第14話 苦労人の他人紹介とそれぞれのクセ。

 ーーこれまで多数の困難が立ちふさがり、冷たい雨が打ち付けた。しかし、勇気の神秘はドルススタッドを奮い立たせた。人々を救いたいという光なる気持ちは彼の心を照らし、重い鎧を羽のように軽やかにした。

 そして、幾重もの戦いを終えた今ーーついに剣を下ろす時が来た。

 雪が解け、柔らかくなった土から新たな命が芽吹くことを喜ぶ日が永遠に続くようにと、ドルススタッドは切に願い、その鐘を鳴らした。その瞬間、彼は英雄になったのだ。彼が鳴らした鐘は英雄にあやかり、ドルススタッドの鐘と呼ばれるようになったのである。ーー


 『英雄ドルススタッド』は修道院で一番人気のお話だった。話の内容はもちろんだが、それを語る司教の真似をして笑い転げる同世代の子供たちの声が中庭に響いていた。

 幼いトニーはそれを遠巻きに見ていた。彼らの輪に入ろうとすると修道士に腕をひっぱられた。

「お前は奉仕活動に行かねば」

 そう告げられトニーは聖堂へと向かう。治療魔法を施して寄付を募らねばならなかった。子供たち笑い声を背中で聞きつつ、トニーは手を引く修道士に尋ねた。

「俺もドルススタッドの鐘を鳴らせば英雄になれるのかな」

 そうしたら皆と同じように遊べるのかな、と軽い気持ちだった。だが修道士はしゃがんで、トニーと視線を合わせて真剣な表情で言った。

「あの鐘を鳴らしてはいけないよ。次にあの鐘が鳴った時、それは、戦争の合図になってしまうから」



 トニーは目を覚ました。

 修道院の頃の夢を見るなんて珍しい。トニーは寝起きのぼんやりした頭で考えた。部屋の中は明るく、既に日が高く昇っているようだ。

 甲高く鋭い剣戟の音と、芯の通ったガヨの声が遠くから聞こえた。

 意識が段々とはっきりとしてくる。確か昨晩はエンバーを神秘を使って癒したはずだ。前後の予定は曖昧だが、無事に部屋で寝ているということは神秘を無事に行使できたということだろうか。

 視線を横にずらすと、ベッドサイドの椅子に腰かけて本を読んでいるカタファが目に入った。

 トニーはカタファの名を呼ぼうとしたが、掠れた音が出るだけだった。しかし、その音に気付いたカタファは顔を上げて、こちらに来てくれた。

「おお、やっと目を覚ましたか。起き上がれる?」

 カタファの心配そうな顔を申し訳なく思いつつ起き上がろうとするも体はいうことを聞かず、まだ上手く力が入れられなかった。トニーは小さく首を左右に振った。

「そっか。無理しなくていい。でも水は飲もうか。少し体に触るぞ」

 カタファはトニーの脇を抱えるようにして体を支え、クッションを差し込んで状態を起き上がらせた。机に置いていたボトルの蓋を取り、少しだけ傾け、トニーの嚥下を確認した。

「じゃあ、治療を開始しまーす」

 間延びした声を出しながら近づくカタファにトニーは微笑んだ。力の入らないぎこちない笑みだったが、カタファは全力の笑みで返した。

 カタファが手をトニーの額にかざした。彼の瞳の奥に宿る仄明るい光を見ていると、身体的なだるさはもちろん、本来なら治療魔法で補えない部分ーー心理的な不安も取り除かれるような気がした。


 治療魔法の時間は長かった。念入りな診察からこまごまとした治療まで行ったようだ。終わった瞬間のカタファの疲れ顔に、トニーはまた申し訳なさを感じたが、彼の灰色の髪はぶんぶんと左右に揺れてバンダナの宝飾がチャリチャリ鳴った。

「ごめんなさいより、ありがとうって言ってくれ。その方が俺は嬉しい」

 カタファは手のひらをずいとトニーに突きつけた。ハイタッチを期待しているのは分かるが、正直苦手なノリだった。それでもニカっと歯を見せて笑うカタファは悪い奴ではない。むしろ謝罪を続ける気まずいトニーを気遣って、空気を読めないふりをしているのだろう。

 ここで応えないのは不義理だなとトニーは思った。

「ありがとう」

 トニーは差し出された手に自身の手をそっと重ねた。勢いのないハイタッチはカタファの手のひらを撫でて離れた。爽やかに乾いた音を鳴らしてタッチするべきところなのに、力の入りきらない腕が言うことを聞かなかった。

 想像よりしっとりと触れ合ったのは恥ずかしかったが、トニーはしれっとした顔で誤魔化した。だが、カタファの顔はみるみる赤く染まっていった。宙に浮かんだままのカタファの手は小刻みに震え、指先まで血色が良くなったかと思えば、ぱっと彼は手を直した。

「いや、あの。……いつもみたいに、ああ、とか、そうか、とか言って終わると思ったから意外だった」

 カタファが唇をはむ。薄い唇がより細く薄くなった。

「やっぱり、ありがとうの方が嬉しいな」

 彼が頬を人差し指で掻くその姿にトニーも改めて恥ずかしさを感じた。二十代半ばの男が二人してもじもしとしている様は端から見れば滑稽だっただろうが、ふわふわとした雰囲気の中でトニーの心にある殻が少し割れるような気がした。


 中庭で響いていた音はもう止んでいる。その代わり内廊下に響く足音が増え、駄弁る団員や職員の声が増えてきた。それもそのはずで、時刻を見れば昼前で、食堂の開放時間が迫る頃合いだったからだ。

「……もうだいぶ良くなった。とりあえず食堂に行く」

 耳まで熱くなるのを感じながらトニーは口を開いた。カタファも、もう気を取り直したようで、いつもの人懐っこい笑顔に戻っていた。

「そうだな。とりあえず、起きたことをみんなに報告しないとな。食べられるなら食べたほうがいいし」

 そこまで言ってカタファは、あ! と大きな声を出した。

「ちゃんと着替えろよ!」

 カタファは椅子を片付け、小さく親指を立ててから部屋を出ていった。カタファが着せ替えてくれたのだろうか、気づけばトニーは寝間着姿になっている。共有スペースは部屋着での往来は禁止されている。

 トニーはいつもの修道服に着替えるかと棚を開けた。

「ん?」

 そこには見慣れたセーラー襟はなかった。代わりに真新しい騎士団の服がきちんと畳まれ、置かれていた。

 騎士団制服だ。ただし黒を基調とした通常の騎士団服ではなく、修道服のような白いデザインだった。何故、他の団員と違って白色なのかは分からなかったがーー汚れを気にしなければならない日々はまだ続くようだ。両手で制服を広げながら、トニーは困ったように笑った。


 真新しい制服を着て廊下に出ると、食堂に向かう第三騎士団の面々に出くわした。トニーの新しい制服を見ると、仲間入りだなと誰かが言ったのを皮切りに、何人かの団員はトニーを好意的に迎え入れていた。ーー遠巻きな視線の中には、傭兵上りを歓迎しないもちろん冷ややかな目もあったが、それはもう慣れたものでもあった。

「おぉ!トニー。やっと制服が支給されたのか。試用期間も終わりだな」

 入団時期の近い団員に後ろから声をかけられた。彼は正規ルートである下部団体の兵団からの編入したを果たした人物で、ジブやトニーなどの傭兵上りとは違い、入団日から制服が支給されていた。

 試用期間。確かに。

 トニーは頷いた。急に集団で生活することになる傭兵がすぐに辞めてしまってはオーダーメイドの制服も無駄になってしまうから、そのような猶予期間を設けていたのかと納得した。

「じゃ、これからもよろしくな」

 差し出された握手の手をトニーはぎこちないながらも握り返す。

「……よろしく」

入団当初であったら、きっと握手を返さなかったかもしれない。いや、そもそも握手を求められたことがなかった。それくらい”傭兵上り”は浮いていたが、今やっと彼らに馴染めた気がした。


 その後は、握手の機会が続いた。何故、皆、握手をするのか不思議に思ったがあまり深く考えないことにした。きっと彼らもあまり深く考えて握手しているわけではないだろうから。

「……どうも」

 本日何度目かの握手の際、トニーは自身の袖の内側にコーソム修道院の紋章が刺繍されていることに気づいた。その時に握手をしたそばかすの目立つ団員に聞くと、家紋や地域の紋章がそれぞれ刺繍されるのだと言う。

「出自の証明だな。これがあると俺には帰る場所があるんだって思える。意外といいもんだぞ」

 笑いながら頭を掻く彼の袖には、ヒューラ王国の西にある港町の記章が刺繍されているのが見えた。


 祝福の声を掛けてくれる複数人に囲まれ、塊になったまま食堂に向かうと、入り口にエイラスが立っているのが見えた。トニーの姿を認めると、彼はふっと笑みを湛える。内廊下の大きな窓から差し込む光がエイラスの白金の髪を照らしていた。

「こいつの制服、やっとできたんだな。同じ分隊のエイラスもこれで安心だろ?」

 一人の若い団員がエイラスに話しかけた。

「ええ。外部からの入団だったのですぐに制服をつくらない方針だったそうですが、やっと支給されましたね」

 他の団員たちも吸い寄せられるように彼の元に近づいていく。

「なんでトニーの制服は白なんだろうな?」

「戦場で目立つようにと、ルガー団長のご指示です。トニーは魔法職の中でも回復魔法に特化してますからね。分隊の枠を超えて活躍してほしいという思いじゃないでしょうか」

「ずるいっすよ、特別扱い〜。俺も白い服が似合うのに、団長に頼もうかなあ」

「頼んでみてもいいと思います。ただし、ごと袖を毟り取られて『これが唯一無二のお前の制服だ』なんて言われてしまいそうですけど」

 確かに! と大声を上げる若い団員に周りの者も、どっと笑いが起きた。

「それよりも今日のランチビュッフェには、青豆の鳥のパテとセレンの水菜がありました。人気メニューですからね。早く食べないとなくなってしまうかもしれませんね?」

 エイラスが長い指で食堂カウンターを指すと、団員たちはわいわいがやがやと足早に中に入っていった。トニーもカウンターに向かって歩き出すと、エイラスが当然のように隣に立って話しかけてきた。

「こんにちは。昨晩は……大変でしたね」

 少し眉を下げた憂うようなエイラスの声がトニーの耳に届いた。トニーは曖昧に頷きながら首筋を掻く。柔らかい指の腹が素肌に触れる感覚に少し戸惑った。

「短い襟には慣れませんか?」

 エイラスは指で自身の耳の下を軽く叩いて見せた。ひねった首にハーフアップに纏めた髪がさらりと流れる。

「修道服は耳の直下まで伸びた長いハイネックでしたから。……騎士団の制服に早く慣れるといいですね。」

 二人が食堂に入ると、遠くで見慣れた赤い髪がこちらに手を振っていた。近くには赤いバンダナと灰色の髪も見えた。



 ーーここで話はトニー達が食堂へ着く少し前にさかのぼる。

 団員の笑い声と食器のぶつかる音が響く食堂にカタファはジブと一緒にいた。

 カタファはトニーの部屋から出てから、通信のできるイヤーカフ型の魔法石でトニーの起床をルガーと医務室に伝えた。一度自身も部屋に戻ろうと歩を進めていたところで、偶然ジブに出会った。

 いや、偶然というのはおそらく違う。寄宿舎の構造と部屋の割り当てを考えると、訓練終わりのジブが来るには遠回りの場所にトニーの部屋がある。わざわざ、彼はトニーの様子をうかがいに来たのだろうとカタファには推察できた。


 ジブはトニーと同様に真新しい制服を着ていた。ジブの制服は他の団員と同じく黒を基調にしたもので、濃い赤髪とのコントラストが彼の精悍さを目立たせている。

「ジブ、制服が似合うな」

 カタファは軽くジャブを打った。だが、ジブは押し黙ったまま何も話さない。彼の背後に流れる雰囲気は最悪だったが、カタファは気付かないふりをして語り続けた。

「トニーの制服は白を基調とした修道服っぽい意匠だったぞ。まあ、あいつのことだから『洗濯が面倒だ』とか言いそうだけどな」

「……」

 ジブは相変わらず黙ったまま。その姿はトニーが言うような”弟”のような子供っぽい怒りではなく、根深い何かがあるようにカタファには思えた。

「ジブ」

 カタファは声を低くして話した。明るく話しかける意味がないからだ。

「不機嫌を周りに振り撒くな。ほかの団員にとっては何も変わらない夜を過ごし、朝になっただけ。トニーも単に体調不良ってことになってる。お前が不機嫌だとほかの団員が事情をトニーに聞きに行くぞ。それで満足か?」

 ぎろりとジブが睨んできた。相当苛立っているようだ。ゆらりと目の前に立ちはだかり凄んで言った。

「何でお前は夜だけじゃなく、朝からトニーの部屋で看病してるんだよ俺でもよかっただろ?」

 カタファは拍子抜けした。

 ーーやっぱり、ジブは子供っぽい……のかもしれない。

「……俺が同じ分隊の中で治療魔法が使えるからだろ? それ以上でもそれ以下でもない。単純な役割。ジブがトニーを大事に思ってるのは十分トニーに伝わってるって」

 そう言うと、ジブは不機嫌ながらも多少は刺々しさを納めた。そうだよな、と小さく呟いたジブの声は安堵の吐息にも聞こえた。


 ーーそれから何とか機嫌を取りなしつつ、食堂についたというのにーー。

 突然立ち上がって手を振ったジブの視線の先を見ると、確かに制服姿が浮かんで見えた。だが隣にいる人物が問題だった。

「ジブ、カタファ!」

 エイラスだ。彼の済んだ声が聞こえた。ジブのご機嫌ゲージが上限近くまで上がった瞬間、マイナスに振りきれそうになったのをカタファは肌で感じていた。


 ジブとカタファは犬猿の仲と言っていい。ジブが一方的に突っかかっているように見えるが、エイラスもわざわざ丁寧にジブの沸点を上げに行っている節がある。

 同じ年齢で同じ槍使い。タイプは違えど二人は顔つきも整っている。トニーに若干面倒がられているのも同じだ。他人から比較されたり、無意識に自ら比較したりして、互いに牽制しあっているような仲だ。


 エイラスはわざと大きな声を出したのだろう。

 ーートニーと一緒にいることをジブに示すために。

 一見柔和で誰にでも余裕たっぷりな態度のエイラスは、自身の言動で相手がどう動くかをじっくりと観察する腹黒さがあった。


 椅子にどっかりと座ったジブの顔を見やる。

 いつもなら俺がトニーを連れてくるのに! とはっきり顔に書いてある。

 カタファはため息をつきながらコップの水を飲んだ。水を飲んでもこの場の気まずさは流れないが、冷たい水が喉を通ると少し冷静になれる気がした。

 トニーとエイラスが人込みをかき分けながら近づいてくる。相変わらずジブは、嫉妬と怒りとが入り混じった鋭い眼光のままだった。

「ジブ。顔、顔!」

 カタファは両手の人差し指で口角を指し示したが、ジブは黙ったままふいと視線を逸らした。そんな顔をしてはエイラスの思う壺だと言いたかったが、それを言ったところで事態が良くなることはないかと半ば諦めた気持ちで黙っていた。


 ただ、ジブがここまで露骨に不機嫌を表すのは見たことがない。普段の彼ならすぐさまトニーに近づき、心配したと甘えた声で、”弟”としての立場を最大限利用するはずだ。

 可愛い弟分かと思ったジブは、その実、身も心も立派な男で、トニーの行動を操るところがあった。

 特に分隊の合同演習の際には、誘導して思い通りトニーを動かしては、何ともない顔で「俺もそれがいいと思ってた!」などと同調して見せるのだ。その度、編隊にガヨが頭を悩ませていることをカタファは知っていた。


 ーーどうすりゃいいんだよ。

 ジブは機嫌が最悪。エイラスはそんなジブを見てご機嫌だし、トニーのあの顔は多分、飯のことしか考えていない。

 せめて昼飯くらいは仲良く食えよとはっきり言えたらどんなに楽か。


 ガタンと椅子を引く音でカタファの思考は中断した。視界の端に茶色い髪が見える。隣に座ったトニーは、カタファの顔を見てぎょっとした。

「カタファ。顔色悪くないか?」

「はは……さっきまで寝てた奴に言われたくないっての」

 言葉を返されたトニーの瞳が一瞬、揺らいだ。口角が少し下がり唇に力が入る。だが瞬きをすると、表情が無になって視線を前に向けてしまう。

 ーーああ、何か考えて黙り込むいつもの仕草だ。カタファはフォローのために口を開こうとして、止めた。


 トニーもトニーでクセがある。

 徹底した感情の抑制は心の脆さからくる防衛反応だ。

 ーー悪い奴ではない。悪い奴ではないが……。

 表面上の冷たさを乗り越えて彼に近づくと、その危うさと自己犠牲に近い責任感に目が離せなくなる。それはある種の引力になっていて、無意識に周囲の目を引く。

 だからカタファは、トニーとは一線を置いて親しき同僚であろうと考えていた。深追いすれば目の前にいる腹黒と偽”弟”に巻き込まれるからだ。


 次は、かちゃかちゃと刀が鞘の中で揺れる音が近づいてきた。団員の引き締まった挨拶を受けながら小走り気味に寄ってくるのはーーガヨだ。

「何だお前ら。集まって座ってるだけで……何故、飯を食わない? 先に食ってても俺は叱らないぞ」

 日中の暑さに湿度が伴うようになったが、ガヨの制服の詰襟はきっちりと閉じられている。ガヨが言う「先に食っても気にしない」は本当だ。だが、待っているであろういつもの面子を気遣って走ってきたのがわかる。平静に発言する自身を演出しているのだろうが、汗を拭いて濡れた袖口と撫でつけられた髪が彼の不器用な優しさを引き立てている。

 ガヨの茶褐色の瞳が素早く動く。椅子に座る面々の様子をすぐに察知したようだった。

「ジブ、トニーを連れてカウンターに行け。俺たちの分も持ってこい」

 立ち上がる二人にエイラスも続いた。

「二人で運ぶのは大変でしょう。俺も行きますよ」

「いや。お前は午前中に王城に行ってきただろう。何があったか報告しろ」

 ガヨは机を軽く叩いてエイラスに着席を促した。ジブとトニーには手を払う動作で行って来いと促すことも忘れなかった。エイラスの報告を聞きながら、ガヨはタブレットを取り出して発言をメモしている。


 その姿をカタファは頬杖をついて見ていた。

 ガヨは規律と責任を重んじる人物で、二十五歳と団員の中でも若手ながら、しっかりと組織をまとめている。観察眼があり、過不足なく人間関係を回す冷静な目を持っている。今もジブの苛立ちを感じ取って、トニーと一緒にいさせるという一番早い解決方法を選んだ。有無を言わさない雰囲気と感情の交わらない合理的な理由を即座に述べるのはカタファにはできない芸当だ。


「おい。カタファ、聞いてるか」

 その視点は取りこぼす者が出ないように広く、優しい。口数も少なく、一見すると非常に現実主義者だが、隠しきれない根の優しさは美貌と演出のエイラスとは違ったカリスマとなって、団員の支持を集めている。

「あぁ、聞いて……」

 その時、食堂の入り口からどよめきが響いてきた。でけぇやらこんな目を初めて見たやら困惑と興奮がすぐさま伝播し食堂を覆った。ガヨの視線がざわめきの中心に注がれる。その人物をじっと見つめ、″どう声を掛けようか″思案する顔になっている。


 ーー俺、このパターン知ってるわ

 カタファは腕を組んで天を仰ぎ、目を瞑った。

 エイラスは何も言わずに微笑むだけ。傍観者を決め込む腹づもりだろう。

 ーーこの後、面倒に巻き込まれる。

 カタファは確信していた。


 ガヨは頭も良ければ采配も上手い。それに面倒事を面倒と思わない素朴な面がある。高い理念と行動力を持ってすべてに全力で対処するが、すべての人間が彼のように真正面からまじめに仕事をこなすわけではない。知らんぷりしたり、自分にはできませんと能力を低く見せて逃げたり、事態を掻き回して楽しんだりーーそういう人間が世の中にいることをガヨは何故か分かっていない。


 食堂の入り口にはやはりエンバーが立っていた。団員の中で一番の体躯が目立たないわけがない。その黄金の瞳も相まって、余計な注目を集めている。

 椅子を引く音がした時にはガヨが立ち上がって背を向けていた。きっとエンバーを迎えに行くのだろう。カタファはもう諦めの気持ちでその背中を見送った。

 ガヨは出入り口に固まる団員を蹴散らしエンバーと二,三言葉を交わすと、カタファたちのいる卓へと戻ってくる。

 カタファがもう一口水を飲もうとしたが、コップは空だった。斜めに座るエイラスは組んだ両手の上に顎を載せて、相変わらずの微笑みでガヨとエンバーを見ていた。


 入口とは反対、カウンター側から、がちゃんと食器が揺れる音がした。振り返ると硬い表情のトニーと冷たい顔のジブが立っている。ジブの目線はすぐにトニーの表情を追った。トニーの表情の変化は乏しく口を強く締めているくらいだったが、力が入った肩が上がっている。そんなトニーを見たジブは眉を寄せ、不快感を隠さない。

「食事、取ってきてくれてありがとうございます。食べましょう」

 エイラスはトニーの手からトレーを取って机に置いて座った。ジブは少し遅れて、音を立てながらトレーを置いた。乱暴に置くものだからシチューの器が大きく揺らぎ、中身が机に少し零れた。


 エイラスは立ち上がり、にっこりと笑った。トニーを卓の中心に座るように誘導して、それぞれを見回す。

「新生ガヨ分隊が揃いましたね。せっかくですし皆で楽しくランチにしましょう」

エイラスの愉快そうな声が、カタファには地獄の門が開く音に聞こえた気がした。



 向かいにジブ、エンバー、エイラスが座り、カタファ側は、カタファ、トニー、ガヨの順で座った。誰もが誰とも目を合わせない。エンバーに至っては食事前の祈りをぶつぶつ唱えており、周りの交流は遮断状態だ。

 他の団員は皆、遠巻きのカタファのいる卓を見ている。ジブやトニーも傭兵出身の外部入団ということもあり異質ではあったが、エンバーの異様な雰囲気はその度合いが違う。普段なら静寂を知らない食堂も今ばかりは緊張が走っている。


 食堂全体がピリついてきている。

 ここはーー俺がどうにかしないと。カタファは小さくため息をつくと、笑顔を作った。

「トニー」

 カタファは隣に座る白い制服の男に声をかけた。

「なんか顔色悪いぞ。食事は運んでやるから、部屋で食えよ」

 トニーの肩を叩くと彼はかすかに眉を顰め、何度か瞬きをした。実際顔色は悪くないが、居心地は悪いだろう。カタファをじっと見つめたあと、そうさせてもらうと言った。足早に去っていくトニーの背中にいち早く反応したのはガヨだった。微妙な立場とトニーを宥めるのはリーダーの務め、といった感じで正義感に溢れた行動だからか誰もーージブでさえもそれを咎めはしなかった。

「カタファ、ここを任せるか」

 耳元でガヨが囁いた。カタファは大きく頷く。

「任せろ。まぁ、何とかなるだろ」

 ガヨの背中とともに、かちゃかちゃと刀が鞘の中で揺れる音が遠ざかる。カタファはその背中に手を振った。


 目の前にいるのは、不機嫌を隠さないジブ、微笑みを絶やさずガヨの背中を目で追うエイラス、祈りを終えたのかいつの間にかもくもくと食事を進めるエンバー。

 なんとかするさ。カタファは独り言つ。

 ーー俺は豪商サウサ・サーラ家の三男坊。金のあるところにトラブルあり。幾度となく、こんな小競り合いを収めてきた。

「じゃあ、いただきまーす!」

 カタファは大きくぱちんと手を合わせて、周囲の注目を一手に集めた。

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