第19話 戦い、その信念ーー偏見と恐怖をその刃で切り裂いて
中庭に面した本省の二階から団員の歓声が上がる。
中庭の中央に立つのはガヨとトニーだけだった。
「俺たちが勝つ」
クマを作りながらもガヨの目は爛々と輝いている。対してトニーはいつも通りの落ち着いた顔で、求められた握手を返すだけだった。
ジブはその様子を中庭の飾柱の背後から覗いている。
模擬ではあるがあくまで、戦闘。
それぞれのチームが作戦を組んだ上でここに臨んでいる。
手に馴染んだ槍をジブはぐっと握り込んだ。
上空に閃光と乾いた破裂音が響いた。
戦いの合図だ。
合図を聞き飛び退いたガヨに、トニーが鋭く詰め寄った。白いブーツがガヨの足を踏み、掌底で柄頭を上から押さえ込む。
剣を抜けなくなったガヨは、苛立った表情を見せながら片手でトニーの胸倉を掴んで押し剥がし、空いた隙間に強烈な頭突きを食らわせる。
がつりという音とともにトニーはよろめいた。鼻血を出し、唇が大きく切れている。しかしトニーは後退しなかった。トニーの瞳が仄明るく光ったかと思うとたちまち傷は治り、追い縋るように距離を詰める。
ガヨの眉が大きく歪んだ。
ーーだめだな。
ジブは槍を握り締めた。
与えた傷が即時に治り、何事もなかったように向かってくる。その不気味さと効果の見えない攻撃に募る徒労感が、じわじわと相手の戦意を削いでいく。豊富な魔力量と治癒の技術に裏打ちされたトニーの戦法の一つだったが、敵に回るとやっかいだ。
「おらっ!」
ジブはわざと声を張り上げながら柱から飛び出した。注目を集めるためだ。
二人に向かって長柄を振り回す。ガヨは涼しい顔で避けたが、矛先はトニーの耳を掠めた。ジブは捻った体はそのままに、槍の長柄を押し込むようにして次の一手を繰り出す。槍の石突がトニーの頭に向かう――が、ジブの攻撃を受け止めたのは中庭の土だった。
ゆらりと動く大きな影。それがジブを飛び越えていった。
振り向くとーートニーを片手で抱えたエンバーが立っていた。
横から、すらりと白銀の刃が伸びた。ガヨの剣だ。刃には細かな傷が走っているが、そのすべてに均一に薄く油が塗られ、鋭く光を放っている。
「速いな」
さっと二歩前に出て、エンバーに背を向ける形になっているジブの前に立った。
間合いはガヨが有利だ。邪魔にならぬよう、ジブは体を翻して槍を構え直した。
エンバーは剣の切っ先を見つめたまま黙っている。その腕に装着されたガントレットが動く様子はない。
互いに見合い、相手の動きを待っている。
じりじりと太陽の光がジブの背中を焼く。
ーー暑い。じっと佇んでいるだけなのに、緊張と夏間近の日差しは、槍を握る手にじわりと汗がにじむ。
「エンバー。引っ張られた時に服が破れたんだが……」
小脇に抱えられたトニーの場違いな抗議をした。だが、それは突然沸いた歓声に流され、誰の耳にも届かなかった。
地面が揺れるような歓声は観戦する団員たちの熱が籠もっている。彼らは明らかに興奮していた。
何かが違う。
ジブは観衆の視線を追った。彼らの目線はーーエンバーの後ろに注がれている。
「そこだ! やっちまえ!」
一際大きな野次の直後、エンバーの影から白金の髪が見えた。
咄嗟にガヨの肩を引き倒しつつ屈む。同時に彼らの頭上を鋭い矛が通った。空を切る鋭い音はしなった鞭のようだった。
「やっぱり当たりませんでしたか。野次馬の存在も計画に入れとくべきでしたね。」
エイラスの声がした。細く繊細な槍を携え、舞うように大きく足を前に出した。エンバーの半歩前、攻撃にもフォローにも回れる立ち位置だ。
「っは、槍使いのくせに奇襲なんてダセェな」
ジブも槍を振り上げて構え直す。吊り上げた目はエイラスに注がれていた。
「そうですか? 勝てば官軍ですよ」
その様子をエイラスが鼻で笑う。
わっと団員たちの声が中庭に響いた。熱狂に近い声援が飛び交い、中心にいる″五人″の声すらかき消されてしまう。
『でも、奇襲としては甘いよなぁ?』
しかし、ジブの耳にはカタファの声がはっきりと聞こえた。彼の声には通信石の独特なノイズが混ざっている。
不意にジブの頬を冷たい風が撫でた。冷気はすぐさま汗をかいた首や背を覆う。身震いしたジブが見上げると、パキンと音を立て空中に氷柱が現れた。
『避けろよ』
ジブの耳元でカタファの声が再びしたのと、トニーが叫んだのは同時だった。
「エンバー!」
それを皮切りに、エンバーがトニーを下ろし、今度はエイラスを抱えて大きく後ろに飛び退いた。ガヨ、ジブも間一髪で躱す。踏み固められた地面に突き刺さる氷柱は、避けきれなかったトニーの右腕を引き裂く。真っ赤な血がびしゃりと地面を濡らし、トニーの顔は大きく歪むーーが
、やはり傷は瞬く間に治っていく。
「やりすぎだろ!」
ジブの責める声にガヨが反論した。
「エンバーなら二人抱えて逃げられた。トニーは隠れ蓑だ。わざと一人で残って視線を集めさせた」
ーーあぁ、そうだろうな! だからムカつくんだよ!
癒せるとはいえトニーが顔に痛みを浮かべること、見え見えの罠として中庭に立たされていること、そしてそれがエイラスの作戦であることに腹が立って仕方がなかった。
だが口論する暇はない。今は戦いの最中なのだから。
ジブは中庭全体を見渡してエイラスとエンバーを探した。高身長の彼らだが全く見つからない。
『作戦立案はエイラスだろうな。意地が悪いっつーか、個人の能力に依存しすぎで……』
カタファの呆れたような声が途切れた。傷を治しきったトニーがガヨたちに向かってくるのが見えたようだ。伸ばした両の手のひらを向ける動作は攻撃魔法の基本的な動作だ。
戦況はエイラス側に傾いている。
ガヨ、ジブにとってトニーをこの場で取り押さえるのは簡単だが、残った一人と遠距離にいるカタファでエイラスとエンバーを相手するのは現実的ではない。もしくは隠れているカタファを見つけ出されて戦闘不能にされてしまうのもまずい。
攻撃、回復の両方を担えるカタファを潰されてはジリ貧だ。
心の中で舌打ちしたジブだったが、前にいるガヨには焦りが見えない。むしろ剣を構える姿からは興奮に似た熱が窺えた。
「カタファ、俺たちを濡らさないように周囲にだけ雨を降らせろ」
小声で聞こえてきたガヨの指示は意味不明だった。ジブは大きく眉を顰める。
「できるな?」
返事をしないカタファをガヨは煽った。その間にもトニーの攻撃魔法の準備がいまにも完了しそうになっている。
『……高度な魔法だぞ。時間稼いでくれよな』
「問題ない。できるだけ緻密に、正確に。でも範囲は広くやれ」
『もう、注文が多いなぁ……ったく。カタファさんにお任せあれ、だ!』
ザザッと乱暴に通信が切れた。ノイズが耳を刺したが、ジブは顔のすぐ横を通った細かい光の矢を避けるのに集中せざるを得なかった。
歩み寄るトニーの手から次々と光の矢が飛んでくる。一般的で非常に基本的な攻撃魔法だが、当たればもちろん怪我を負う。カタファに頼れない今は、怪我を負うのは悪手でしかない。
ガヨとジブはそれらを避けながら時間を稼いだ。
エイラスたちは影を潜めていた。明確な隙を狙わなければならない。彼らにとってもガヨ、ジブに真正面からぶつかりにいくのは得策ではない。
地面に影が落ちる。薄く小さい影は、回るように立ち位置を変えるジブたちも気付かないほどだった。だがーー次の瞬間、わっと暗雲が中庭を覆った。じわりと湿った匂いがする。
「集中して音を聴け」
ガヨの小さな声の直後、ザァッと土砂降りの雨が降り注いだ。トニーは驚きで反射的に顔を上げたところだったので、思い切り水を被ってしまっていた。
ガヨの言いつけ通りに顔を伏せたジブは砂埃の匂いを感じながら、耳をそばだてていた。
轟々と地面を叩きつける雨粒。風のない人工的な雨は規則的な音を奏でる。ただ、その中に雨粒を遮る存在がある。その存在の一つはトニーだ。そしてもう一つは、おそらく――。
「あれ? ……濡れてませんね。隙ができると思ったのに」
やや間延びした声の直後、前にいたガヨがもぞりと動いたのが分かった。いや、もぞりと動いたというのは正確ではない、最小限の動きで剣先を上げたという方が正しい。
ひゅっと雨粒を切ったガヨの剣が、エイラスの細くしなる槍と交わった。金属のぶつかる甲高い音をきかけに雨が止み、曇天から夏の日差しが戻ってくる。
「はは。ガヨ、顔が変わってますよ」
「うるさい」
これにはジブもエイラスに同意した。攻撃を繰り出すガヨの顔は普段とは打って変わって好戦的だ。剣戟を続けるガヨたちの後ろで、白い制服の袖が動いた。トニーが顔の水を払い髪をかき上げている。ジブの目はーーじっと茶色い髪から滴る水滴を見てしまっていた。
ーー隙と油断。
煌めく目はそれを見逃すはずがなかった。
「ジブ! 八時の方向!」
カタファの声にハッとジブが槍を握り直した。だが、振り返ろうにも長柄は石になったかのようにピタリと動かず、押しも引きもできない。
「よそ見とは。感心しない」
頭上から静かな声が降ってきた。影が、ジブの赤毛を撫でるように伸びる。
視線を向ければエンバーが片手で長柄を押さえていた。
見下ろす黄金の目に睨まれ、ジブは動けなくなってしまった。怯んだというよりは、脳が死を直感して停止してしまった。
「そのまま動くなよ、ジブ!」
中庭を臨む宿舎の二階。外廊下の壁手すりから、カタファが身を乗り出した。
カタファの指先はエンバーに向けられた。その刹那、電流が閃光の如く放たれる。音が彼らの耳に届く前に、エンバーの髪が後ろに傾いた。同時に、耳をつんざく雷鳴がジブとエンバーの間を走った。
黄金の瞳が二階にいるカタファを捉える。
「借りるぞ」
突然、ジブの手から槍がずっぽ抜けた。
「は?」
槍を奪われたとジブが気づいた頃には、エンバーの肩は大きく外側に開き、腕を後方へ最大限にしならせていた。大きく開いた足が中庭の砂利を押し潰す。
ーー投擲!
その場にいた誰もが、その槍の行き先を見守った。エンバーが力任せに槍を投げると、空気が圧縮されたような爆発的な音が鳴り響いた。
「……っ!」
血の気の引いたカタファの顔が壁手すりの下に引っ込む。石壁を打ち割る音とともに、カタファの頭のあった場所には深々と槍が刺さっていた。矛先のみならず槍の三分の一は壁に埋まってしまっており、壁に走ったひび割れは衝撃の強さを物語っている。
「殺す気かぁ!」
手すりの奥からカタファの怒号が聞こえた。
ーー助かったことは確かなようだ。
それは何よりだとジブは両手を上げながら戦闘開始時にいた飾柱のもとに歩いていく。武器は奪われ、壁に深々と埋まってしまっている。もう戦うことはできない。降参の意思表示だった。おそらくカタファも降参するだろう。戦意は削がれただろうし、模擬戦レベルであれば、あの攻撃は死亡判定になる。
チームの二人が抜け、観衆の目線は中庭中央で戦い続けているガヨに向けられた。
「一人になっちゃいましたね、ガヨ」
エイラスの槍の鋭い切っ先をガヨは剣で受け止めた。わずかに微笑むエイラスだが攻撃は素早く、隙がない。彼の長い手足の延長のように、細い槍をしならせ自由自在に振るう。体躯を活かした力強いジブの槍さばきとは対照的だ。
「ゼロになったわけじゃない」
剣の刃先がきらりと光り、エイラスの腕を切り裂いた。服ごと切られた左腕から血が滴る。
「さすがガヨですね。でも……」
切り傷が仄明るく発光し治っていく。エイラスの影からトニーが現れた。
ーートニーの存在はやっかいだが……。
ガヨは大きく踏み込み、エイラスの喉元に剣を伸ばした。切っ先が顎をかすめ、エイラスは飛び退いて大きく後退する。続けて足を踏み出したガヨに対し、トニーが目の前に立ちはだかった。
その瞬間をガヨは狙っていた。
攻撃魔法を繰り出そうと伸ばしたトニーの腕を掴んで引き寄せ、空いた腹に思い切り前蹴りを喰らわせる。
「ぐっ……!」
呻いたトニーの体はすぐ後ろにいるエイラスに迫った。矛を向けていたエイラスは慌てて穂先の方向を変えるーートニーの体に刺さってしまうからだ。結果、エイラスは槍を胸の前に構え直すやいなや飛んできたトニーの体に巻き込まれる形でバランスを崩して転倒した。
エイラスが起き上がろうとする頃にはもう遅かった。トニーの背中に足を乗せたガヨの剣の切っ先が、エイラスの眼前に置かれていた。
「魔法職を前線に立たせるのは搦手が過ぎたな、エイラス」
そういうとガヨは剣を下す。一呼吸おいてからエイラスとトニーは揃って両手を上げた。
わぁっと歓声が上がった。
色めき立つ団員がそれぞれに声を上げ、ガヨの名を呼んでいる。
その盛り上がりを余所に、ガヨの小言が続く。
「トニー。お前はもっと鍛えろ。体幹が……」
言い終わる前に、ガヨはその場を飛び退いた。ふっと視界が暗くなりーー大きな影が迫っているのを察知したからだ。
地面を叩き割る轟音。巻き上がった砂埃が収まると、エンバーが立ち上がった。
中庭を包んでいた歓声が止んだ。静寂に包まれる。
ガヨは柄を握り直した。一振りでも食らったら終わりだ。エンバーの力は人間が受けきれるそれではない。
「なぁ、あいつやっぱり……」
団員たちの呟きがガヨの耳に届く。驚き、恐怖、嫌悪ーー渦巻く感情が中庭の中央にいるガヨにすら伝播する。
ガヨは心の中で舌打ちをした。よろしくない。こういった感情を払拭させるための模擬戦なのに、エンバーの規格外の力は尊敬を通り越し、人々に脅威として拒絶され始めている。
剣の切っ先がわずかに下がった。その隙を見逃すことなく、エンバーが体をひねって拳を振り上げる。
ガントレットがギラリと光を反射し、本能が竦んだ。今にも下ろされようとする拳の存在感がすさまじく、実際よりも巨大に見え、拳を喰らった自分の顔がぐちゃぐちゃになる映像が脳裏に浮かんだ。
「……くっ!」
ガヨは恐怖を打ち消すように、咄嗟に踏ん張って切り込んだ。だが太刀筋は非常に甘かった。すらりと避けたエンバーには、刃先を目で追う余裕すらある。最低限の動きで刃を避け、また拳を固め腕を引き始める。
黄金の瞳と目が合った。その目は真正面からガヨを見据えている。真剣な眼差しからは戦闘相手ーーガヨに対する尊敬すら感じられた。
ーーそうだ。エンバーは、力は強いが乱暴ではない。無口だが考えなしでもない。
それを証明できるのは、今、俺しかいない。
”力を見せつけて黙らせる”。
エンバーを騎士として正々堂々と戦わせ、勝たせる。そのためには対峙するガヨがエンバーを恐れてはならない。ガヨが恐怖すれば、エンバーは恐怖を与えた加害者になってしまう。
ガヨは柄を握り直す。大きく呼吸して乱れた息を直した。
外野は何か言ってるかもしれないが、もう気にならない。
ーーやるべきことをやり抜く。それだけだ。
一閃。
ガヨは渾身の力を込めて剣を突いた。正直、エンバーの反応速度の上を行くとは思えない。躱されるのが関の山だろうが、それでも良かった。本能的な恐怖に打ち勝ち、誰かのために剣を振るえた誇りを得たことこそがガヨの勝利だったからだ。
「……!」
だが結果からいえば、エンバーは剣を躱すことはなかった。
ガヨの剣はガントレットの先端を突いた。衝撃で亀裂の入ったガントレットがぼろぼろと崩れて地面に落ち、エンバーが腕を下した。
その瞬間、割れんばかりの歓声が中庭を包む。
ガヨの勝利を喜ぶ者、健闘を賛美する者、力量を評価する者。それぞれが模擬戦の結果を噛み締めている。
指笛や拍手、沸き立った興奮と歓喜に満たされた中庭で、ガヨはエンバーに尋ねた。
「どうして剣を躱さなかった? お前なら容易くできたはずだ」
眉を寄せたガヨだったが、エンバーは他意はないと首を左右に振った。
「お前の気迫に負けた。剣から戦う理由の強さが伝わってきたから、避けたくなかった。それにこれは何か意図した戦いだったのだろう? 拳だけ勝っても意味がない」
まっすぐな瞳がガヨをじっと見つめる。エンバーの口角が微かに上がった。
ふいに甲高い指笛の音がした。
歓喜が止む。群衆が音の方向を見ては姿勢を正し、敬礼の姿勢をとる。
「さすがだな」
現れたのはルガーだった。波を割る神話のように団員達が道を開ける中、悠々とガヨに近づいて来る。
「素晴らしい戦いだった。……お前らもそう思うだろう!」
振り返り囃し立てるルガーに、団員が大声で同調した。
「今日は宴会にしよう。我らがガヨ分隊長に!」
雄々しく張りのある声が響く。宴会に浮かれる観衆の中で、ガヨは隣に立つエンバーが、意識が抜けたようにぼんやりと佇んでいることに気づいた。
模擬戦で見せた強い意志は感じられない。ただただ命令を待つ人形のように佇み、くすんだ目で遠くを見つめていた。
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