とある少女の平凡な日常

平日黒髪お姉さん

とある少女の平凡な日常

 朝起きて、顔を洗い、トーストをかじる。そして、スマホを開いて彼女のブログを読む。それが俺の日課だった。


 最初に彼女のブログを見つけたのは、中学二年の夏だった。


【とある少女の平凡な日常】――特に変哲もないそのタイトルのブログは、毎日更新されていて、ただの日常を書き綴っているだけだった。


 けれど、その文章には不思議な魅力があった。

 些細な出来事を独特の視点で描き、時には冗談を交え、時には深い考察を織り交ぜる。

 そして何より、彼女のブログには「クセ」があった。


 例えば、彼女は毎回記事の最後に――。


「今日もあなたにとって良い日でありますように!」という一言を添えていた。


 まるで友達と別れるときに掛ける「またね!」のような、さりげなく温かい言葉だった。俺はそれを見て、明日の更新を楽しみに待つようになっていた。


◇◆◇◆◇◆


 彼女の更新は、毎日が特別だった。

 どんな些細な出来事だったとしても、それを面白おかしく語ってくれるのだ。


『今日も晴れ! でも暑すぎて溶けそう~。冷たいもの食べたいなぁ~』


 例えば、それはとある夏の出来事。

 少女が暑いと呟き、アイスの写真を掲載した。梨味が大好物だという。

 それがあまりにも美味しそうで、俺も近くのコンビニで同じ商品を購入した。

 彼女とは遠く離れた場所で暮らしている。それは彼女が日々掲載してくれる土地の様子や、彼女が話す地元の話を聞けば、なんとなくは察することができた。

 ただ、同じものを食べたという共通点が見つかり、俺は何だか嬉しかった。


『電車でおじいさんに席を譲ったら、『最近の若者も捨てたもんじゃないな』って言われた。やったね!』


 例えば、それはとある秋の出来事。

 電車通学らしい彼女は杖を付く老人に席を譲ったらしい。文章を読むだけで、彼女が自分を誇らしく思っているのが物凄く伝わってきた。日本の若者代表として、今後は日本の将来を担う存在になるかもしれないと大きなことを言っていたはずだ。

 俺はその話を「大袈裟だろ」と笑っていたが、学校終わりに彼女と同じく困っている人に席を譲ってみた。俺の場合は、妊婦さんだった。大変感謝を示してくれた。

 褒められたのがあまりにも嬉しくて、俺も思う。俺みたいな人間が新たな時代を作るのだと。彼女のことを馬鹿にしていたけど、意外とバカにできないと思ったな。


「宿題終わらない……誰か代わりにやってくれないかな(笑)」


 例えば、それはとある冬の出来事。

 冬休み中に彼女の学校は大量の宿題がでるようだった。

 クリスマス・正月と休みを謳歌した彼女にツケを払う日が来たようだった。

 涙を浮かべる絵文字を文章の節々に入れつつ、彼女はまたしても写真を掲載していた。

 「集中力」と書かれたハチマキを昭和の熱血受験生みたいに巻き付け、机の上には大量の栄養ドリンクが並べられていた。あと、写真の隅のほうにはお菓子もあった。

 果たして、彼女の宿題は上手くいくのかと心配する俺だったのだが――。

 俺自身も、また遊びほうけた結果、大量の宿題が残る学生の一人だった。


◇◆◇◆◇◆


 そんな風に、彼女のブログは毎日更新され続けた。

 そこには特別なことは何も書かれていない。

 ただの日常。

 ある日、彼女はこう書いていた。


「今日、散歩してたらかわいい猫の親子に出会ったよ。とってもかわいかったにゃ~」


 文章の最後には、子猫を見つめる彼女の写真が添えられていた。

 少しぶれた写真だったが、彼女の目が優しく細められていて、見ているこちらまで温かい気持ちになる。


 彼女は時々、哲学的なことも書いていた。


「人間って不思議だよね。どんなに毎日が平凡でも、時間は勝手に過ぎていく。昨日と今日が同じでも、昨日の私はもういないんだよ」


 俺はその言葉に、なんとも言えない気持ちになった。

 彼女は何を考えながら、そんなことを書いたのだろう。


 ある朝、スマホを開く。

 更新を確認するのは、もう習慣になっていた。

 もう何年目の出来事だったのかは覚えていない。

 ずっとずっと俺は彼女のブログを見て、同じく成長してきたのだから。


【皆様に最後の言葉】


 タイトルを見た瞬間、胸がざわついた。

 震える指でスクロールする。


「読んでくれた皆さんへ。

 今までこのエッセイを読んでくれた人はいるのかな?

 う~ん、いると思いたい。いや、もしかしたらいないかもしれないけど。

 でも、とりあえず、これだけは伝えておくね。

 私はとっても楽しかったよ。とってもとっても幸せな人生でした」


 長い文章が書き綴られていた。

 それは彼女の切実な言葉が。彼女が表に出さなかった感情がそこにはあった。


「実はね、このブログを読んでる頃には、もう私はこの世界にいないんだよね」


 突然の出来事に、俺は意味がわからなかった。


「怒りたい気持ちもたくさんあるし、悲しくなる人もいるかもしれないけど」


 俺は手を握りしめていた。ギュッと力強く。何の理由もなしに。


「最初の最初から。私がこのブログを開設した日から。最初から私はいないんです」


――この世界から、もう最初から私はいないんです。


 彼女が書き残した文章を読みながら、俺は胸の奥がズシンと重たくなっていた。


「あぁ~ちょっと待って待って。石ころを投げるのはやめてね。あと、墓荒らしもやめてね。もしも、そ~いうことをする悪い人がいるなら、私が幽霊になって全員呪っちゃうからねぇ~。だから、そんな真似をしたら許さないんだから!!」


 いつも通りに軽い口調で、彼女は面白おかしく語りながらも、事実を語った。


「実はね、私――結構重たい病気を患ってて、それでもう死んじゃうんだよね」


 彼女にしては、珍しく絵文字や顔文字も何も入っていない文章だった。

 それだけ、この文章を書くのに、様々な葛藤があったんだと読者の俺にはわかった。


「ごめんね、こんな終わりかたで。ごめんね、こんな悲しい終わりかたで」


 終わらせる方法は幾らでもあったはずだ。

 俺たち読者を楽しませる方法は幾らでも。

 進学するから。就職するから。結婚するから。他にするべきことが見つかったから。

 何かしら理由を付けて、事実を語らずに、逃げ出す方法もあったはず。

 それなのに、彼女は――。


「みんなを騙すつもりはなかったんだよ……ごめん、今のはウソ」


 俺たちを一番困らせる終わらせ方を選びやがったのだ。

 残された俺たちの感情も知らずに。

 一足先に、あの世へと旅立った彼女は。


「本当はみんなを騙す気満々でした。というか、上手くみんなを最後まで騙せたのか、とっても不安です。でも、この文章を読んで少しでも感情を動かされた人がいたなら、それは上手く騙せたってことだと思う」


 その言葉の直後、長い空白が続いた。

 ひたすらに続き、永遠にスクロールし続けた先には――。


「今まで楽しんでくれたかな? 私はとても楽しかったよ。どうだ、私カワイイだろ?」


 とびきりの笑顔を浮かべる少女の写真があった。

 俺たち読み手の心を一瞬にして奪うほど明るく、けれどもうこの世にはいない彼女の。


◇◆◇◆◇◆


 混乱する俺の目に、コメント欄の管理人(彼女の両親)からの追記が飛び込んできた。


「これは彼女が生前三日前に書き残した最後の文章です。

 また、彼女はすでに2XXX年●月△日に亡くなっています。

このブログは、彼女が生前に書き溜めたものを予約投稿で更新していました。

今まで娘のブログを読んでくれた方々、本当にありがとうございました」


 目の前が真っ白になった。


(嘘だろ……?)


 何度もスクロールし直す。

 けれど、何度見ても同じ言葉がそこにあった。


 ――もう、このブログが更新されることはない。


 そう思った瞬間、底の見えない闇に飲み込まれたような気がした。

 当たり前にそこにあったものが、ある日突然、なくなってしまう。

 それが、こんなにも恐ろしいことだったなんて。

 俺はスマホを手にしたまま、動けなくなった。

 このページを閉じたら、彼女は本当にいなくなってしまうような気がして。


 俺は過去の記事をスクロールし、ある言葉を見つけた。


「昨日と今日が同じでも、昨日の私はもういないんだよ」


 ……まるで、今の俺に向けて語りかけているようだった。

 彼女の言葉が、俺の胸に突き刺さる。


「……楽しかったよ」


 本当は、会って話してみたかった。

 彼女の声を聞いて、直接「ありがとう」と伝えたかった。

 だけど、もう彼女の言葉はいえない。

 これから何度ブログを開いても、新しい記事が投稿されることはない。

 それが、こんなにも怖いことだったなんて。

 俺の心には、今も彼女の姿が残っている。

 直接会ったことはなかったけど、彼女のとびきりの笑顔が。

 俺たち読者を最後の最後まで楽しませようとしてくれた、彼女の悪戯な笑みが。


「今まで楽しんでくれたかな? 私はとっても楽しかったよ」


 彼女は最後の最後まで、読者を楽しませてくれた。

 もう、彼女の言葉を聞くことはできない。

 それでも、彼女は確かにここにいた。

 そして、きっとこれからも俺の中で生き続けるのだろう。


――今日もあなたにとって良い日でありますように!


 そう俺の心の中で呟いて。

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