九
川尾の話を聞き終えた澤木と溝口は、どこか凡庸な怪談を聞いたような感覚を受ける。
それと裏腹に、節々で感じ取れるこの家の気味の悪さは確実に存在しているようだった。
基本的に今まで集めた「写真の家」に関する内容と大きくは違わない。
しかし川尾の話には、これまでの内容には見られなかった「二階」に関する記述が出てきた。
平たく話をまとめると、「行方不明になった引田という学生が、何かに魅入られるように二階へ向かって白骨死体を見つけた」ということである。
澤木は坂下刑事を経由して調べていた情報を想起する。
写真の家で発見された白骨死体は恐らく、ここが発端になったのだろう。
ネットで情報が出回らなかったのは、警察が先んじて情報の統制を行ったと考えれば合点がいく。
つまりは川尾の話が、一切の手が加えられていない、川尾の主観的事実。
溝口も恐らくそれを理解しており、横目で見てもかなり細かくメモを書き取っている。
澤木も溝口も話を聞き終えて次の質問を弄っている最中だった。
しかし川尾はというと、その僅かな沈黙の隙間すら耐える事ができないらしい。「一体、俺達に何が起きたんだ!?」と興奮冷めやらぬ調子で叫ぶ。
その言葉に最初に反応したのは、澤木のほうだった。
「川尾さんの話にあったような内容は、我々が今まで集めた話の中にはなかったものです。引田さんの様子がおかしくなったのは、あの家に入ってすぐのことだったんです?」
「いや、入ったときには普通だった、と思う。明らかにおかしくなったのは、仏壇のところだ。仏壇が揺れた、とかなんとかって時から、こいつ人の話聞いてんのかって何度か思った記憶がある」
「引田さんはそこからすぐに行方不明になった、そしてすぐに貴方自身も、奇妙な声が聞こえるようになった。失礼ですが、お近くであの家に入った人は、他にいなかったんです?」
「何人もいたさ、でもみんな、何もなかった。尤も、本当に行ったかどうかなんて、分からないけどな。写真なんて撮ってこなかったし、ただ怖かっただのって話だけだったから」
澤木は適当な相槌を打ちつつも、ちらりと溝口を一瞥した。
対して溝口は、顎に手をおいて考え事をしている。一連の話を聞いて少々目の色を変えているように、澤木には見えた。
もしかしたら、この話を聞いて澤木とはまた異なる視点で、引っかかる点があったのかもしれない。
正直なところ、澤木の現在の理解では「三人のうち、引田と川尾はあの家で何かしらの禁忌に触れた」という程度しかわからなかった。
そもそもこの話自体は眉唾と表現しても仕方がないものである。
元刑事としてはこんな話をした被疑者がいた時点で、精神鑑定に回す事を検討することは確実だろう。
もしこの話がすべて事実ならば、そもそもの立件が困難となる。どうあがいても現在の法律では、「心神喪失」という表現しか持ち合わせていないのだから。
元刑事としての文脈でこの話を聞いていると、確実に見逃す何かが、恐らくはある。
澤木はそれを直感しつつ溝口に「何かあったのか?」と言葉を投げると、溝口は首を縦に振って川尾へ尋ねる。
「川尾さんの撮影した写真って、今どこありますか?」
その言葉に思わず澤木も面食らってしまう。
なぜなら、この場で話し合われていたあらゆる文脈をすべて無視して、「あの家で撮影した写真」の事を尋ねるたのだ。
当然のように川尾は怪訝な表情を浮かべているが、突っぱねるように「多分家だけど」と律儀に話し始める。
苛立ちこそあれど、川尾もまた自分に起きた超常的な現象のヒントを求めて必死なのだろう。
吐き出せる情報は徹底的に吐き出そうとしてくれているらしい。
「正直もう見たくもないから手つかずだった。多分スマホの中に入ってんじゃねぇかな。警察が押さえてるだろうけど」
川尾の話に首を縦に振りつつも、澤木は横目でアクリル板に反射している西村の微かな動向を確認した。
ほとんど反応しないよう繕っているが、西村の心境は態度で露骨に表現されていた。
それまで手持ち無沙汰と言わんばかりに動いていた指先や首が突然動きを鈍らせる。
これでは「自分がスマホを押収しました」と吐露しているようなものだ。
西村は確かに優秀であるが、それが祟って複数の可能性を考慮する癖があるらしい。最善手を考える中で「迷い」が態度に出てしまう傾向にあるようだ。
澤木は、西村の優秀さゆえの未熟さに内心ほくそ笑みながら、溝口の動向にも気を配る。
「その写真の中で、いわゆる心霊写真みたいなものは、ありませんでしたか?」
「流石にそんなものはなかったと思うけど、正直そんなものがあったとしても、もう二度と見たくない。戻ってきたって、誰かに頼み込んで消してもらいたいくらいだ」
「そうですか……。そう言えば、一緒にあの家に行ったっていう雨谷さんは、写真とかって撮っていたんですか?」
「いや、あいつは賑やかしって感じだった。メチャクチャ喋ってたけど、カメラとかは持ってなかったはずだ」
「引田さんも同じですか?」
「あいつも同じだけど、あいつはなんか妙に家のことに詳しかった気がする。多分下調べしてたのはあいつだけだと思う。俺と雨谷は、なんか面白そうだからついてっただけって感じで」
「引田さんがあの家について調べていたっていうのは、具体的にどういうことです?」
「あの家、なんか変な事件があったんだろう? やけに詳しく話してたから、きっと色々なことを知ってんだと思う。正直俺はそんな興味がなかったから、話なんて聞いてなかったんだけどよ」
溝口はひとしきり質問をすれば、再び顎に手を置き、ぼそりと「ありがとうございます」と呟いた。
もはや完全に自分の世界に入り込んでしまっている様子である。けれども、彼女の中で何かが引っかかたのだろう。
それだけでも十分であると判断した澤木は、「川尾さん」と名前を呼び、今度は澤木自身へ注目を向けるよう仕向けた。
「先程の話によれば、貴方はなにか、超常的な力によって今回の事件を引き起こされたということでしたね? 今現在、貴方にはそのようなことは起こっていますか?」
「いや、変な声が聞こえたりすることはなくなったよ。今は全く、あの事が現実に起こっていたなんて考えられないくらいだ。尤もそんなこと言ったって、信じてもらえるわけないがね」
「確かにここでの貴方の証言はとても大切ですが、起こったことは素直に話すべきです。今ここで話を聞いている刑事もきっと、貴方の発言を精査するでしょう。今現在、貴方には特段、奇妙なことは起こっていない、ということですね?」
澤木は自身でも多少のわざとらしさを感じながらも、熱い眼差しでそう続けた。
そうすることで、怪訝さが強く明らかに警戒心を滲ませていた川尾の態度が少しずつ解かれていく。
訝しさと怒りが弱まっていき、今は明らかに緊張と不安が浮かんでいる。
恐らく、唐突な出来事の中で少しずつ冷静に自分の状況を咀嚼している状態なのだろう。
だからこそ冷静になったこの時点で、現実的な不安のほうが大きくなったのだ。
もし仮に、一連の出来事が事実だったとしても、それを警察側が認めるとは限らない。
それどころか、現実的な見方をすれば、警察がこんな荒唐無稽な話を証言として記録するわけがないだろう。
それは川尾も理解しており、だからこそ糸口を探しているのだ。
この状況で自身のしたことを、警察が最も事実に近い形で理解することを。
その不安を体現するように、川尾は確信に触れ始める。
「なぁ……俺は知ってることを話した。どうなんだ? 俺や、引田は呪われてるのか? だとすればどうすりゃいいんだよ。教えてくれよ」
「川尾さん、我々が持っている情報はあくまでも、貴方に何が起こったのかを説明する程度のことしかできません。簡潔に言いましょう。貴方はあの家で何かしらの禁忌に触れてしまった、それがこの事件を引き起こした可能性があります。ただし、そこから先を調べるためには、我々の情報だけでは足りません。ですから……」
澤木が川尾をなだめようとした時だった。
川尾は澤木の言葉を遮って「話が違うじゃねぇか!」と激昂した様子でアクリル板を叩く。
その鈍い音に、今まで考え込んでいた溝口も流石に驚いたのか小さな悲鳴を上げ、不安げな視線を澤木へ送っている。
一方の澤木はというと、今までの経験からさほど取り乱すことはなく、しかし相手に悪印象を与えない程度には相手の気持ちを受け入れ、協力への願望を表出する。
「落ち着いてください! 我々も全力でこの事件について調べています。貴方を助けたいからこそ、ここにいるんだ!」
「さっきから分かりませんばっかりで何言ってやがる……俺はどうしたらいいんだ? もうわかんねぇよ、どうしたら言いかって聞いてんだ!」
「無論、確約はできません。しかし何か新しい情報を見つけたあかつきには、必ず貴方の力添えとなる、それはお約束できます。貴方の不安、辛い気持ち、私にも痛いほど伝わってきます。だからこそ、貴方には冷静でいてもらわなければならない!」
澤木はそこで「どうか」と頭を下げる。
凄まじい勢いでの最敬礼に対して、アクリル板越しの川尾は眉根を寄せて狼狽していた。
しかし澤木には、不安げな川尾だけではなく、横目でしっかりと、冷たい眼差しを浮かべている西村の表情を確認する。
大方、これだけの啖呵を犯人の前で切られてしまったことに対して苛立ちを隠せないと言った様子だ。
澤木も西村の態度は織り込み済み。だから過剰と言えるこの関わりを続ける事ができる。
何度も何度も、深く頭を下げていると、川尾は苛立った素振りは隠さない。
同時に「じゃあ、新しいことが分かったら必ず来いよ」と怒鳴りつけた。その挙げ句、椅子を蹴り飛ばさん勢いで退席してしまう。
そんな横暴な態度をすれば、本来二度と面会することなど許されないが、今回は特例の面談である。
ここで起きたことは他言無用。その大前提が、川尾の怒号を暗がりに落とし込む。
突如として静まり返った状況。そんな気まずい沈黙を裂いたのは、西村の呆れたような声だった。
「やってくれましたね。あれだけの事を言って、何も分かりませんでしたじゃ、済まされませんからね?」
西村の嘲笑は明らかに澤木へ向けられていた。
にも関わらず、澤木はと言うとけろりとしており、「そりゃこっちのセリフだ」と切り返す。
澤木は、自分が先走って打った手の意味を理解していない西村へ、あえて「それじゃあ、川尾のスマホデータをよろしく頼む」と大きく出る。
当然これに対して西村は表情を歪ませ、澤木に凄むように顔を近づけた。
「あまり調子に乗らないでくださいね。確かに貴方は昔、優秀な刑事でしたが、今は吹けば飛ぶ三下も三下。いつまでも顎で使えると思うなよ」
「まだ理解してねぇのか? テメェが我が身可愛さに俺たちを幽霊状態で川尾と対面させた時点で、俺たちとお前は一蓮托生だ。警察にいるならよく知ってんだろう? 情報が漏れ出ることが、一瞬で戦況をひっくり返されることをな」
「なんだと?」
「既に俺は川尾へふっかけた。当然だがアイツはいろんなところで、ここであったことを言いふらすかもしれねぇな。自分はおかしくない、あの家に行ってからおかしくなったって繰り返す。よほどのバカじゃなきゃ、勘が働いてすぐに分かるだろう。この事件が”そういうヤマ”だってな。だが、経験の浅い三下なら、その手の事件にも食いつくかもな。俺の眼の前の大間抜け野郎もそのクチだ」
「貴様!」
「先輩からの忠告だ。警察は川尾の件は当たり障りのない調子で処理するだろう。そうなりゃお前がしたのは、無駄に情報漏洩のリスクを高めただけ。そんなの、プライドが許せねぇだろう? お坊ちゃんよ」
澤木の言葉に西村はその胸ぐらを掴みかかる。怒り任せの態度に対して、澤木は冷静に告げた。
「ただの駄賃で終わりたくなきゃ、とっととあの男のスマホのデータを渡せ。テメェも刑事の端くれなら、どう選択するか、理解できるはずだ。これ以上、色は付けねぇぞ?」
澤木は力強くそう言葉を投げつける。
ほんの僅かな時間、ふたりは睨み合いを続けるが、しばらくすると西村は、澤木の胸ぐらを手放す。
同時に自らの襟元を正して、冷たい眼差しは変えることなく「そっちの出版社へ送る」とだけ続けてその場から退席してしまう。
扉に手をかけた西村は、横目で澤木のことを睨みつけ、「駄賃で終わったらどうなるか、覚えておいてくださいよ」と忠告を添えて扉を叩きつけるように閉める。
澤木はそれを意気揚々と見送り、溝口へ「一旦戻るぞ」と促し、笠木市警を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます