第7話 It's a piece of cake.

 私たちがヨナラン医療院に到着したのは、陽が傾き、空が橙と青藍の美しいグラデーションに染まる頃であった。

 

 首都ウェスマウンソーの文教地区に位置するこの医療院は、ミトレウスのみならず世界でも指折りの先進的な医療施設である。

 

 白亜の壁が夕陽を受けて優しく輝き、広々とした庭園には患者たちが静かに憩う姿が見える。

 建物の中も、患者が所かまわず転がされているということはなく、外来、診察室、受付、検査室、病室などなど様々な機能を持つセクションが整然と区画されていることがわかる。


 一般の医療施設が劣悪な環境を脱し切れていないこの世界において、ここは驚くほど清潔で、システムは洗練されており、それでいて患者に対してきわめて人道的な場所である……と、以前聞いたことを思い出した。


 私はいまだ一般の医療施設がどのようなものなのか実際に見たことがないが、それでもこの施設が良い場所であろうということは窺える。


 「さて、受付でルスケンの御令妹の病室を訪ねましょう」


 私は堂々と受付へ向かおうとしたが、カクペルが私の肩を押さえそれを阻む。


 「シスター、病室に部外者がそう簡単に入れるものではありません。最悪、警備の者につまみ出されるやも」


 「そんな!? 先に言ってくださいまし!」


 「まさか私もここに来るまでそれに思い至らぬとは、不覚です……」


 私たちが外来ロビーの端で頭を抱えていると、受付から男性職員が近づいてきた。


 「お二人はチャプレンでいらっしゃいますね?」


 「え?」


 私は思わずカクペルと顔を見合わせた。

 修道士の装いが幸いし、どうやらこの職員は私たちを病院付きの聖職者と勘違いしたようである。


 「え、ええ。私たちはミス・リンデマンのご用命で伺いましたの」


 カクペルが小さく「え」と声を漏らすのを私は聞き逃さなかった。

 ごめんあそばせ。私が最初に決めたことはやり遂げねば気が済まない性質なのはご存じでしょう?


 「病室に案内いたします。こちらへ」


 職員は私たちを先導するように歩き出した。


 前を歩く彼に気づかれないように注意しつつ、私はカクペルに得意げにほほ笑み、耳打ちする。


 「ほほほ、うまくいきましたわ!」


 「まったく…………」


 広い院内を2、3分ほど移動し、小さな部屋が多く並ぶ廊下を歩いていると、職員はそのうちの一室の前で立ち止まった。


 「こちらがマクリナ・リンデマン様のお部屋です」


 「ありがとうございます、ミスター」


 職員が曲がり角に消えていったのを確認して、私はひかえめにノックを3回する。


 「――――どうぞ」


 ルスケンの声だ。

 

 「ルスケン、私です。昼間の――」

 

 勢いよく扉が開く。


 「……ストーカーか?」


 「ごめんあそばせ……」


 私たちはとりあえず病棟の談話室に向かい、経緯を説明した。


 ***


 「つまり、オレがこんなところにいるんで、国内でなにか不穏な動きが起きてるんじゃないかって?」


 ルスケンは窓際の椅子にどかりと腰を下ろし、腕を組んで怪訝そうにこちらを窺う。

 

 「当初は私たちもそう思っていたのですが、御令妹のためだったのですね」


 「そこまでわかってンならもうオレに用は無ぇはずだろ。なんでわざわざ――」


 「それはひとえに、お昼のご恩をお返しするためですわ」


 私はルスケンの手を握った。

  

 目を瞑り詠唱する。


 「『オメガよりアルファへ。盃の水は満ち、而して回帰せよ』」


 「……!!」


 私が握った手から、ルスケンの体全体にあたたかな光の膜のようなものが形成されていく。

 そして――――


 「傷が……治っていく……!」


 彼の体全体に刻まれている傷、大小様々、古いものから新しいものまで、そのすべてが跡形もなく消え去っていく。

 私が発動した治癒魔法が体を癒していくのを彼は茫然と見ていた。


 「この通り、私、魔法が使えますの」


 「治癒魔法ってかなり難しい魔法だろ……!? オレは戦場の人間だから治癒術者の大変さはわかる。被術者の体質によって微妙に術式を変えにゃならんとかなんとかで、事前準備もいるとか」


 「ほほほ、自分で言うのも何ですけれど、魔法使いの中では結構すごいほうですのよ? 私」


 「この程度は朝飯前ですわ」と笑いながら、治癒を終えたことを術の手ごたえから確認し、彼から手を放す。


 「ですから、もしよろしければ貴方の御令妹、私に診させてはいただけませんか?」


 彼は少し考えるそぶりを見せた後、意を決したように立ち上がった。


 「たく、お前さんはとんだお人よしのお嬢だぜ」


 「お、『お嬢』!?」

 カクペルが驚嘆の声を上げる。

 「そいつは『シスター』ってガラじゃねえの、薄々お前さんだってわかってんだろ?」

 からからとルスケンは笑ったが、その笑みはすぐに陰のあるものに変わった。


 「妹――マクリナはな、もう10年以上ここで入院してるんだ。小さな国の、まともな病院なんかないクソ田舎で倒れた時、たまたま風土病の実地調査中だったドクターに助けてもらったのが始まりだった。それで、ドクターのやってる病院で入院したほうがいいって言われて、ウェスマウンソーにやってきて……あれよあれよという間にここまで来ちまった」


 ルスケンが真剣な面持ちで私を見つめる。


 「今まで妹を診た治癒術者たちは全員尻尾巻いて帰ったぜ。だから過度な期待はしねぇ…………でも、今のを見ちまったらさ、オレ、どうしても……」


 彼の眼が揺れる。


 私は再び彼の手を握った。

 今度は魔法をかけるためではなく、慰めと誓いの意をもって。


 「友よ、私は決して諦めませんわ」


 ルスケンは目を瞑り、空を仰いだ。


 「――――マクリナを、よろしく頼む」

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