第32話 白き修道院、神の画角


 ーー翌日からは本格的な視察が始まった。

 視察と一言に言ってもやることは多岐に渡る。施設状況の把握、金の流れ、戦力の過不足、周辺の魔獣や野盗などの脅威の度合い。ミガル騎士団が街に与える影響など、それぞれが忙しく街を見回ることになった。出発前にエイラスが言っていた、バカンス、という言葉は忙殺され、汗とともに消えていった。


**

 ミガルの街から魔動車で二時間。山間にある修道院にガヨら一行は向かっていた。蒸し暑い空気も青々しい緑の影に来れば大分涼しくなる。

 左右に揺れる車の中でエンバーは目を瞑っていた。定期的に体が振られるが、加速や減速の境が分からないくらいのスムーズな運転だった。


 窓を開ける音がする。風が顔面に吹き付け、土と水、動物のにおいが鼻をくすぐる。

「ジブ、髪が乱れるんですが」

 隣に座るエイラスの声が聞こえた。少し苛立ちを含んだその声に、ジブが笑いながら返す。

「車に乗ったら窓を開けるだろ。髪が気になるなら坊主にすりゃいいじゃねぇか」

 ジブの声が外にも流れていく。窓から顔を出しているのだろう、そよぐ風が不規則になった。

「うるさいぞ」

 運転席からトニーが声を出す。ミガルに着く前、ずいぶん慣れた運転だとガヨに褒められたトニーは、地方修道院の奉仕活動には魔動車が必須で司祭を乗せてよく送迎をしていたのだと言っていた。

「それにしても、修道院の視察ね」

 カタファの声は分かりやすい。少し高く掠れている。彼は髪をかき上げ、バンダナの飾りが揺れた。彼の指先からは先ほどまで食べていた菓子の甘い匂いがする。

「国の息がかかった騎士団が来るのは、修道院が嫌がるんじゃないか」

 首都第三でエイラスに王国史を習っていた際、大陸の各勢力は休戦状態なのだと教わった。自分がいるヒューラ王国、隣接するアステス王国、ノルウワ諸国、そして修道院。休戦状態は八十年と長く、実質終戦を迎えているようなものだが、高度な政治社会では、再戦を盾にいろいろな交渉が行われているーーと。


 エンバーにとっては遠い世界の話だ。

 彼の人生のほとんどは文字通り闇の中にあった。『神秘の力を持て』。その言葉が彼の人生のすべてを奪っていった。生死の境を一人で歩いてきたエンバーにとって情勢など興味がなかった。今、エンバーが望むのは、光に包まれた世界の先にあったトニーの緑色の瞳に映ることだった。

 エンバーは拳を強く握りしめ唇を強く噛む。爪は白くなり口の中には血の匂いが広がった。

 今も神秘を求める衝動は続いている。自らの意思で抑え込むことができるようになったとはいえ、これが再燃してしまうとも限らない。そうなった時、自分はトニーの瞳に映る資格があるのだろうか。

 額に当たる森の風が頭の中の邪念を流してくれた気がする。エンバーは腕の力を緩めた。


「修道院の訪問はミガル司祭の要望だ。訪問要請はあったが、視察の兼ね合いで引き延ばしていた」

 助手席から聞こえてくるガヨの声は凛とした真のある声だ。タブレットに爪が当たる小さな音とともにカタファの質問に回答する。

「俺たち全員が呼ばれてたのか?」

 ジブの質問は、やはり開けた窓から車外にも漏れていった。

「いや……。呼ばれたのはトニーとエンバーだ」

 トニー以外の目線が集まるのがエンバーには分かった。エンバーが目を閉じているのを知っているからか、皆、無遠慮に視線を向ける。

「エンバーの力は異常すぎる。それが神秘ではないかと」

 ガヨの声にカタファが反応した。

「そう言われれば、そうなのかもしれないけど……」

 含みを持ったカタファの声に、ガヨの声が被さる。

「神秘の有無を確定する方法はない。だが、修道院で認められれば神秘と推定される。ミガル修道院は神秘を認定したいんだろう。ドルススタッドの生まれの地だからな」

 魔動車が、がたんと揺れた。大きめの石でも踏んだのだろうとエンバーは思った。会話が途切れ、トランクに入れた荷物が衝撃で大きくずれ、カタカタ鳴る音が車内に響く。

「であれば、エンバーは十中八九、神秘保持者と認定されるでしょうね。でも、本来遺伝性の強い神秘がほぼ同時期に市民に二人に顕現したとなると……。これは史実に残る出来事になりますね。これは神の思し召しか……」

 真横にいるエイラスの声が次第に傾いていく。俯きながら話しているのだろう。細い髪が揺れる様子が想像できた。

「思し召しなんて崇高なものじゃない。単なる神の気まぐれだ」

 トニーの落ち着いた声がエイラスを遮る。

「どんな力を、いつ、だれに与えるか。その神秘が人間にふさわしいかなんて神は考えない。きまぐれに与えただけだ」

 ぐっと車が左に曲がった。重心がぶれ、隣にいるエイラスが振られてわずかにぶつかった。舗装された道から砂利道に入り、車輪が石を潰す音がする。小刻みな振動が伝わり、ゆっくりと速度が落ちる。

 ゆっくりと魔動車が止まり、トニーがハンドルを軽く叩いた。

「着いたぞ」

 エンバーは目を開けた。生い茂る木の中、無機質で白すぎる建物が、じっとこちらを見下ろしていた。

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