奈のお弁当。約束通り作ってきたよ」

「へ?」


 朝比奈の両手にぽんっとお弁当箱をのせる。


「コンビニよりは体に良いと思うから」

「な、なんで今渡したの!?」

「みんなの前で渡すと恥ずかしいだろうが!」

「これから一緒に学校に通うのに?」


 い、言われてみると確かに? 朝比奈と一緒にいるのに慣れ始めている自分が怖くなってきた。







 ――その日のお昼休み。

 友達に呼ばれたので、一瞬席を離れる。話し終えてから、自分の席に戻ると、朝比奈がじっと俺のことを待っていた。


「どうしたの? 先に食べてて良かったのに」

「久賀君が、お昼ご飯を食べないでどこかに行くの珍しいなって思って」

「そう? 普通に友達と話してただけだけど」

「ちなみに男? 女?」

「男」

「ふーん……」


 じとっとした目で朝比奈が俺のことを見つめてくる。いや、普通に友達に朝比奈とのことを聞かれてただけなんだけどね。すごく可愛くなったとか、携帯番号を聞きたいとか。……それに久賀と付き合ってるの? とか。


「俺、朝比奈透花のポテンシャルの高さを再確認した次第です」

「どういうこと?」

「そのまんま」


 朝比奈が俺のことを訝しがりながらも、朝渡したお弁当を取り出した。


「じゃ、いただきます」

「どうぞ、どうぞ」


 朝比奈がパカッとお弁当の蓋を開ける。お弁当の中身は、ハンバーグに卵焼きにウインナーと定番のおかずから、きんぴらごぼうと野菜炒め、色取りで各おかずのすき間にはブロッコリーとプチトマトを入れている。栄養バランスはそんなに悪くないと思う!


「うわっ、すごっ」

「実は初日なのでかなり奮発してしまいました。卵焼き、甘めにしてみたけどどうかな? 食べてみてよ」

「うん」


 俺に言われるがまま、朝比奈が卵焼きに口をつける。


「美味しい……」

「良かったー!」


 朝比奈が口元に笑みを浮かべている。いつもより早起きしたかいがあったー。どうせ食べてもらうなら、美味しいって言ってほしいからね!


「実は不安でさ! ピーマンと玉ねぎ以外で苦手ものがあれば言って――」


 次のリクエスト聞こうと朝比奈の顔を見た瞬間、俺は彼女に起きている異常事態に気がついてしまった。


「あ、朝比奈!?」


 今度は見ないフリができず、俺は席を立ち上がってしまった。



 ――朝比奈の頬には一筋の涙が伝わっていた。


 

「え……?」

「ど、どうした!? 大丈夫!?」


 驚きと心配で言葉が続かない。普段はぼーっとしている朝比奈が、人前で涙を流していることに、俺はかなり混乱してしまっていた。


「そんなにまずかった? 無理して美味しいって言わなくてもいいのに……」


 俺の言葉に朝比奈は全力で首を横にふっている。涙を拭きながら、ゆっくり顔をあげて、小さく俺に微笑んだ。


「ごめんね、そうじゃないの」

「じゃあなんで……?」

「なんかすごく嬉しくなっちゃって……」

「え?」

「私、こんなに誰かに優しくしてもらえるなんて思ってなかったから……」

「……」

「みんなに見放されたと思ってたのに……マネージャーにも、ファンの皆にも、お父さんとお母さんにでさえ……」

「……」


 自分の言葉にまた朝比奈が涙を流している。俺に朝比奈の抱えているものは分からない。分からないけど……。


「……ごめんね、急に変なこと言って」

「ふ、ふんっだ! こんな弁当でいいなら毎日作ってきてやるよ!」

「それってプロポーズ?」

「違う」


 俺、誰かの前で涙を流してしまうことの意味は知ってるよ。嬉しくて、自分ではどうしようもないときだよね。


「大体、朝比奈は自分を低く見過ぎなんだよ! 他の人は知らないけど、俺は絶対に朝比奈のこと見捨てたりしないからな!」

「うん……うん……」


 俺の言葉に、朝比奈が何度も頷いていた。


 ……“育成失敗”と言われている元子役の再育成計画。


 これ、もう一回ちゃんと練り直そう。


 勢いで言ってしまったものだったけど、これってもしかしたら朝比奈透花の心の傷を癒すためのものにもなるかもしれないから。

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