選択肢【ガヨ】歩く規則、揺らぐ鼓動〈祝勝会後〉

「トニー」

 浮かれた肩を誰かが叩いた。そこに立っていたのは、ガヨだった。


 ガヨの言葉は続かない。叩いた肩に手を置いたまま、目一杯、眉間にしわを寄せて立っている。

「おい。ガヨ……飲み過ぎじゃないのか? 」

 彼の体はふらふらとしており、肩に置かれた手には不規則に力が加わる。頼るものがないと安定して立つこともできない様子だった。

 トニーが手を貸そうとすると、ガヨの背後、食堂から恰幅の良い団員が出てきた。ガヨの姿を認めると小走り気味にこちらへ向かってくる。絨毯を踏むブーツの足音が近づくと、ガヨは手を離してしっかりと直立してみせた。

「ガヨさん! 今日は本当ぉ、すごかったぁです。今度、剣技の稽古をお願いしまぁす!」

 酔いが回っているのか、必要のない大声で敬礼を取りながら団員はガヨの前に立つ。ガヨは腕を組んで体のふらつきを隠した。

「いいだろう。明後日の夕方なら空いている」

 酒のせいで声は掠れていたが、ガヨは淀みなく答えた。団員はトニーにも向き直り、「アンタもすごかったな」と声をかけて肩をバシバシと叩く。太い腕に見合った力の強さだった。

「アンタみたいなのがいれば、俺たち前衛も安心だ!」

 無駄に大きな声が廊下に響く中、トニーには団員の肩越しに立つガヨがふらつくのが見えていた。

 ーー早く部屋に帰ったほうが良さそうだ。

 トニーは目の前の腕の太い男に補助を頼もうとしたが、止めた。少し考えてから、彼を体よく追い出す返事をした。

「俺みたいな魔法職は、前衛部隊が戦線を守ってくれるから安心して戦える。……これからも頼む」

 その言葉に彼は満足気に笑った。そして振り返ってガヨに挨拶をし、大きく太い足を陽気に振り上げながら廊下の奥へと向かう。その後ろ姿をトニーが見送っていると、背後でゴッと鈍い音がした。

 振り返ると、ガヨが壁に背を預けている。

「ガヨ?」

 彼は返事をしない。濃紺の髪がだんだんと俯いて、背中がずりずりと壁を滑る。

「おい、ここで寝るな。……部屋まで送る」

 トニーは腕を回してガヨを脇から支えた。ーー重い。力が抜けた体を、本人より小さなトニーが支えきるのは難しかった。

「お前も掴まれ、ほら」

 何とか体全体で支えながら、トニーはガヨの腕を引いて自身の腰を掴ませた。かなりの密着度だが、この際何も言うまい。

「……」

 ガヨの手がしっかりとトニーの腰を掴んだ。やたら熱っぽく、湿って暖かい手だった。



 大きく揺れる振動で、ガヨの意識は揺り起こされた。目を開けると、トニーがベッドと執務スペースを区切るパテーションから出て行くのが見えた。

 食堂を出た辺りからの記憶があやふやだったが、先ほどの振動からして、トニーに自室のベッドに放り投げられたのだとガヨは思い至った。

「大丈夫か?」

 パテーションからトニーがひょっこりと顔を覗かせた。手には水入りのボトルが二本握られている。

「……ここまで、運んだのか。迷惑かけた」

 挿し伸ばされたトニーの手を取り、ガヨは起き上がってベッドに腰かけた。トニーは開封したボトルをガヨに渡した。

「確かに大変だった。もう汗だくだ」

 トニーはもう一本のボトルを開けた。喉を鳴らしながらぐいぐいと飲み続ける。口を離したときには水はボトルの半分くらいになっていた。

「ガヨのために持っていきたんだぞ。飲めよ」

 トニーは額を拭いながら、ガヨに水を飲むように促す。言葉通りにガヨが水を飲んだことを確認すると、トニーは立ち上がった。

「明日、具合が悪かったら言ってくれ。治療してやる」

 ガヨは礼を言おうとしたが、喉が掠れて声が出なかった。その間にもトニーの背中が去っていく。

 呼び止めようと腕を伸ばすと、ふと、ある日のことを思い出した。

 ーー自室でトニーに「すべて忘れろ」と言った日。

 言葉を放ったガヨの思いや理由も聞かないで、「分かった」と言ったトニーのーー物言わぬ後ろ姿に伸ばした手。その手が宙を掻いた時の無力感が、瞬間的にガヨの心を覆った。


 ガヨは思わず立ち上がり、素早くトニーの腕を掴んだ。

「えっ……?」

 急に引っ張られたトニーは体勢を崩した。体を反転させてバランスを取ろうとしたものの、突き出した手は運悪くガヨの肩を押した。


 二人の体が傾きーーぼふっとベッドが綿埃を吐いた。

「……」

 驚いたトニーの顔が、文字通り眼前まで近づいた。ガヨは、腕を引っ張った張本人であるのに、自身の衝動的な動きに戸惑い、固まってしまった。

 カタカタと小さく窓が揺れる。小さく、断続的に。

 その時、パタンと扉が閉まる音がした。隣の部屋の住人が返ってきたようだ。ガヨが音の方向に目線を流す。

「は、はは。ガヨ、驚いた、な。悪い……」

 乾いた声がした。トニーの表情には気まずさと恥ずかしさがにじんでいる。その頃になってやっと、ガヨはーートニーがガヨを押し倒した形になっていると気づいた。覆いかぶさった状態のトニーは体を起こそうとする。


「待て!」

 身を引こうとするトニーの腰にガヨが縋った。じゃれつくような甘いものではない。悲痛な声だった。

「ガヨ?」

 理性的ではないガヨの行動にトニーはたじろいだ。彼が知っているガヨは、必要でもない限り身体的接触はしない。ガヨの潤んだ目が酒によるものなのか、感情の高まりによるものなのかトニーには判断できなかった。


「……俺は道具じゃない」

 ガヨの絞り出すようなか細い声を聞き、トニーは動きを止めた。

「お前にはルガー団長の言う通り、道具であれと言った。だが、騎士団は……騎士は自らの意思で国や民を守るべきだ。道具であってはならない」

 想いの込もった目で見つめられるとトニーは動けなかった。

 彼は酒を飲んで感傷的になっている。心情を吐露したい。ガヨの目的はそれだけだとトニーは思った。

 過去、トニーは修道院で多くの懺悔や告白を聞いてきた。彼らは意見を求めているのではないーー気持ちを包む柔らかい壁を得たいのだ。

 ガヨの茶褐色の瞳は揺れている。そこには自信のなさと、何かを求める焦燥が入り混じっている。

「そうだな」

 トニーは角の取れた声で返す。

「ガヨが言っていること、分かる。ガヨにはガヨの信念があるんだよな」

 否定はしない。本人の気持ちを尊攘するーー懺悔を聞く側の鉄則だ。そこに意見を混ぜてはいけない。彼らは”柔らかい壁”に語り掛けているだけなのだから。

 しかし向き合ったガヨの顔には焦りが、悲しみが、怒りが浮き上がっている。腰を引き寄せる腕に力をが更に加わった。密着した体が熱い。

「ガヨ。大丈夫だから。お前の気持ちは分か……」

「お前は何故、何も言わない」

 柔らかく話すトニーに帰ってきたのは、ガヨの鋭い声だった。

「お前は悔しくないのか。言われっぱなしで、振り回されて。……俺にも立場上、言い返せないだけで、思うところがあるだろう」

 感情の高まりが声に乗ってトニーを責めた。服越しで伝わるほど、手が震えている。眉を寄せて思いの限り、目の前のトニーを睨みつけている。


 ーーお前らは道具だ。そこに疑問や意思を持つな。

 トニーはいつかルガーが放った言葉を思い出した。そして、しれをトニーに改めて告げた、ガヨの苦しそうな表情も。


「ガヨ」

 トニーはガヨの腕を撫でた。片腕で体を支える形になったが、ガヨに密着しているので体勢を崩すことはなかった。

「俺自身は道具でもいいと思ってる」

「どうして……!」

「俺は選ぶことに疲れてる」

 淡々とトニーは言葉を紡いだ。

「誰をどこまで癒やし、助けるのか。一人で助けられる数なんて知れているのに、皆、本気で……助けて欲しいと叫ぶ」

 ガヨは目を見開いた。諦めのような、嘲笑のようなーー曖昧に緩んだトニーの表情は複雑だった。

「それに。元はルガーの言葉だが……ガヨが咀嚼し出した指示なら、俺は従っていいと思った。だから何も言わずに賛同した」

 ガヨの潤んだ瞳が揺れた。

「ガヨ。俺はお前の判断を信じる。嫌なときは、はっきり言う。だから気にしなくていい」


 だんだんと視界が歪んできた。目の周りが熱い。

 ガヨはトニーを抱き寄せた。

「うわ」

 小さなトニーの声が聞こえたが、ガヨは変わらず腕の中の体温に縋った。涙が溢れそうになっているのを見られたくなかった。それでも肩が震えてしまって、トニーが息をのむのが分かった。

「……大丈夫、大丈夫」

 抑揚の少ないトニーの声は、ガヨにとっては救いだった。彼の放った「信じる」という言葉は何よりも嬉しかった。

 ガヨはそのままトニーを抱きしめた。その暖かな抱擁を、手放したくなかった。


 どれくらい経っただろうか。時間にすれば数分だろうが。ガヨにとっては満ち足りた時間だった。

 暖かくて心地よく、幸せだった。トニーの心臓の音が聞こえて、少し甘い匂いがした気がした。

 ガヨは鼻を啜った。涙は出ていないーーぎりぎり。

「すまない。感情的になって……」

「誰だってそういう時はある。気にするな」

 トニーが静かに腕を立てて上体を反らした。腰を引いて起き上がろうとするがーー。

「……!?」

 その途中で困惑の表情をして固まった。

「どうした?」

「あっ、いや。その……」

 だが口ごもってなかなか用件を言わない。瞳を泳がせ、もじもじとしている。

「ガヨ、あの……」

 歯切れの悪い言葉に、ガヨは首をかしげた。トニーの目線が下に向かう。

「お前……勃ってる」

「は?」

 ガヨは意識を集中させた。

 そしてーー体はトニーの言葉通りになっていた。

「いや! 変な意味はない!」

 ガヨは叫んで、不躾にも思い切りトニーの体を突き飛ばした。トニーは反動で起き上がれたが、ガヨに押された胸を撫でていた。

「わ、分かってる。そうだよな。変な意味はないよな……落ち着け。俺は帰るから」

 トニーは苦笑いしながら、パテーションから出ていった。ガヨは手を伸ばしたが、今度は引き止めることはしなかった。というか、あんな姿を見られた以上、もうどうしていいかわからなかった。

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