1-2 上村悠多は余裕綽々

「――うん、その件でちょっと相談に乗ってもらいたくて――夜分に申し訳ないんだけど。ああ、そう――じゃあ悪いけど、今からそっち邪魔するわ」


 時計の針はすでに午前零時を回っていたが、上村悠多かみむらゆうたとはすぐに連絡がついた。学内に知り合いの少ない俺は、この謎のスマホをどう扱うべきか、他に助言を求めるべき相手を思いつかなかった。

 上村とは所属する学部が違ったが、学食で見かけるうちに親しくなった。たしか俺が着ていたB級ホラー映画のTシャツを面白がって、話かけてきたのが契機きっかけであったと思う。

 上村は大学のある市内にマンションを借りて一人で住んでいる。両親共に会社経営者で、実家がのだ。奨学金で大学に通う俺からすれば、羨ましいかぎりだ。

 いつも余裕がある上村ならば、何か有用なアドバイスをくれるに違いないと、俺はそう考えたのだった。


     *


 通話を終えた後、俺はスマホを握りしめてすぐにアパートを飛び出た。単身者や学生の多い街区とはいえ、路上に人影はほとんど見られない。

 空気が凍ったよう冷たく、吐く息は白い。空を見上げると、痩せた月がぽつんと浮かんでいた。


「そのゲームって――魔術師同士の力比べだっけ。何でそんなことやらなきゃいけないの?」


 徒歩で上村のマンションまで向かう道すがら、俺はメイガス・ゲームについてメフィストに問いただした。はたから見れば、ひとりスマホにぶつくさ文句をいっている危ない奴に見えたかもしれない。


「メイガス・ゲームの目的は、各フォンに宿る十の〝力ある書〟を全て集めることです」

「えッ。魔道書ってそんなに沢山あんの!?」

「ルールの細則につきましては、同梱バンドルされたルールブック・アプリをご参照頂くとしまして――」

「アブリがあるんだ――機能としてはスマホなのな」

「当面は敵対する魔術師と戦って勝利して下さい。すると相手の魔道書を奪うことができます。十冊の〝力ある書〟全てが一つのメイガス・フォンに揃えば、大秘術アルス・マグナは成就し、無限光アイン・ソフ・オウルへの扉が開かれることでしょう。そこではあらゆる望みが叶うのです」

「アルスとかアインとか相変わらず意味不明イミフなこといってるけど。あらゆる望みって――例えば5000兆円欲しいとかでもいいの?」

「国内で流通する日本円の総額は凡そ125兆円ですから、その願いは賛同しかねます。私ならば、市場へ混乱を与えず、当局にも目をつけられない程度ということで、100億円を提案いたします」

「AIなんて非常識な存在のくせに、案外現実的なんだな――だとしても、すげえ金額だな!」

「卑しくも魔術師であるならば、〝マーリンの杖〟や〝賢者の石〟などの呪宝を望むものですが――まぁ、よろしいでしょう」


 メフィストは呆れ気味に、物覚えの悪い生徒をさとすようにいう。このAI、本当に感情表現が豊かだ。自然言語で会話できるAIなんかじゃなくて、実際はがいるんじゃないか?


「つまり魔術師は己の欲望のために争っているわけか」

「そのとおり。〝汝の欲するところを為せ〟でございます」

「ふうん。なるほどなぁ」


 今ひとつ腑には落ちないが、置かれた状況の理解はした。俺にしたって、大学卒業と同時に数百万の借金を背負わされる身の上だし、欲望はある。

 俺が詳細ルールの解説をアプリに命じると、無味乾燥な声音でメフィストが朗読を始めた。

 なんだよ、お前が読み上げるのかよ。

 延々と続く経文きょうもんのような文言を聞きながら、俺は街灯に照らされた夜道を歩き続けた。

 ああ――これ、倍速にならないかな。


     *


「よう、ずぶん遅かったな。まァ上がれよ」

「突然悪いな、こんな時間に」


 暇な大学生とはいえ非常識な訪問であったが、上村は快く自宅へと迎え入れてくれた。持つべきは友といったところか。心なしか鼻が赤いのは、風邪でも引いたのだろうか。

 瀟洒しょうしゃなマンションの最上階角部屋2LDKの物件は、学生が一人で住むには広すぎるし贅沢な気もするが、経済的余裕のなせるわざなのだろう。

 玄関には大きな革製ブーツが脱いであって、どうやら先客がいるらしい。このサイズの靴となると、心当たりは一人しかいない。


梶畑かじはた君も来てんの?」

「ああ、どうも呑み過ぎたらしい。トイレに籠ってるよ」


 そういって上村は、グラスを傾ける仕草をした。またぞろ二人で夜通しゲーム大会だの、カルト映画鑑賞会だのを開いていたに違いない。

 梶畑は、よく上村とつるんでいる大学の後輩だ。身長190cmを超すいかつい大男で、常にサングラスと革ジャケットを着用しており、その風貌からたびたび職務質問ショクシツを受けるらしい。本人はいたって普通、というか重度のオタク気質でマニアックな性格をしているのだが。

 案内されたLDKは(俺が住むアパートの汚部屋からすれば)天国のように清潔で整えられていて、シンプルだが高そうな調度品が置かれていた。

 ただ、テーブルには梶畑が使った物であろう、酒瓶と飲みかけのグラスが転がっていて、室内には微かにイヤな臭いが漂っている。普段は几帳面な上村も、体調不良で家事には手が回らないのかもしれない。


「座れよ、お前も何か飲むか?」

「いや、おかまいなく。それで――早速なんだけど、これ」


 椅子に腰かけるなり俺は、メイガス・フォンを卓上にそっと置いた。テーブルを挟んで向かいの椅子に上村も腰を落ち着ける。

 あれだけよくしゃべっていたのに、メフィストはここに来てからは押し黙ったままだ。ゲームの部外者には存在を知られてはいけないルールでもあるのだろうか。


「へぇ、これがくだんの――ちょっと失礼するよ」


 上村はスマホを手にとり、ためめつすがめつ調べ始めた。電話で入手した経緯は伝えておいたが、半信半疑ではあったようだ。画面は暗いままなので、やはり俺でなければロックは解除されないらしい。


「メイガス。魔術師って意味だな」

 

 流石は上村、刻印の意味を知っていたようだ。大学でも成績優秀らしいから、この程度は朝飯前なのだろう。


「何か見た目は普通ぽいけど、試してみたの――魔法とか?」

「いやァ――それはまだちょっと怖いというか、何というか」

「やってみなきゃわかんないじゃん。魔道書に書かれた呪文が、実際に効くかどうかなんてさ」

「まァ、それはそうなんだけど――」

「それで、鷺田はどうしたいのよ。その何とかゲーム、棄権するのか。負けたら酷い目にあうんだろ」

「そうしたいところなんだが、この端末は俺に個別化パーソナライズされているからもう辞退できないって。そもそも俺にというか、強いがあったから参加させられているらしい」

「何だよ、デスゲームに参加したい動機って」

「――大金が欲しいとか。奨学金という名の借金を、支払って余りあるような」


 俺がそういうと「ぷッはははははッ!」と盛大に笑われてしまう。上村は興奮した弾みで小さくクシャミをすると、ずるずる鼻を鳴らした。スマホをテーブルの上に放り出し、ティッシュで鼻をかむが、既にトナカイのように真っ赤である。

 そういえばアレルギー体質なんだと、以前いっていたようにも思う。


「それがお前の渇望ってわけだ」

「――うん、まあ」

「ならいっそ、ゲームが終了するまで、どこかに隠れておくのはどうだ。ここでかくまってやってもいいぞ」

「いや、俺としては〝勝てなくとも負けない方法〟とか、〝負けても死なずにすむ方策〟を相談したかったんだが――」

「逃げずに戦うつもりなのかよ! 勇気あるな、お前」


 ああ、そうだな。自分でも意外だったよ。

 腹をくくるってこういうことかって。

 ――しかし、さっきから気になっているこの厭な臭い。

 すえたアルコールの香りとは明らかに異なる。

 鼻が効かない上村は気がついていないのだろうか。

 それに、梶畑が一向にトイレから出てこないのは何故だろう。

 そして今、上村が口にした言葉――。

 俺はすうと背筋から寒くなっていくのを感じた。

 背中を一滴ひとしずくの汗が伝い落ちるように。


「なぁ、何でいまなんていったんだ」

「えっ、鷺田がそういったんだろう。渇望があるから選ばれたって」

「いや違う。俺に『動機』や『意思』があったから選ばれたんだ、っていったんだ」

「ああ、そうだったか。言い間違えたよ、すまんすまん」


 上村はいつのもように余裕綽々よゆうしゃくしゃくといった態度だが、その目はすでに笑ってはいなかった。めつける眼差しからはドス黒い感情が漏れている。俺は不可避的に致し方なく――何気ない風を装って疑問を口にした。


「上村、お前さァ――まさかとは思うけど、梶畑君に何かした?」

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