わかってたよ

麻木香豆

🐨

「可愛い。コアラー」


 コアラ舎の前、人混みの隙間から覗いたコアラの姿に、思わず声が弾んだ。


「ね、見えた?」


 隣にいる健人に声をかけると、彼はぼーっとしていた。

 私より背が高いんだから、ちゃんと見えてるはずなのに。


「あ、うん。コアラさん可愛いね」


 ぎこちない笑顔。浮かない顔。


 わかってるよ。もう確信した。


 無理に笑わなくていい。

 私がここに連れてきたのがいけなかったんだ。

 土曜日の動物園、カップルや家族連れで溢れる場所。


 帽子を深くかぶり、サングラスをかけた健人。

「コアラさん」だなんて、普段から動物にも人にも「さん」付けするんだろうな。


「どした? 愛美」

「ううん、コアラって歩くんだって。つい見入っちゃった」


 スタスタと木から降りて歩くコアラの後ろ姿が、ただただ可愛かった。


「……次、行こうか」

「うん」


 健人の後を追いながら、心の奥でそっと思う。


 ——別に、わかってたことだから。


 最初はそうじゃなかった。

 優しくて、物腰の柔らかい人。

 憧れみたいな気持ちから始まった。


 でも、初めて夜を過ごした朝、

 彼の左手薬指にうっすら残る指輪の跡を見た。


 そのとき、もう知ってしまったのに。

 それでも私は、知らないふりをした。


 だって、健人が好きだったから。


 今までで、一番好きだった人。


 ——だけど。


 子供、いるよね。

 そう思ったら、もう、さすがに。

 ずっとわかってた。でも、別れるきっかけがなかった。


「愛美、満足したか?」


 コアラ舎を出た途端、健人が真剣な顔で聞いた。

 その顔を見たら、なんだか少し可笑しくなって、私は俯いた。


 そして、笑顔を作って答えた。


「うん」


「健人、別れよう」


 彼の目がわずかに揺れる。

 でも、もう遅いよ。


 大好きだったよ。


 ありがとう。


 バイバイ。


 —終—

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わかってたよ 麻木香豆 @hacchi3dayo

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