第11話 二酸化炭素は消えていく

 ため息をついてから、息を一気に吸い込む。切り替える手法の一つであった。


「それでなんでここにいるの?」


 稔は現状への違和感を口にした。当たり前である。先程ミカは口にしたことと、今行っていることは同一ではない。


「なんだろうね」


 ミカはストローを使って、グラスの中をかき混ぜる。中にある四角い氷がカランカランと音を立てた。


 二人が居た場所は一階の会議室であった。二年五組の教室から階段を使って一階まで降りていた。


「かつて園芸部が使用してた場所に来て、アイスティー飲んで」


「まあね」


 気怠い感じを匂わせて、ミカは答える。ストローを使って口の中へアイスティーが吸い込まれていく。


「今は文芸部なんだって」


「その割にはソファと長机くらいしかないね。それはいいとして、ここに来たのは園芸部が移動した理由を突き止めるとかじゃないの?」


「うん」


 文芸部の部員は今日二人しかいない。その二人はそれぞれ端にあるソファで足を伸ばしくつろいでいる。まるで陣地取りのように。


「ここで待っていれば……と思ったけどね」


 動く素振りは匂わせ。稔はそう読み取って腰を上げる準備をしない。けれど、ミカは稔が見切りをつけていることに気付いていた。


「園芸と演芸を間違えて同じ場所にしたのかな」


「最初にそれは思った。それだと、演芸と演劇でひとまとめにする筈。でもダークツーリズムがあることを踏まえれば一緒にいることは別な意味を為すと考えられる」


「ふ~ん、そうなんだ」


 稔の返し方はまるで合コン女子である。安直だが、そう捉えてしまうのは仕方がない。ミカはダークツーリズムの意味をスマホで検索しつつ、グラスの中のアイスティーを飲み干した。


「文芸部にいる理由はアイスティーそれ飲む為?」


 最後まで飲み切ったミカは目線を上げた。稔の冷たい視線は返答次第で変化する。もうそろそろ限界か。言葉から苛立ちを隠せなくなってきていた。


「文芸部は元々部室棟にあった。そうですよね?」


「ああ」


 ミカの後ろでソファに横たわっている部員からバリトンの声が聞こえる。顔半分を文庫本で隠している男子部員が答えた。


「文芸部も活動を変えられた部活の一つ。そもそもおかしいでしょう。活動場所にあるのがソファ二脚と長机、パイプ椅子。これじゃ荒部連と一緒。本が無さすぎる」


「もしかして」


文芸部ここも移動したってこと。回り回って園芸部はああなった」


 ミカは立ち上がり、椅子を引いた。グラスを持つとソファで横たわっている部員から「そのままでいいよ」と言われた。


「ごちそうさん」


 ミカはグラスを言われた通りにして会議室を後にした。


 ミカは会議室を出ると、校舎の南北を繋ぐ廊下を歩いていく。稔は急な動きに慌ててついていくばかりであった。


 西日が窓ガラスから入り込み、廊下の部分部分を照らしている。ミカの影が東へ大きく伸びていた。

 何か知っている。しかし何も語らない。予測をしても、可能性があっても、口にしない。


 ミカは決して、自身の内側にある答えを口に出そうしなかった。それは懐疑心からか。秘密主義者だからか。


 語らないことは相手に不信感を覚えさせる。稔の苛立ちはどこまでも上り詰めていった。


 ミカの背中は南側へ向かって行くのみ。シワのない黒い制服のジャケットの肩は左右に緩やかに揺れていた。


 廊下の端まで行くとミカは左へ曲がった。この通りには副教科で使用する特別教室が並んでいた。


「今日はもういないかも」


 稔は何も返さない。ミカは返ってこない返事から察した。


「今日は帰っていいよ」


「でも……」


「いいから」


「それじゃあ……」


「ももの為?」


 返事は返ってこない。図星なのか。ミカは振り返らない。稔の顔は見なくてもわかった。俯いている。二つ以上の感情が複雑に絡み合っている。風船はもうすぐ割れそうだ。


「ももはいい子だけど、それなりに自立してるよ。別にミノの力が無くても走っていく」


「えっ」


「荒部連に協力しているのは、ももの為でしょ。ももを友人として失いたくない。そんな所か」


 ミカは振り返った。俯いた稔に対して、続けて口にした。重力に逆らわないよう、上から下に振り下ろす。


 露骨な反応が表れる。稔は何も言わない。


(畳み掛けられる。でも、ここで行っても効果なし)


「ももは優しい子だ。ミカはそれに付け込んで、ももを悪の世界へ引きずり込もうとしているでしょ」


 ミカはくすっと笑う。でも目の奥は笑っていなかった。


「やっぱりそうだ」


「違うかな。ももは戦えるよ。お嬢様だけど、誰かの後ろに隠れて守られる程弱くない。ももを守ることが出来る弱い対象とでも見ていたでしょ。火曜日の体育でソフトボールの守りに就いた際、隙あれば私を見ていた」


「そんなこと……」


「無意識に不快さを表現する目線を送り続けていた。それだけのことだよ。ももと共依存に陥ろうとしている。誰からも好かれようとする余り、全方向へ良いふりをしなければならない。しかし、そんな顔をしなくてもいい相手がいる。それがもも。あながち間違いじゃない。けれど誤算がある。」


「誤算?」


「ももは私と修羅を潜っているからね」


 これだけ言えばいいか。感の悪い相手でも最低限でミカは済ませようとしていた。


「ももは優しいからね。でもその優しさが仇となって精神を引きずり込まれることはない。ある程度切り捨てられるから」


 ミカは質量を使って物理的に叩き込む反面、稔が自力で立ち直れることを見越していた。


 ここでやたらめったら攻撃を続ける必要はない。十歩二十歩先を読んでの行動であった。


「上下の関係ではなく、左右に並んだ方がいいよ」


 ミカは稔にそう口にして、その場を離れていった。






 ミカは地下鉄の改札を出た。電光掲示板時刻は六時五十七分を指している。外は日が落ちていた。


 直接帰ろうか、何処か寄って帰るか。寄る場所は決まっていた。スーパーかコンビニ、ドラッグストア等の店舗であった。


 冷蔵庫の中身は大まかに覚えていた。両親は冷蔵庫の中身を補充することはしない。ここ何年はミカが行っていた。


 生活費は貰っている。その中で不足している物や、買ってくるよう頼まれた物を買う。ただそれだけである。


 ミカは駅前のスーパーに立ち寄った。入り口からカゴを手に取って、売り場を見て回った。


 スーパーの賑わいが何処か心地よい。結局、帰っても一人である。孤独な世界は変わらなくとも周囲が動いている。虚無な空間とは異なっていた。


(今日は惣菜買って食べよう)


 ミカはそう思って、惣菜を手に取った。その他にも記憶を辿りながら買い物を続けていく。一通りカゴに入れるとミカはセルフレジへ向かった。


 バーコードに読み込ませながら、商品をマイバッグに入れていく。昔ここは有人レジしかなかった。いつの間にかセルフレジは増えていき、有人レジ少しずつ減っていた。そして現在はセルフレジのみに変化していた。


 ギリギリ波に飲まれない。飲まれることは時間の問題なのであろう。そういって、無くならないで欲しい物は消えていった。いつの間にか全て新しい物しかない世界が完成するかもしれない。


 ミカは会計を済ませて店から出た。両手は荷物で塞がった。そんな自分を客観視する。そこには変わらない自分がいる。


 ミカは空を見上げて溜息をついた。溜息は紺色の暗い夜空に混じって消えていく。


(明るさは要らないな)


 当たり前は遠くにある。稔も瞳もまさにそんなポジションにあった。


 ミカは重い足取りを上げて、再び進み始めた。冷たい光を宿した目は次の目標地点へ歩み始めていた。

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